幼馴染み
◆◆◆
二人はどれくらい走ったのだろうか。
あんなにも二人を照らしていた太陽は、大きな木々に隠れてしまい、木漏れ日を放つ程度になっていた。
チユとラウイは汗が滴れるほど全身に流し、ヘトヘトになりながらもまだ走り続けている。
「ラウイ……さん……っ」
チユが何回も声をかけても、ラウイは返事をしない。
ふらつく足を前に進めるが、体力も限界のラウイはチユの小さな手を掴みながらその場に座り込む。
息切れをしながらも、ラウイは呼吸を整えていた。
「ラウイさん……」
チユは心配そうにラウイを見つめる。
ラウイの後ろ姿からは、哀しさが滲み出ていた。
「…………ごめん、ね」
ラウイは呼吸を整うと、そうチユに言う。
その声は、呼吸が整っているにも関わらず、まだ震えていた。
「ラウイさん……」
「もう大丈夫だよ、大丈夫……大丈夫……」
ラウイはチユに……いや、自分に言い聞かせるかのように、大丈夫だと繰り返し言う。
チユはラウイの顔をのぞき込むと、彼女の目が泳いでいた。
「ラウイさん……」
「だって、私あんなこと出来ないもの……。あんな力、無かったもの……」
小さく震えながらそう呟くラウイは、その震えを押さえ込むように、自分の肩を抱きしめる。だが、それでも震えが収まらない。
「嫌いだった。居なくなればいいって、そうも思ってた。……でもっ」
辺りはこんなにも暖かいというのに、ラウイの震えは止まらない。
言葉を発する度に、ラウイの震えが増していく。
「あれでも……あれでもっ、私の……私の、たった一人の父親なの…………」
必死に涙をこらえ、震えるラウイを見ていたチユは、震えるラウイの体をその小さい体で包み込んだ。
「泣きたければ、泣けばいいんです。大きな声を出して、言いたいこと言って……全部、全部出しちゃってください。それが、明日のラウイさんのためになるんですから」
チユの小さな体に包まれたラウイは、大きくて優しく、暖かい光に包まれたように感じた。
そのせいか、ラウイの鼻が急にツンと痛くなって、今さっきまで堪えていた涙が押し寄せてくる。
ポロポロと大粒の涙を流し始めたラウイは、大声をあげてチユの小さな胸で泣きじゃくった。
チユは優しくラウイの頭を撫で、落ち着くのをそっと待った。
◆◆◆
どれだけ泣いたのか、ラウイには分からない。
だけどたくさん泣いたことで、ラウイの心にあったわだかまりが少しだけ解れたような気がした。
すっかり落ち着きを取り戻したラウイは、近くにあった小さな湖で顔を洗う。その水は透き通っていて、とても綺麗だ。
喉も渇いたから、その水を手ですくい口に運び飲み込む。飲んでみるとその水の味は甘く、ラウイの体中に染み渡るようだった。
「こんなに美味しい水、あったんだ……」
喉を潤すラウイはみじみとそう思うと、その湖に顔を浸す。
目が腫れているせいもあるのか、ひんやりとした水の中はラウイの目に少し染みる。
水の中から顔を上げると、ラウイの銀色の髪が水を含み、キラキラと輝きを増した。
「ラウイさーん!」
後ろの方でチユの声がする。
ラウイはその場で立ち上がり、後ろを振り向いた。
「ラウイさん、木の実食べましょう! 甘くて美味しいですよ?」
チユはニコニコと笑いながら、ラウイに近付き両手にいっぱいの木の実を差し出す。
ラウイは何も言わず、その実を一粒手に取り口に運んだ。
甘い香りと甘い味、両方が口の中に広がっていく。
「美味しいですか?」
「……うん、美味しい」
チユの呑気な笑顔につられて、つい笑顔になるラウイ。
ラウイが泣き止んでから、チユはたわいもない話ばかりしてくる。
気を使ってなのか、それともただそれを話したいだけなのか。どちらにしても、ラウイにとってはそのくらいが一番楽だった。
「……色々ありがとうね」
「……? はい!」
チユは少し首を傾げたが、すぐに笑顔で返事をする。
そのチユの無垢な笑顔は、昨日遭ったことなど忘れさせてくれるようで、ラウイの心を癒した。
冷静さを取り戻し始めていたラウイは、少しずつ日が傾き始めていたことに気付く。
こんな森の中で野宿をするのは危険だと言うことくらいは、温室育ちのラウイでもわかった。
「ねぇ、チユ。ここはどの辺りかわかる?」
チユにそう聞くラウイ。
