建国祭.2
SFCの「バハムートラグーン」の世界観が大好きです!
今か今かと建国祭の開催宣言を待つ人で
いつも以上にごった返す大広場を抜け、
屈強な守衛が警護するキンバリー宮殿へ足を踏み入れてみよう。
実際こう上手くはいかない。
もしも侵入者がここへ入ろうものなら、たちまちに牢獄へ送られるか、
もしくはこの世の者でなくなるか――
さあ、恐れずもっと奥へと進んでほしい。
そこには眼に毒なほど、豪華な手織りの絨毯が人々を迎える。
貴重な〈白山石〉が建材の乳白色の壁面は
戦艦の主砲でさえも打ち抜くことは容易でない。
吹き抜けのホールは解放感に満ちている。
建物の端から端を絶えず行ったり来たりするのは、
主に行政を担当する文官たちだ。普段の彼らは部屋にこもり、
こうして滅多に外に出ることはないが、
祭典が執り行われる本日は、武官の数を大きく上回っているようだ。
さあもっと奥へ――
遠慮は要らない。今日は特別な日なのだから。
いや、〈公王の間〉へと続く中央の螺旋階段は通り過ぎて、
そのまま真っ直ぐに奥の小路を進んでほしい。
次第に華やかな雰囲気が一変したことに気付いたろう。
そこに警備の守衛はない。
何故ならそこは、
決して暴かれることのない、開かずの扉であるのだから……。
その通路の行き着く先で、君は、この国が内包する闇を目撃する。
キンバリー宮殿、西側の離宮――
外の喧騒がまるで嘘のように、静寂が支配している。
激動の時代に作られたこの建物は、
有事における戦略決定を行う要所だった。
平穏が訪れた現在、こうして固く施錠されているが、
豪華な螺旋階段の奥でまるで似つかわしくない狭い通路は、
地下を通ってこの西の離宮へと繋がっている。
それは王族専用の道だった。
老朽化が年々進み、街の外れに広大な訓練場と官舎が新設されると、
入っていた軍首脳部はそこへ移り、残った西の離宮には、
新たに高度な研究所が設立された。
その名――〈魔導研究所〉。
軍事における優位性を追求する研究機関。それは魔法だけでなく、
武器・飛行船・動力、資源の採掘方法や建築手法、
更には携帯食料に至るまで、その対象となるものは幅広い。
五年前に創設されたばかりの
〈魔導第七研究局〉第三区画のプレートが差してある
西の離宮・最下層の一室――
当時、軍の秘密訓練場でもあった無機質な広い空間を背に、
局員が着る白衣を纏った若い女と、
まだ幼さを残した四人の少年と少女が居た。
それは誰が見ても異様な光景に違いなかった。
艶のある女の長い黒髪が白衣と対比して、それがやけに印象的だった。
女の表情は厳しい。
「ママ」
怯える少女は、とうとう耐えきれなくなって、
女に縋るような声を出した。
女はその少女を引き寄せると、優しく抱き止める。
それは、母が子をあやすような、愛に満ち溢れた行為だった。
「もう少ししたら、お迎えの人が来るからね。
そうしたら皆でここを出るの。
――イヨ、外へ出られるの。もうここへは、誰も来なくてよくなるの」
イヨ、と呼ばれた、鮮やかな青い髪色を持つ少女はそれを聞いて、
とても不思議そうな顔付きをする。
「おそと?」
「そう、外の世界。
イヨが毎日寝ているお部屋にも、この真四角な部屋にも、
この研究所にも、もう戻らなくてもいいの。意味……分かる?」
女の腕の中でイヨは小さく頷いた。
彼女の年齢にしては幼い言動が目立っている。
それは精神が、彼女の成長に追い付いていないようだった。
やがて物音ひとつ立てず、第三区画の分厚い鉄扉がほんの少しだけ動く。
その微小な変化に女と子供たちは気付いていない。
「時間です」
何もない空間から、その男は現れた。
女は大層驚いて、細身をビクッと震わせると、
穴が空くほどに男の顔を見上げていた。
精悍な顔つき。こんな険しい顔をした人間を、
彼女は見たことがなかった。男もまた、局員用の白衣を纏っている。
誰の眼にも明らかな逞しい胸板が、彼女が知る理系の男と一線を引く。
「時間です。お戻りください」
「ま、まだ――」
女の声は震えた。
「ま、まだ……お、お休みの時間では、あ、ありません!」
「静寂は破られる」
落ち着き払った声。
眼の前で怯える彼女らを、注意深く観察する男は揺るがない。
「これよりは酷く荒れます。休んでいる時間はないでしょう」
それを聞いた女は、まるで暗示に掛かったように、
そこに待ち受ける未来を瞬時に想像した。
運命の歯車は動きだした。
この状況を作ったのは、大人たちである。
ならばもう少しだけ、子供たちの未来を保障しなければならない。
それが大人に課せられた、最低限の責任だ。
「お待ちしていました。子供たちをお渡しします」
女は抱き止めていたイヨを体から離すと、
自分を注視する二人の少女と、一人の少年とに向き直る。
「お迎えが来ました。あの方とともに行ってください。
大丈夫です、手筈は全て整えてあります。
皆は、あの方の後ろへ付いて行けばいいだけ。
もしもこの機会を逃せば、また待つことになります」
「……ママも、いくんでしょ?」
イヨが不安気に女に身を寄せた。
「もちろんそうですよ。
でも私には、やらなくてはいけないことがあります。
私が行くのは、それが終わってから」
女は、にっこりと笑いかけ、
彼女の髪を愛おしそうに撫でた。
「後から必ず行きます」
そして、託すべき相手に深く、女は頭を下げるのだった。
「どうか、この子たちをお願いします」
「全ては計画通りに。懸念すべきことは何もありません。
“回収”予定地点は覚えていますね?」
「はい」
女はそして、
子供たち一人一人の顔を順番に見つめる。
悲壮感は消え失せた。
今の彼女は力強い生命力で満ちていた。
「皆もよく聞いて。もしもバラバラになってしまったら
〈マイル=エーナ〉という高台に行きなさい。
分からなくても、誰かに聞いて必ず行きなさい。
それでも間に合わなかったり、何かトラブルが起こったりしたら、
そこからもう少しだけ行ったところに〈エーナ発着所〉があります。
でもこれは当てにしてはいけない。
〈マイル=エーナ〉で合流出来なかったら船は出ているはずだから」
まるで自分の力を分け与えるように、
女は傍に居たイヨを強く、抱きしめる。
「あなたに見せてあげたい、私の生まれた国を!
こちらでは〈豊穣の季〉に入ったばかりだけど、私が生まれた国では、
もう三月も先に明けていて、気の早い山桜が咲いている頃だわ。
きっと、貴女たちが本国へ到着する頃、それはもう散ってしまって、
でも、ちょうど遅咲きの本桜が見頃を迎えている」
離れた故郷を想い、
女は酷く遠い眼つきをした。
「山桜は自然な桜。
本桜は……美しくなるように、人が手をかけた桜の木。
私の家の近くの〈山門桜〉は山桜。でも、それはそれは、
本桜に負けないくらいに綺麗に咲くの」
女は唇をきつく噛んだ。
「行ってください。私もそろそろ動かなくてはなりません」
「回収予定時刻はくれぐれも厳守してください。接触は一度きりです」
それに間髪入れず、彼女は答える。
「どうかその通りに」
そうして、子供たちがようやくのこと部屋を去ると、
女は与えられた全ての仕事が終わった気がした。