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『さようなら』



   ◆◆◆



 満天の星空の下、二人は無言で歩く。

 双魔月の明かりが、〈ドイル運河〉に流れる水に反射する。 

 〈ドイル運河〉に着いた二人は、ササランをそっと水面に浮かべた。二人が同時に手を離すと、水の流れに沿ってササランはゆっくりと流れていく。彼女の体はゆっくりゆっくりと水の中へと沈んで行くと、じきに姿が見えなくなった。

 ササランを見送ってから、ラウイはチユを見つめる。

 白月の光が強くなると、水に反射して辺りが輝きを増す。すると、チユの表情がはっきりと見えた。

 無表情のチユから、血の涙がポロポロとこぼれ落ちる。

 ラウイはそんなチユを見ていると、居てもたってもいられなくなり、チユに強く抱きついた。

「泣きたいときは、泣けばいいわ。あなたのそれは、ちゃんとした涙よ……」

「…………ありがとう、ございます」

 その言葉を聞いたチユは、ラウイの胸に顔を埋めてからウイに抱き付く。

 きっとチユなりに泣いているのだと、ラウイはチユの髪の毛を撫でながら思った。

「…………はっ! ラウイさんの服が、シミになっちゃいますっ!」

 チユは急にそう言うと、ラウイから離れた。一生懸命にチユは血を拭う。

「気にしなくていいのに……」

 そんなチユを見ていたら、ラウイは自然と綻ぶラウイの表情は、優しくて温かい……そんな印象の笑顔だった。

「ねえ、チユ。私、まだちゃんとした名前で名乗ってなかったわ……ごめんなさい。私はレイザーム・ラウイ・エイスルン。この街の領主、グラン・バンド・エイスルンの娘……」

 気まずそうにラウイは言った。

 ラウイとチユが住まう〈クイス〉と言う街は、貧富の差が激しい。

 街の中心部をぐるりと囲むように大きな壁があるのは、富豪と貧困層を分けるために(そび)え立ってる。

 この貧富の差を生み出したのは父親であるグラン・バンド・エイスルンであるため、ラウイはこの事を切り出せないでいたのだ。

「…………レイザーム……ラウイ……エイスルン?」

 チユはきょとんとしながらラウイを見る。

 ……本当は言うのが怖かった。あんな父親の娘だと知れたら嫌われてしまう。と、ラウイはそう思っていた。

「ラウイさんのお名前って……長いんですね。今度からレイザームラウイエイスルンさんって、呼ばないとですねぇ。……舌噛んじゃいそうですぅ」

「……へ?」

 チユが至って真面目な表情で話すから、ラウイは自分の耳を疑う。そして溜め息を漏らしてから、言葉を口にする。

「あなたは天然? ……貴族はね、第一の名前・第二の名前・そしてどこの一族の血筋かを示す苗字で出来てるの。だから、私の第一の名前はレイザーム。第二の名前はラウイ。そして、苗字はエイスルン」