何も考えずに走って来てしまったから、ラウイにはここが何処かも解らなかった。もしかしたらチユは解っているかもと、淡い期待を胸に訪ねた。
「チユにわかるわけがないですよぉ」
チユは胸を張り、自信満々に答える。
それを聞いたラウイの目が点になり、少しの間沈黙が続いた。
「…………マズいわね」
ラウイはふうと溜め息を漏らすと、自分達が置かれた状況を理解した。
「野宿確定じゃない……」
「野宿をするんですか? チユ野宿初めてです!」
ラウイの言葉に、嬉しそうに目を輝かせ答えるチユ。
チユは野宿を楽しいものと勘違いをしていると、ラウイにはすぐにわかった。
「あんたはねぇ……」
ラウイは眉を釣り上げ、呆れ顔でチユを見る。
当の本人は、至ってあっけらかんとしていた。
「寝てる時、モンスターに襲われたらどうするのよ……」
「うーん……、危ないですね」
「だからマズいって言ってるのよ」
チユに野宿が危険だと把握させると、ラウイは頭を悩ませる。
方角を確かめたくても太陽は沈み、辺りを闇が覆い隠す。薄暗い空には雲まで出てきて、双魔月の位置すら確認出来なくなっていた。
辺りからは、モンスターの唸り声らしき音が聞こえてくる。
「チユ、せめて安全な場所まで行こう!」
チユはラウイに手を掴まれ、あの時のように走り出した。
森をあてもなく走る。せっかく落ち着いていた汗がまたにじみ出てきて、走る度に滴れる。
どこからともなく聞えてくる唸り声が、チユとラウイの耳に障った。
「どうしよう……っ!」
焦るラウイはチユの手を引き、道も無い場所を彷徨う。
周りはすっかり暗く、チユの手を離してしまったら、二度と二人は会えなくなりそうな気がした。
そんな時、風が出てきたわけでもないのに、大きな音を立て草達がざわめき出す。何かが草を掻き分け近付いて来ている。と、二人はそう感じた。
二人は足を止め、寄り添いながら周りを警戒する。その音は一ヶ所ではなく、二人をぐるりと囲むように音がする。
「チユっ……」
ラウイはとても怖くなり、小さなチユにしがみつく。
「大丈夫ですよ、絶対に」
ラウイの目が暗闇に慣れてきたのか、チユの笑顔がはっきり見えた。
音はすぐそこまで来ていた。音が近付くと共に、モンスターの唸り声も近付いてくる。
もう駄目だ。と、ラウイはそう思ってしまった。
草の中から黒い影が飛び出してきて、チユとラウイの前に姿を表す。雲の隙間から少しだけ赤月が顔を出したとき、その黒い影の姿がはっきりと分かった。
赤月の光に照らされているせいか、赤茶色の毛並みで尖った大きな耳は頭に二つ。耳と同じぐらいの大きさの丸顔にまた大きな丸い目が二つ。街中でよく見かけた犬ぐらいの大きさで、長い尾が二つ。この生物の鳴き声なのか、「プンプン」と小さく二人に向かって吠えていた。
「可愛らしい子ですねぇ……」
可愛らしいその生物を見たチユは、とっさにその生物を触ろうとする。
「駄目っ!」
ラウイは握り締めていた手を引っ張り、その生物から遠ざけた。
「どど、どうしたんですか?」
「あれに触らない方がいいわ。……本で見たことあるのよ、あのモンスター」
ラウイがそう言うと、二人を囲むようにして同じモンスター達が集まる。軽く数えても十数頭は居る。
「あのモンスターの名前は、確か『プンティアック』……。野生のプンティアックは凶暴で、爪に毒があるとか……」
ラウイが思い出していると、次第に赤月の明かりが消え、プンティアックと言うモンスター達の目だけが黄色く光って見えた。「プンプン」と可愛らしい鳴き方で一斉に鳴き始めたと思うと、次第に唸り声に変わり始める。
そのうちの一匹が、二人目掛け襲いかかってきた。
「来ないで!」
ラウイは強くそう言う。
すると襲いかかってきたプンティアックが宙を舞い、地面に叩きつけられるように落ちていく。
「あの時の力……?」
プンティアックが落ちた所から土埃が舞い、ラウイの脳裏に今日のあの出来事が浮かぶ。
(お父様を殺してしまった、あの力……)
ラウイは唇を噛み締め、深呼吸をした。
その時、仲間をやられ余計に興奮するプンティアック達が、チユとラウイに一斉に襲いかかってくる。
「来るなぁぁ!」
ラウイはチユを抱き締めながら、強く叫び念じた。
(チユと私を、守って!)
