プロローグ
SFCの「バハムートラグーン」の世界観が大好きです!
放たれた炎は呼吸を始めている。
レグナス暦四十四年、二月。その最初の週末――
宮殿前の大広場は、開催を待ち詫びた人々でごった返していた。
軒を連ねる〈王印〉の入った営業許可証を掲げた寄店からは
美味しそうな匂いと、白い煙と
ひっきりなしに交わされる客との話し声が絶えない。
『 東方より来たる! 異形の芸能集団!!』
その少年は、正面に貼ってある『 建国祭開催の知らせ 』を
食い入るように見つめている。
たくさんの色彩で満たされたポスターは
学園寮の直ぐ下に居を構える
〈ミール洋菓子店〉に貼られてあったものだ。
只今、洋菓子店の主は集客の目玉を持っていかれて、かんかんだった。
この少年の部屋に貼ってあるポスターが
もしも誰かに見つかったなら彼は当分の間、店に出入り禁止となる。
「〈サティ一座〉……ああ、どんなのだろう。
東の国の劇団なんて、想像もつかないや。
なんと言っても無料だから。
お金が要らないってのは、とってもいいことだね!
年に一度のお祭りなんだから、だって当り前か……」
夢が、まるで風船のように膨らんでいく少年は
どうせなら一年中やればいいと思った。
すると少年はおもむろに、木机に置いてある粗末な貯金箱を
縦に、そして横に振ってみては、ようやくのこと
僅か数枚の銅貨を取り出した。
それから不思議そうに穴を覗き込むものの
何度確認したところで中身は空だ。
実家からの仕送りが届くのは、まだまだ先の話になる。
ふと、窓の外を眺める。
ねぼすけな太陽と、雲ひとつない真っ青な空とが壮大に広がっていた。
〈豊穣の季〉を迎えたばかりで、真昼時にも関わらず
部屋に入る日差しはなんとも穏やかなものだった。
遮るもののない
突き抜けるような青空には ようやく登り始めた低い太陽が
活気づく人々に柔らかな日差しを向けている
この訪れを 国中の誰もが首を長くして待ち侘びた
大地は今再び〈流水の季〉を終え
実り豊かな〈豊饒の季〉へと移ろうとしていた――
「おい、マカロン」
頭ひとつ分ほど大きい男の子が
学園寮の玄関をくぐったばかりの少年を呼び止める。
「お前も〈建国祭〉に行くのかよ」
男の子は乱暴に言い放つ。
その後ろから遅れて顔を出したのは、取り巻きの三人。
その誰しもが、楽しみをたった今見つけたような
なんとも意地の悪い笑みを浮かべていた。
「僕はマカロンじゃない!」
「お前はそうさ。だって髪がそうじゃないか、マカロン色」
そのとんでもない悪口を聞いた少年は
一瞬にして顔が真っ赤になった。
マカロンとは、そこの赤煉瓦の建物の〈ミール洋菓子店〉で売っている
生菓子の名前だった。
マカロンは作りたてが最高で
時間が経つごとにその美味しさは失われていく……。
殊に、一日置いたマカロンの味は最低とも言えた。
その少年の髪の毛の色は作りたてのマカロンそのものの
明るい栗色をしていた。
「お前が〈建国祭〉に行くと
一日置いたマカロンみたいに最悪になる。
今日は、大人しく部屋に居たらどうだい?」
その少年は、顔の穴という穴から火が出そうだった。
それほど赤面してしまった。
少年は思わず拳を握り締め、男の子を鋭く睨みつける。
「……なんだ、やるってのか。
ようやく《小火球》でも使えるようになったかよ」
「そんなの簡単だ」
「じゃあやってみろよ」
「学校の外では禁止になっている。校則も知らないのか」
「そうじゃなくて、出来ないんだろ?」
「違う」
「〈三等市民〉は貧乏な上に、頭も悪いもんな」
「違う!」
「違わない。じゃあやってみろよ。
《小火球》なんて、初等科で習う一番簡単な呪文だぜ?」
それから暫しの沈黙――
ついに意を決した少年の口からは、
常人には聞き取ることの出来ない
心地良くも不思議な響きを持つ〈魔法言語〉が
すらすらと漏れ始める。
周囲を取り巻いている大気が、ゆっくりと微小な変化を始めている。
それを感じ取れる者は僅かである。
魔法が発動されるのだ。
まさか……そんなはずはない……。
「だ、誰か――あ、あのバカを、すぐに止めろッ!」
『火』の魔法・《小火球》は、最下級に位置する攻撃魔法であるが
もしも男の子の服に燃え移ってしまえば
大変な惨事となる可能性もある。
それに生徒が
学校の外で魔法を使うということは許されない重大な規則破りだ。
しかし、そもそもあの少年は――
「だって、だってあいつは“あの魔法を使えるはずがない”んだもの!」
男の子の言葉は虚しく消えた。
愚かな行為を彼らは猛烈に後悔した。
差し迫った危機を強く意識して
青褪めて顔をかばい
そこに居た誰もが無意識に眼を瞑り、
そして男の子たちは、
ありったけの呪いの言葉を少年に向かって投げつけた!
「いっくぞ! 燃え上がれッ」
太古の力が息づく
人智を超えた幻想世界
白い雲海は大陸の真下を悠々と流れる
まるで無限に続くかのような白亜の海平線
そう、ここは雲の上――
恐る恐る男の子が眼を開けた時、
少年の姿は通りの何処にも見当たらなかった。
すると慌てた様子で彼らは、
体のあちこちを触って確かめる。
が、特に変化は見当たらない。
「……おい、誰かあいつを見たか?」
たぶん……と、自信なさげに手を挙げたのは、
後ろに居た華奢な体躯の男の子だ。
「あれは、きっと、『風』の魔法」
―― 人々は総じて、この世界をこう呼んだ ――
『 天上の大地 』