鉱山の町
僕の新しいすみかは一軒家だった。家の持ち主は仕事を求めて近くの都市に移住していた。子供はもっと遠い大都会に移り住んでいたので、使われない家はお荷物だったのだろう。時おり戻って手入れをしなければならないわ、固定資産税はとられるわ。地方自治体の今回のプログラムに乗じて僕という借り手が見つかったのは家主にとってもラッキーだったのかもしれない。
僕が市役所の人立会いのもと、家主夫婦から鍵を受け取り家の説明を受けた時、夫婦は非常に愛想がよかった。
家には家具がほとんど揃っている。買い足さなければならないものなど、ほとんどない。消耗品ぐらいだろうか。
なんとなく時間をもてあました午後、僕は新しく僕の居場所となるはずの町を見ておきたくなって、ぶらぶらと散歩に出た。
その昔、日本の工業化を支えたと言われるこの町には、今の3倍以上の人が住んでたらしい。山あいにあるわりには町の中心部には古い家がひしめき合い、よくよく見れば、置屋や飾り窓が並ぶ通りなんかも現存する。コンビニもろくにないような場所なのに、飲み屋だけは何軒も見られる。どれもこれも年季が入っていて、中にはすでに廃業した店もある。
花街の隣の通りには、パン屋に肉屋、お菓子屋、酒屋に雑貨屋と商店街になっているようだ。金物屋やいかにも昭和からありますといいたげな服屋もある。町の真ん中を流れる川の向こうに、大型スーパーがあって、二階では衣類や日用品も売っているというのに、商店街の小さな店はどうやって今まで生き延びてきたのだろう。店内に人が溢れているよあにはどうやってもみえないが、確かに電気はついていて、商品は並んでいる。入り口に立てば、いらっしゃいとばかりに自動ドアもあく。
商店街をぶらついていると、酒屋がでかでかと掲げる、地酒ありますよ文字が目に入った。
僕はもともとお酒が好きだ。でも、病んでからお酒はやめていた。アルコールを摂取すると昼夜逆転の体がますます蝕まれていくような気がしたし、何より、会社を辞めるに至った当初は、医者から薬を処方され、酒は控えるようにと言われていたからだった。
やはり、飲む気にはなれない。
地酒ありますの文字をやりすごし、そのまますすめば、次の過度には和菓子屋があった。なんとなしに、そのまま入る。ショーケースに昔ながらの温泉饅頭のような小さな饅頭が並んでいて、側におかれた贈答用の化粧箱には、でかでかと「鉱泉饅頭」と書かれている。なんとありがちな。
入店時にピンポンとなっていたせいで、僕が饅頭を眺めていると、奥からふくよかで気の良さそうな中年の女性がやってきて、こんにちは、と言った。
僕は少し戸惑いつつも、ちらりと相手を見て、こんにちは、と返す。
おばさんは人懐こい笑みを浮かべて、「あんた、見かけん顔やね?どこから来たん?」と聞いてきた。
おばさんとの距離、カウンターを挟むとはいえ1m以内。逃げるわけにもいかないから、僕は市のプログラムで移住してきたことを、とても簡潔に伝えた。
すると、おばさんはそれはもう、嬉しそうに笑って「なら、今日は引っ越し祝いをせんとあかんねぇ」というではないか。
聞いてもないのに、おばさんは鉱泉饅頭の由来を話し、気がついた時には僕は鉱泉饅頭が3つを買うことになっていた。
おばさんは、鉱泉饅頭をビニール袋に入れた後、別の所から、ちがうお菓子を持ってくると、それも袋の中に入れた。
ニカッと笑って「引っ越し祝い」と嬉しそうに言った。
「また買いにおいでな」という声を聞きながら和菓子屋から出て、袋の中身を確認すると、おばさんがおまけしてくれたのは、割れおかきの詰め合わせだった。