#15 無為無益なる弁証法
「というわけで、何か意見はあるか?」
放課後の空き教室。教壇に立った俺は目の前の二人に意見を求める。
黒板には
①麻薬をやらない人間にさせる
②今麻薬をやらせて、その怖さを身に染みさせる
×③音楽をやめさせる
と汚い字で書いてある。
「なぜ勝手に③を消したのですか? まだやれることはたくさんあります」
「うーん。やっぱりこの方法は違う気がするから最終手段ね」
ホウカが噛み付いてきたが、③は俺が気に入らなくなったので保留。
「②が妥当だろうね。そもそも①と②はほぼ同じ意味であろう。①の具体例の一つが②に過ぎない」
「だよな。じゃあ、それで行こうか」
ホウカも機嫌は悪いが異議はないらしく、腕を組んですまし顔。
と、思ったら
「わたくしには今ひとつ分かりません。あなたは一体何がしたいのですか?」
また同じことを説明させるのかよ。
「前にも言ったじゃん。スイコがこのまま音楽やってると麻薬で死ぬからだよ」
「それがそもそも意味不明です。面白そうだから乗りましたけど、なぜあなたにそんなことが分かるのですか?」
うざいなぁ。説明したってどうせ、嘘付き呼ばわりされるのは目に見えている。
「阿法氏はどう考えていますか?」
俺が何も言わないので、ホウカは阿法に意見を求める。
「青連院君も言ったであろう。面白そうだと。それが全てではないかね? この男の言っていることが本当かどうかなど問題ではないよ」
阿法は組んでいた膝を下ろす。
「それとは別に、私はこの男が嘘を言っているとは思わない。ただの感想だがね」
俺は感動した。お前はただの阿呆じゃなかったんだな。
「話を進めないかね。②でいいとして、麻薬はどうやって調達するつもりだね?」
こいつサラッと言ってるけど、自分が何を言ってるのか分かってるのだろうか。いや、提案してる俺が言うのもなんだけど。
「なぜわたくしを見るのですか」
二人の視線を受けてホウカはたじろぐ。
「いやー、俺らみたいなパンピーと違って、金も人脈も頭脳も秀でた青連院ほうか様をもってすれば、麻薬の一トンや二トンは軽いと申し上げる次第でありまして」
「か、勝手なことを言ってくれますね」
お、なんか手ごたえあるぞ。青い髪をも染めそうな具合に真っ赤になってる。
「わたくしどもにおいては他に頼るお方がおりません。もうこの期に及んでは青連院ほうか様の力におすがりするしか道はございません」
俺は阿呆を巻き込んで、仰々しく土下座する。
「なぜ私がこんな真似を」
頭を下げながら阿呆が愚痴る。
さて、次はホウカの上履きでも舐めようかと考えていると、
「そ、そのような真似は止めて下さい。なんとかします」
俺は顔を上げて、ハンカチでホウカの上履きを磨く。
「ありがたき幸せです」
「止めてください。気色悪いです」
ホウカは足を引っ込めて、グロテスクな虫に出会ったような顔になった。
そこまで引くことないだろ。失礼な奴だな。
☆
俺は運命論者ではないし、なぜ自分がこうやって高校生に戻ったのかについてこれまで深く考えたことはなかった。考えたところで元に戻るわけでもないし。
しかし、ふと、思ったことがある。今自分が生きているこの世界と、俺が社会人として生きていた世界は本当に同じ世界なのだろうか。
ほぼ迷うことなく同じ世界だと思ったのは、高校生に戻った時の周りの状況が過去の自分と同じだったから。大分記憶は薄れているけど。
そして、神々しいハゲ教師が当てた競馬レース。
この世界は自分の元いた世界と同じ過程を経ている。
ただ、俺の周りに関しては違っていて、昔の俺はイケメンや阿法、ホウカと会っていない。
昔バック・トゥ・ザ・フューチャーというタイムトラベル物の映画があった。タイムマシンで過去に干渉すると、現在が変わってしまうという話だった。
