建国祭.7
「おいウィル、お前の〈湖魚の天ぷら〉食っていいのかよ」
「いいよ全部あげる!」
そう言うと、ウィルフレッドは少女の手を引いて、
長屋の平べったい屋根の上を走り出す。
「もうすぐ始まるぜー。お前が見つけた場所に、
俺らだけで居ていいのかよ」
ウィルフレッドはぐんぐん遠ざかる。
その場に残された魔導学校の同級生たちは、ウィルフレッドが食べていた
〈湖魚の天ぷら〉をぞんざいに、ひとつかみ口に放り入れると
あっという間に離れていく二人の姿を冷めた瞳で追っていた。
「物好きな奴だな。〈流民〉狩りなんて、別に珍しくもないだろ」
「あいつも〈流民〉だからじゃねえの」
そう言って、一人の同級生は下卑た笑みを浮かべる。
「でも……可愛かったよな、あの子」
「ふん。女の前じゃあ、いいカッコしたかったのかもな。
落ちこぼれのマカロンのくせに」
「でもあの子、〈流民〉には見えなかったけどな。
髪も僕たちと同じ金色だったし。もしかすると、
どこかの〈貴族〉の娘だったりして」
「バカ、〈貴族〉が衛兵に追われるかよ!」
走る度に屋根は軋んだ。大人であったなら、こうはいかなかったろう。
この区画に住む人々は、あまり裕福ではなかった。
「ホント酷いよなあ。年に一度の〈建国祭〉の日に、
〈流民〉狩りなんてすることないのに」
ウィルフレッドには、そこで疑問が生じた。
そういえば今日は〈建国祭〉。他の街からも見物人は当然来ているはず。
その中で、どうやって彼女を〈流民〉と区別したのだろう……。
「止まれッ!」
有無を言わさぬ大声が、下で二人を呼び止める。
それに構わずウィルフレッドが背を向けると聞き慣れない破裂音が
二人の足をすくませた。
「今度は本当に当てるぞ。ゆっくり降りてこい」
カチッと鈍い音がした。
その男が持っていたのは、“銃”だ――
先細った銃口からは、微かな火薬の匂いと細い煙が立ち昇っている。
そこを通りがかった住人たちは、それを見るや否や、
まるでクモの子を散らすように大慌てで付近を離れて行く。
ウィルフレッドは顔を引き攣らせて、そこに居る美しい彼女を見た。
「しょうがない。僕が合図をしたら、向こう側に降りるんだ。
心配しなくても、あんなに遠くだと当たりっこないよ」
少女は言った――
「大丈夫。そのまま走って」
そして、自信のある表情を見せる。
「きっと上手くやるから」
その銃声よりも一足早く、巨大な爆音が長屋の屋根を揺るがした。
衛兵は驚いて、音がした方向を振り返る。
湖のような深い青さを湛えた大空は眩いばかりの閃光を放っている。
「さあ、行って!」
宮殿前の大広場で盛大に打ち上がった、それは巨大な花火だった。
二人は走り出す。
まるでそれが、示し合わせた合図であったかのように――
「ダメだ、やめ――」
その命令をかき消し、無情の銃声が辺りに響き渡った。
「このバカがッ」
上司らしい男は、銃弾を放った衛兵を力いっぱい壁に向かって
殴りつけると、放たれた先を恐る恐る確認する。
――命中した、筈だった。
その証拠にウィルフレッドの背中には、その僅かな感触があった。
しかし、長屋の屋根を転がって、石畳に落ちた小さな弾丸は
“ウィルフレッドを取り囲む不可視の壁にでも阻まれたかのように”
無残に潰れてひしゃげていた。
(これって、もしかして……)
しかし、それを扱える者は、ただでさえ少ない。
〈魔法使い〉の中の、限られた一部の者たちだけだ。
汗の滲む努力よりも、本人が備える資質が重要視される世界で、
それはどんな宝物よりも希少な存在に違いなかった。
それは――“人類が生み出した至高の魔法”――
そこに一人居るだけで、相手にとっては恐るべき脅威となり
味方にとってはこれ以上ない、頼もしい存在と成り得る。
「〈絶対防衛魔法〉……まさか、あんな子供が……」
その場に居た誰しもが、走り去る二人を追うことも忘れ、
この信じられない状況にただ茫然と立ち尽くしていた。