ラウイが念じれば念じるほど、周りに居たプンティアック達は宙を舞い、地面に叩きつけられていく。
辺り一面が土埃に覆われ、まるで霧が出たと思うぐらいに真っ白になっていた。
二人は呼吸すると苦しくて、むせかえる。
辺りからは虫の声しか聞こえず、唸り声は聞こえなくなっていた。
「何とかなっ……た……」
「ラウイさん?」
土埃の舞う中、ラウイは突然チユにもたれかかる。
チユはラウイを支え顔色を見ると、肌の色が蒼白に変わっていた。
「ラウイさん! 大丈夫ですか?」
「へ、平気よ……」
チユの言葉にラウイは強がり立ち上がろうとするが、力が入らずまたよろめく。
「平気じゃないですよ!」
しっかりラウイを受け止め、チユは困り果てた顔をしていた。
ラウイは「ごめんなさい」と息苦しそうに呟き、ズキズキと痛む頭に手を当てた。
辺りの土埃が落ち着き始め、周りがよく見え始める。チユは何かがぐるりと囲むように居ることに気付く。
すっかり土埃が落ち着くと、唸り声を上げ、あの可愛らしい顔からは想像出来ないような醜い顔で、涎を垂らしながらプンティアック達が近付いてきた。
辺りには、ラウイの力で無残な姿になったプンティアックの亡骸がちらほらと見える。
「あなた達の縄張りに無断に入ってごめんなさい……。でも、先に襲ってきたのはあなた達ですよ?」
チユはプンティアック達に話しかけるように言う。だがチユの言葉に耳を傾けることもなく、牙をむいて二人を威嚇している。
「どうしても許してくれないのですね……」
チユは深い溜め息を吐く。白月が雲の合間から顔を出し、チユを照らし始めた。
うっすらと目を開けていたラウイには、チユの姿をはっきりとらえることが出来た。白月に照らされたチユは、少しだけ大人びて見えた。
「……チユ?」
「大丈夫ですから、少し寝ててください」
チユはラウイを気遣い、笑いかけた。その時、チユの瞳の色が何時もの瑠璃色より赤くなっているような気がした。ふとラウイは、チユの姿が誰かに似ていると思ったが、その時には思い出せなかった。
チユが光に照らされれば照らされる程に、周りを囲むプンティアック達は怯み、後退していく。怯えた声で「クゥン」と鳴き、その殆どが居なくなった。 殆どが居なくなっても、手で数えれる数匹は残っていた。その数匹は、亡骸を眺めて悲しそうに鳴くと、憎しみと憎しみを帯びた瞳で二人睨みつけてくる。
数匹のプンティアックは唸り声をあげ、恐れもせずにチユに襲いかかる。それに屈することもなく、チユはラウイを抱えていた。そんなチユの回りに風が巻き起こる。最初は微風から始まり、段々と強さを増していく。
そんな時だった。
「馬鹿野郎! 力は使うなって、ササランさんにあれほど言われてただろ!」
何処からともなく声が聞こえたかと思ったら、チユたちの目の前に人影が現れた。その声とその人影を見た瞬間、白月の光が弱まっていくと、いつものチユの姿に戻っていた。
「よお、チユ」
かろうじて残っていた白月の光に照らされて、その人影の姿がはっきりとする。ショートよりも少し長いストレートの赤髪を靡かせ、まだあどけなさを残した男は黒い瞳をチユの向けていた。
「シデン! どうして此処に居るんです?」
「それはこっちの台詞だ! 大丈夫か?」
「私は大丈夫ですが、ラウイさんが……」
そうチユが言うと、シデンと呼ばれた男はチユの腕の中で顔を赤らめ、息苦しそうにしているラウイに気付く。
「いい服着たお嬢さんみたいだな……。気が乗らないが、事態は深刻か……。仕方がないな」
そう言いながらシデンはラウイをひょいと持ち上げ、お姫様だっこをする。苦しそうにしていたラウイは、体が宙に浮いた気がしてうっすらと目を開けた。
「あなたは、誰……?」
「自己紹介は元気になってっからだな」
ラウイにニッとシデンが笑いかける。その優しそうな笑みを見たラウイは、なんだか安心してまた目を瞑った。シデンは脚でプンティアックを退けながらチユに話し掛けた。
「チユは走れるな?」
「はい、大丈夫です!」
「じゃあ、あそこの光まで全力で走れ!」
シデンが顔を向けた方に、うっすらと光りがみえた。町の明かりにしてはやけに小さい。
「シデン、あそこが〈オーヤリン〉でしたっけ?」
「いや、違う。……あそこには母さんが居る。だから早く!」