俺がしようとしているのは、まさにそういうことで、2005年で色々することで2015年にスイコが麻薬で命を落とすという事実は変えようとしている。
タイムトラベル物には他にも色々なモノの捉え方があるけど、多世界解釈が最もわかりやすい。
こうして阿法たちに会っている俺もいると同時に、誰とも会っていない俺もいて、決して通過できない薄膜の向こうにそいつがいる、みたいな感じ。
さらに広い視野で見ると、俺はタイムトラベルなんて一切していない、とも考えられる。
俺は未来を知っていると吹かしている異常者で、ただのパラノイアだという考え。もしくは何か途方もない英知に満ちた電波を受信して、この世のあらゆる粒子をミクロの挙動で予測することが可能になり、結果として未来を読めるようになった、という考え。
「――という感じなんだけど、どう?」
学校帰り。俺は阿法に長々と説明していた。
日は長く、夜七時になってようやく東から夜の帳が下り始める。
「ふむ。やはりこのカレーパンは絶品だね。今年一番の当たりだ」
「おい」
俺の話を聞いてんのか、こいつ。
「それで、君の妄想話は終わったかね?」
「終わったよ。俺の話はカレーパン以下なのか?」
「実に興味深い話だったね。しかし伊庭スイコ君がそのような大層な人物になるとは。いやはや、今は単なる無能にしか見えないが」
こいつ、信じているのか信じてないのか分からん。
「スイコの悪口はやめろ。確かに今はただの雑魚かもしれなんけど、いつか覚醒するんだよ」
「それで覚醒とはいつのことだね?」
「……知らん」
だって知らないし。
でも、その知らないということがかなりの痛手にもなっている。
調べようと思えば、スイコの高校卒業後の活動、ヘックに加入する経緯、交友関係、などなど会社員の時に調べることが出来た。
俺はスイコの音楽を追い続けたが、スイコ自身については何も知らなかった。
「君が介入することで伊庭君が覚醒しないこともあるだろうね」
「それはやめたんだよ」
阿法は教室での③音楽をやめさせる、に言及する。
「一番確実な方法を伝授してよろしいかね?」
阿法が歩を止めて、あらたまって俺の方を向く。
「君がずっと伊庭スイコ君のそばに居れば良い」
そう出来ればね。
でも、そうすると俺はスイコの音楽を妨害するだろうな。
「お前ならどうする? スイコに音楽をやめさせるか、そのままやらせるか」
「私にとってはピンと来ない質問だな。今の伊庭君は自分の音楽というようなフィロソフィーも持っていないだろうからね。しかし、もし才能があるのなら、伸ばしてやるのが正しいと思うがね」
やっぱりそうなるかよ。
まあ、それに関しては追々考えていくことにしよう。このままいけば少なくとも高校卒業するまでスイコがデビューすることもないわけだし。
俺たちは再び歩き始める。
「イケメンの事なんだけどさ」
俺は少し話を変える。
「池がどうしたのかね?」
「今日の昼休みに相談されてさ。『相良さんに見合う男になるにはどうしたらいいですか?』って言われたから、軽音部に入ってイケてる男になれよって言っておいた」
「ほう」
「ついでにギターやれよ。目立てるぞって言った」
「池に楽器の経験はあるのかね?」
「縦笛マスターだったとか意味の分からんこと言ってたな」
「つまり初心者か。いい判断だ。我々もこれから忙しくなるだろう。池に伊庭君の様子を伝えてもらうのが良い」
俺もそのつもりだった。
「今週の金曜あたりに繁華街へ繰り出そうと思うんだが、来るか?」
「青連院のお嬢様にだけまかせるわけにもいくまい」
阿法がメガネに手をかけてニヤリとする。
悪い顔してんな、こいつ。これで喜んでいるつもりだろうか。