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これまでのこと

 廊下の先、突き当たりに額縁の向こうに雪景色が見える。

綺麗な絵だと思って見ほれて立ち止まった僕が、それは実は絵ではなく窓だったのだ、と気が付くのに数十秒を要した。額縁の中では、木々は葉の代わりに白い雪を枝にのせて、山全体が白い。

 温暖な地方で育った僕には、はじめての雪国。僕は雪の多いこの山奥で、僕の人生の数ページを紡ぐ。


先日、僕は会社をやめた。大学四年間を可もなく不可もなくといった感じで無難に過ごしていた僕は、周りの就活という流れに乗って、無難に就活をした。でも、無難な人間なんて、掃いて捨てるほどいる。就職氷河期と言われた時期だっただけに、僕は結局、無難に就活を終えた至って普通な人たちからは取り残されてしまったのだった。

 そう、最近の言葉でいえば、負け組、なんだろうか。

 卒業間際、ギリギリになって決まった会社は小さなSEの会社。PCは人並みにしか使えなかったが、それでも趣味でLinuxをちょっとさわったり、簡単なプログラムならかける程度だったから、文系あがりもいるこの業界なら、他のSEと遜色無く働けるだろうと思っていた。


 そう、思っていたのだけれど。

 

 今まで無難に生きてきた。だから、無難に働けると思っていた。小さい会社で朝から晩まで。別にそれは大したことでは無いはずだ。ちょっとしんどいけれど、彼女もいなければ趣味もない。そんな中で別に時間を費やしたいものがあるわけじゃなかった。


 だが、その読みは完全に甘かったのだ。

 会社で働いてはじめて、自分はとても弱かったのだと知り、普通ではないのだと悲嘆にくれた。


 会社の上司は非常に良くできる、穏やかな人で、僕がどんくさくても決して声を荒げたりはしなかった。ただ、夜の9時に明日の朝まで12時間あるから、この資料、朝の会議までお願いね、と置いて行くだけだった。

 仕事のやり方だって、わからない僕が悪い。入社したてで、どの棚に何があるかすら知らない頃、データ管理システムの使い方がよくわからなくて戸惑っていたら、

 「なんで、取扱説明書を読まないの?」と静かに教えてくれた。

 僕はおつむの出来があんまり良くないから、取扱説明書ではわからない時もある。そんなときに聞きに行けば、優しい口調で、「それはすごく簡単なことだし、とても自明なことだけど、こうすればいいんだよ」と説明してくれる。それがもし、忙しいときならば黙り込むだけで、決して「忙しいからあっちに行け」なんて声を荒立てたりはしない。


 無難に生きてきた僕は、だてに無難に生きてきたわけじゃない。誰とでも同じように生きて来た。それは、小心者であるという証でもあるのだ。

 小心者の僕は、やがて必要以上に失敗を恐れ、それでいて、何も聞けなくなっていった。

 そうこうするうちに、小さなミスを連発し、簡単な暗算ができなくなった。経費の申請をする際に、ちょっとした交通費の計算を間違うようになり、上司からは「君の計算はあてにならないから」と言われるまでになってしまった。焦った僕は、何度も検算するようになったけど、検算する度に値が違って、ますます混乱していくだけだった。

 ここに来て僕は、計算機を使えばいいんだと考えるようになる。小さなこともよく忘れるようになったから、メモをとればいいんだと、そう思うようになった。

 でも、そんなものに頼るのは情けないことなんだ。そうして計算機を使い、些細なことでもメモをとるようになったのを、打ち合わせの際に上司の上司に見とがめられて、「それぐらい、暗算してよ。おぼえてられるでしょう。大学でてるんでしょう。」と呆れさせてしまった。


 家に帰れない日も続いたけれど、そのうち帰っても眠れなくなった。でも、いつまでも眠らない訳にはいかない。こんどは一度眠ると起きられなくなった。これは社会人としては非常に困る。朝には会社に出社しないといけないのだから。

 

 かくして僕は、何度か大遅刻をし、些細な計算も、ささいな暗記もできない、雇っていることが赤字な、会社の不良債権になった。そんな僕には大した仕事はまわってこなかったが、ちょっとした頼まれ事もなかなか終らせられなかった。そんな僕を親切な上司はやっぱり心配してくれた。

「誰からも言われないからいいやと思ってるかもしれないけれど、あれもこれもまだだよね。そういう不良債権が溜まって行くと君自身が信用をおとしていくことになるんだからね」


 信用がないことなんて、僕にはもう、わかっていた。


 朝起きるためには、今寝なければと思えばおもうほど、不眠はいっそう酷くなる。会社にいくためには、おきていなければ…と日曜日の朝から寝られなかった結果、僕は金曜日の朝の出社時に駅のプラットホームで意識を失い、ホームから落ちかけた。ちょうど電車が入って来ようとしているタイミングであわや大惨事、と言う事態で鉄道警察のお世話になることになった。かくして僕の不眠は、実家の家族や会社、皆の知る所となり、病院に連れて行かれることになった。

 病院の先生が、診断書を書いて、必ず元気だったころに戻れるので、休職しましょうと言った。


 体調管理ができないのは僕の責任だ。仕事ができないのも、僕の能力のなさなんだ。それで不調になったのに、そんなことを理由に休職をして、これ以上会社での肩身が狭くなるのが、僕はどうしても耐えられなかった。

 上司に打診する、と言った病院の先生の言葉を聞いて、僕は会社をやめた。

 







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