空腹
春の川は明らかに流れている。水面は揺れながら花を映す。
娘と母の二人はわたしに写真を撮れと言った。
見知らぬ笑顔はわたしを戸惑わせる。
風は感じないが蝶が黄色くひらひらと飛ぶ。
わたしは腹が減っているのだった。
曖昧な霞む陽を見た。
これらは嘘であり、遊びであり、少々の冒険であった。
では何が本当なのかと問われれば、それはあの母娘の生活であろうし、何が遊びかと問われれば、それは春の川の気儘な流れであったし、何が冒険かと問われれば、それは紋黄蝶のつかの間の生であった。
わたしの唯一つの実感であり、生の実際は、腹が減っていることだけであった。
(説明的な蛇足)
昼食を取る店を探して、川の近くを歩いていると、観光客らしき母と娘に出会った。彼女らは、川岸に生えている満開の八重桜の前でわたしにシャッターを切って欲しいと頼んだ。彼女らは嬉しそうであったし、わたしもそれでいいのだけれど、それはわたしの実際ではなかった。わたしは空腹であったから、それが全てだった。わたしの外界に起こる様々なことを遥かに超して、わたしの内面からの欲求が起こる。それだけが確かなように思える瞬間がある。
お読み頂きありがとうございます。