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#1 擦り切れた会社員が学生に戻った?

「はい。はい。はい。大変申し訳ありません。ただいま担当の者に確認いたしまして、至急手配いたします。はい。はい。あぁ~申し訳ございません。はい、すぐにうかがわさせていただきます。はい。はい。はい、では失礼いたします」


 俺は通話を切って、しんみりと息を吐いた。


「おい! これの発注量はどうなってるんだ」


「あっ、はい、それは先週辞めた田中の担当でして、引継ぎは課長が――」


「言い訳は許さん!」


 俺の言葉をさえぎるようにハゲ散らかした課長が俺の机を蹴り上げる。


「貴様、こんな量が捌けると思ってるのか、あぁん?」


 課長のヤクザまがいの恫喝が始まった。ここ半年で六名を会社から葬った得意技だ。


「ですから、それは私の担当では――」


「だから何だ。言い訳してる暇があったらさっさと取引先に頭下げてこいや」


 俺の髪が妬ましいとばかりに、課長は髪をむんずとつかむと、顔を上げさせる。


「はい、分かりました」


 はい、以外の答えは許されない。

 周りの事務員たちは関わりたくないとばかりに、目の前のモニターを凝視している。

 俺はそそくさと外行きの用意をして、事務所を飛び出した。

 外に出ると春のヒンヤリとした空気にあてられて、一段と疲れが増す。時計を確認すると二十一時を少し過ぎていた。まずクレーム先に行ってから、発注先へ行くことにした。早ければ二十五時には帰れるだろう。


 営業車を表にまわす。夕飯を忘れていたので、運転中に食べることにした。コンビニでおにぎりと栄養ドリンク五本を買って、助手席に放り投げる。

 おにぎりと常備薬を栄養ドリンクで流し込み、腹が満たされる。ハンドルを握り、一日百回の日課である、ため息をつく。

 俺は今朝のニュース記事を思い出した。


『世界的ロックバンド、ヘックのリードボーカル急逝!』


 見出しを見て、目を疑った。死因は麻薬によるオーバードース。

 午前中は仕事が手につかなかった。事務所を抜け出して、詳しい内容をネットで確認する。

 <彼女はヘロインの常用が疑われていたが、当局による取調べなどはこれまでなかった。日本出身で二年前にヘックに加入。当時二十四歳の若さで、大御所バンドのボーカル兼ギターとして抜擢され――>


 車のラジオでヘックの曲がかかっていた。ほとばしるエネルギーに満ちたスイコの歌声が、俺のからっぽの心を揺さぶってくる。

 やばい。運転中だけど前が見えない。



「ただいまぁ」


 誰もいないのについ帰宅の挨拶をする。時刻は夜の二十七時を廻っていた。帰って寝るだけのワンルームは散らかり放題だった。

 心身ともに磨耗し、部屋の隅に敷かれたせんべい布団にダイブする。四年間もこうした生活を続けて、身体が悲鳴をあげていた。

 意識が途切れるまで俺は彼女の事を考えた。


 ヘックのボーカルは高校生の時の同級生だった。この四年間のせいで、すでに当時の記憶がぼやけているけど、彼女について思い出せることが二つあった。

 

 名前は伊庭スイコ。そして俺は彼女に告白したことがある。振られたけど。それはそうだ。クラスは違うし、まるで喋ったこともない、接点のまったくない他人同然だったはず。なぜ告白したのかすら憶えていない始末だ。

 

 社会の片隅にポツンと生きる俺にとって、スイコは特別な存在だ。毎朝の満員電車や上司からの激しい叱責があってもスイコの歌を聞くと、自然と元気が出た。

 俺の神だった。


 最後の力でボロボロの目覚ましのアラームをセットする。明日も…………今日も五時起きだ。俺は黄色い目覚まし時計を床に置いて、眠りについた。



「とっとと起きろよ、このグズ」


 俺は反射的に起き上がり、その場で土下座した。


「この度は粗相をしまして大変申し訳ありません。二度とこのような事態を招かないよう、徹底した管理を実施して再発防止に努めたい所存であります」


「はぁ?」


 顔を上げると、そこにいつものハゲ面はなかった。代わりに見たこともない小中学生くらいの女の子がパジャマ姿でいた。

 前言撤回。なんか見覚えのある顔だ。


「早く朝飯食べろよ。お母さんが片付かないってうるさい」


 それだけ言うと女の子は不機嫌そうに部屋から出て行った。

 ここはどこだ? いつものワンルームじゃない。もっと狭い部屋。妙に既視感のある場所だった。


「あ……」


 どうやら俺は布団で寝ていたらしく、枕元に目覚まし時計がある。それを拾い上げる。


「これは知ってる。昨日アラームをセットした」


 それにしては新しい。新品同様だ。もっとボロボロだったはずなのに。

 なんか妙に身体が軽い。呼吸もスムーズに出来る。何よりも物が鮮明に見える。ここの所かすみ目が酷かったはずなのに。

 立ち上がって、すぐそばにあった壁掛けの鏡を覗き込む。そこには自分がいた。


「若い」


 涙袋を押し下げて、白目が黄色くないことを確認する。ほっぺたをつねって現実を確認する。この顔は確実に自分だと分かるが、どう考えても今の自分ではなかった。

 鏡の隣にあったカレンダーがあった。


「2005年5月…………」


 今は2015年5月のはず。


「あっ」


 思い出した。さっきの女の子って妹だ。多分中学生くらい。当時、妹の顔をマジマジと見たことなんかなかったから忘れていた。

 部屋から出て、良く知った間取りを迷うことなく、リビングに入る。テレビがついていて、キャスターがニュース原稿を読み上げていた。


『おはようございます。5月9日の朝のニュースです――』


 このニュースキャスター、確か不倫騒動で完全に干されたはずだけど。


「あんた、そんなところに突っ立ってないで、早く朝ごはん食べてよね。私もうすぐ出ないといけないんだから」


 急に後ろから声がして振り向くと、目玉焼きの皿をもったお袋がいた。あんまり変わってないな。


「ねぇ、今って2015年だよね?」


「はぁ?」


 妹とそっくりな反応だった。さすが親子。


「馬鹿なこと言ってないでさっさと食べてよね」


 お袋はジャーからご飯を弁当箱によそい、慣れた手つきでおかずを詰めていく。


「弁当なんか作ってどうしたの?」


「何言ってるの。これあんたのでしょ。頭大丈夫なの?」


「ああ、そうなんだ」


 お袋の心配そうな目つきを避けて、黙々と目の前にあるご飯を食べた。久々にまともな食事をした気がする。

 ご飯を食べて少し落ち着いた。渋いお茶で一息つく。

 何の理由かはさっぱり分からないけど、ここは2005年みたいだ。寝て起きたら10年前に戻っていた。


 ということは俺は高校二年生のはずだ。今日は普通に平日で、高校に行かなければならない。

 つまり、生きて会うことが出来るのか。メジャーデビューする前のヘックのボーカル、伊庭スイコに。


 俺の中にある考えがムクムクと浮かび上がってくる。もし俺が努力すればスイコは死なずに済むのではないだろうか。

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