シデンはラウイを抱えながら片足で器用にプンティアックをあしらいながら、遠くの光に向かって走り出した。出遅れたチユも、ぎこちなくプンティアックの攻撃をかわしながらシデンを追いかけた。
その光は近づくほどに明るさを増していく。チユは必死にシデンの後を着いていくと、光の場所から声が聞こえてきた。
「チユちゃーん!」
チユはその声を聞いたとたんに嬉しくなり、走る速度を速めた。段々と近付くにつれ、その光がある場所に女の人がその光を持って立っていた。
「ウィンティアおばさん!」
チユは嬉しそうに、ウィンティアと言う女の人に近寄った。チユがおばさんと呼ぶ程の年齢には見えない顔立をしている。
「チユちゃん、これもってシデンと先にいってて」
そう言うと、ウィンティアは自分が持っていた光る石『月の石』を手渡した。
「……ウィンティアおばさんはどうするんですか?」
「チユちゃん達の後ろについて着たあの子達を追っ払っちゃわないとね♪」
ウィンティアがそう言うと、追いかけてきたプンティアックの一匹が唸り声をあげながらゆっくりと近付いてくる。よくよく見ると、四人を囲うようにプンティアック達が居た。
「母さんどうするんだよ……!」
「うーん、チユちゃん達を先にいかせるのは無理かぁ……」
シデンがそう聞くと、ウィンティアが呑気に腕を組み考え出すと、プンティアックはゆっくりとチユ達に近付く。
「まっ、このまま追っ払っちゃうか!」
笑顔てそうウィンティアが言うと、そこに落ちていた小枝を掴む。小枝を掴むと、優しそうな表情が一変した。
「まさか、その小枝で『剣技』を出そうとしてないよな……?」
「うん? なんか悪いかな?」
「いや……」
シデンは顔をひきつらせて言う。『剣技』とは、その名の通り剣を使って繰り出す技なので、小枝では考えられなかったのだ。
「シデンちゃんは母親の何を見てきたのっ! 剣が使えなくても、母親の剣技は見習うべきよ」
目付きが鋭くなっていたウィンティアは、シデンの表情 を見ると急に頬を膨らませ少女のように怒りだした。その表情はとても可愛らしく、一人の母親とは思えないぐらいだった。
「わ、わぁったから、早く!」
ウィンティアが怒りだすと、慌てて宥めるシデン。だが、プンティアック達はそんな状況も待ってはくれず、周りに居る全てのプンティアックが一斉に飛びきってきた。
「みんな屈んで!」
ウィンティアの言葉を聞いたチユは直ぐに屈む。シデンも直ぐ屈むが、ラウイを起こさないように抱いたまま器用に屈んだ。
屈んで直ぐにウィンティアの目は鋭くなり、その回りの空気すら変えてしまった。重く緊迫した空気が辺りを飲み込んだ。
「はぁっ!」
ウィンティアは掛け声のようにそう言うと、右手に持っていた小枝を素早く振る。
一匹のプンティアックがチユの目の前まで迫っていた。チユは怖くても目を背けず、牙を向けたプンティアックを見つめていた。
――ドサッ。
チユが見つめていたプンティアックが、チユに覆い被さる様に落ちてきた。温かい感触がチユの顔を覆い隠す。
「……ふにゃあああ!」
ビックリしたチユは、何とも言えない可愛らしい悲鳴をあげた。チユは慌てて自分の顔に覆い被さるプンティアックを退けると、辺りを見回す。辺りには一斉に襲いきってきていたプンティアック達が、あちこちに倒れこんでいる。
「死んだのか?」
「死んではないですよ。気絶してるだけみたいです」
辺りを心配そうに見回すシデンがそう呟くと、チユが一匹ずつ様子を見てそう答える。
「流石のウィンティアおばさんです!」
「えっへん! チユちゃんもっと誉めて~!」
「ウィンティアおばさんは偉いです!」
ウィンティアは、チユの手届くぐらいの高さに頭を下げる。そそれを見たチユは、子供を誉めるかのようにウィンティアの頭を撫で始めた。それを見ていたシデンは大きく溜め息を吐く。
「そんなことを呑気にしてていいのかよ。早く家に行くぞ」
シデンはラウイを抱えながら立ち上がる。ラウイは苦しそうに息を荒くしていた。近付いて見なくても、ラウイの顔が林檎のように真っ赤になっている。
「そうね、こんな所に居たってしょうがないわ。早く家に戻りましょう」
「……はいっ!」
ウィンティアとチユがそう話すと、ウィンティアを先頭に、シデンとチユはウィンティアの家がある〈オーヤリン〉へと走った。