~side episode~「ラーセン=マドラスカ」
「待て」
ラーセン=マドラスカは
地味なフード付きのコートを着た男に声をかけた。
彼が男を見つけて追い縋るまで、ものの数分。
これは魔法などではなく、彼が日々鍛え上げた
鋼のような肉体の賜物であった。
それでも男は歩みを止めない。
男の前には子供が四人。
一人を除いて、三人が目深に帽子を被っている。その誰もが、
たどたどしい足取りで、必死になって走り続けていた。
興奮の冷めやらぬ大通りから人々の熱気が洩れてくる。
道の両側をレンガ造りの建物に挟まれて、
何処までも続く石畳に渇いた靴音が響いている。
(まさか、聞こえていないのか?)
そう思って男の肩をラーセンが掴もうとした、まさにその時――
超人的な反射神経で、ラーセンは咄嗟に顔をのけぞらせた。
前触れもなく出現した銀色の軌跡に、
それから遅れて噴き出した鮮血が空気中を漂った。
顔を引き、すぐさま体ごと宙に反転する。そのラーセンが避けた先に、
男はまたも〈暗殺者の小刃〉を突き出す。
まるで分かっていたかのように正確無比に、男はラーセンの喉元めがけ
それから何度も〈暗殺者の小刃〉を振るう。
相手の力量を見、瞬時に不利を悟ったラーセンは腰に差した〈小剣〉で
応戦するよりも、小さな笛を唇に押し当てる。
それも間一髪のところで。
男の鋭利な攻撃を紙一重に避けながら。
ラーセンもまた、男と同じく猛者であった。
「行け!」
男が突然叫んだ。
眼の前で繰り広げられる壮絶な死闘を茫然と眺めていた子供たちは
その大声に促されるように、やがて前方に向かってバラバラに駆け出す。
ラーセンはこの間に、咥えた笛に空気を送る。
音はしない。壊れているのではなくて、“彼ら”にはこれで十分なのだ。
「自信が過ぎるな。ここは王都だ、警備網は半端じゃない」
子供たちの姿は遠ざかっていく。
こちらから仕掛けるか――いや、ラーセンはより確実な方法を選ぶ。
“彼ら”が駆け付けるまで、その僅かな時間を稼ぐのだ。
しかし、それが今回は仇となった。
男は腰に提げた革袋から、何かを取り出してラーセンに放り投げる。
ラーセンが見せた僅かな気の緩みを、この男は決して見逃さない。
(ば、爆――)
石畳の上を音もなく転がった丸薬は間もなく、
彼の予想に反して大量の煙を辺りに吹き始める。
それは遠く離れた大広場からも確認出来るほど
物凄い量の煙幕だった。
しかし、そちらに顔を向けた民衆は一人として居ない。
なぜならば〈建国祭〉はこちら側で何事もなく進行していて、
いよいよ祭りが最高潮を迎える〈拝賀の儀〉が始まっていたからだ。
(逃げても無駄だ! 俺には、この《探査》がある!)
そうしてラーセンが意識を集中し、
対象を追跡する『土』の魔法・《探査》の〈始句〉を洩らした刹那――
堪えようのない脱力感が彼を襲う。
もくもくと周囲を覆った白い煙から体を遠ざけるも既に遅い。
ラーセンは崩れ落ちるように、その場に力なく片膝をつく。
「侵入者は」
いつの間に現れたのか。
石畳に倒れ込んだラーセンを、覆面・黒装束をした異形の者が
乱暴に抱き起こす。その男の表情は分からない。
「お――大手門を閉めろ」
「既にやっている」
そう言い放ち、黒装束の男は慣れた手付きでラーセンの首筋に
指を当てる。しかし、ラーセンは鬱陶しげにそれらを払い除けた。
「死にはしない。おそらく麻痺毒の一種だ」
それから男は懐から小さなガラス壜を取り出すと
ラーセンの口元まで甲斐甲斐しくそれを持っていく。
「だから俺のことはいい。はやく行け」
「心配などしていない。さっさと《探査》を使え」
ふっ、とラーセンは可笑しくなって、
こんな状態になってもこき使われる自分の身の上に
思わず吹き出しそうになった。