「じゃあ、レイザームさんと呼べばいいのですか?」

「……レイザームって名前、大っ嫌いなの!! ……だからラウイって呼んで」

 レイザーム。

 その名前を呼ばれた瞬間、ラウイは眉間にシワを寄せた。

「では、ラウイさん。改めまして、宜しくお願いしますね」

「うん。改めまして、宜しく」

 そんなラウイの表情を察してか、チユは笑顔で言うと、ラウイも気にせずに笑顔で答えた。

 二人はお互いの右手を伸ばし、固く握手をする。

「ではラウイさん、ラウイさんのお父さんが心配してると思いますからこの辺で。今日はありがとうございました」

 チユはぺこりと頭を下げると、ラウイに背を向けてから集落の方に歩き出す。

 チユの後ろ姿を見つめていたラウイは、胸の辺りに手を添える。その手は小刻みに震え、何かを恐れているようにも見えた。

「……ない」

 ラウイは呟くように言う。その声は微かで、チユの耳にラウイの声は届どいていない。

 少しずつ離れていくチユの姿を見て、ラウイは大きく息を吸うと、腹の底から言葉を吐き出した。

「私っ、帰らない!」

 ラウイの大きな声は、確実にチユの耳に届く。

 その声を聞いたチユはくるりと振り向きいてから首をかしげて見せた。

「ラウイさん?」

「もうあんな場所、居たくない……帰りたくない…………。私は家出してきたのよ……。籠の鳥はもう嫌……嫌なの!」

 ラウイは俯きながら、力強く叫んだ。そして胸に添えていたその手で、胸の辺りの服をくしゃりと握る。

 チユの目からは、ラウイが震えてることがわかるほどだった。

「ラウイさん……」

 チユはふわりと笑ってみせてから、ゆっくりとラウイのいる場所まで近寄る。

「じゃあ、今日は家に泊まっていってください。寝心地は良くないですけど……」

 チユはそのことを理由を問い質すこともなく、満面の笑みで話した。

 それを聞いた瞬間、ラウイの拳の力が緩む。そして、俯いていた顔を上げてチユをみつめた。

「ごめんね……ワガママ言って」

 ラウイは下唇を噛む。

 自分がどれだけワガママな事を言ってるか理解はしていた。

 理由を聞かれないことに胸を撫で下ろすが、こんなに親切にしてくれているのに……と、ラウイは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「一晩寝て、心が落ち着いたら、また考えればいいんです」

 チユはそう言うと、いっそうに笑う。

 白月に照らされたチユは、余計に輝きを増す。

 優しい笑顔のチユを見たラウイの頬を、堪えていた涙が伝う。

 チユはラウイに手を差し伸べると、優しい表情で言った。

「では行きましょう、チユのお家に」

「……うん」

 涙を流すラウイは、チユに微笑み返すと、チユの手を握った。

 そして二人はゆっくりと、チユの家へも歩き出した。


 怪しく大地を照らす、双魔月の下を。



   ◆◆◆



――ぽつん、ぽつん。


『助けて、助けて……』

 不思議な声が聞こえる。

 ラウイは目を開けると、不思議な感覚に襲われた。

 自分の体が宙に浮いているのだ。

「ここは……どこ?」

 辺りは青い世界が広がる。

 下を見ると、一面に水が張り巡らされている。

 ここはどこまでも青い色をした、神秘的な世界だった。

 ラウイは辺りを見回していると、遠くに人影を見つける。

 不思議な声の持ち主なのだろうか……と思い、その人影を見つめた。

『助けて、助けて……』

 宙に浮いている体を上手く動かし、ラウイは声の持ち主であろう人影にに近付く。その人影は、青い長髪の美しい女性であった。


――ぽつん、ぽつん。


 その音は、この青い世界に響く。

 ラウイは、女性の顔をよく見た。

 女性は止めどなく涙を流しているのだ。

 彼女が涙を溢すと、下に溜まっている水に落ち、音を響かせる。

 刹那、ラウイはあの時にササランとチユが会話していた内容を思い出した。

「ササランさんとチユが話していた『彼女を助ける』って……あなたなの?」

 そうラウイが聞くと、女性はラウイに赤く燃えるよう瞳を向けた。

『助けて……、助けて、ラウイ』

 女性はそう言うと、いっそうに泣いた。

 白い光が辺りを包み、ラウイは女性の姿が見えなくなっていく。

「待って、待って! 貴女の名前を教えて!」

 眩しく輝く中、ラウイは必死に女性に問い掛けた。

 光はさらに増し、辺りを包み込んでいく。


『私は……フェンス』


 それを聞いたラウイは、その温かい光に包まれていった。



  ◆◆◆



 鳥のさえずる声がする。

 小さな布団にチユと二人で寝ていたラウイは、先に目を覚ました。

「夢……だったんだよね」

 ラウイは上半身を起こすと、チユとラウイに掛かっていた布団も一緒に起き上がる。

「ん……、お母さん、朝ですか……?」

 目を擦り、チユも目を覚ました。寝ぼけた顔をしながら、チユは辺りを見回す。

「あれ、ラウイさんでした! ごめんなさい!」

 隣にいるラウイの顔を見ると、目がまん丸になる。そして、慌ててチユはラウイに土下座をした。

「そこまでしなくても……」

 そんなチユの姿を見ていたら、ラウイはふっと笑ってしまった。

「ねえ……チユ。私、夢を見たの。青い長髪の、赤い目をした女の人が『助けて』って」

 ラウイは目を瞑り、あの光景を思い出す。

 青い世界に、水が落ちる音。

 神秘的な声、姿をしていて、常に泣いている女性。

 なるべく見たままのことをチユに伝えた。

 チユは土下座の状態から体を起こし、手をぽんっと叩いた。

「あ……。チユがよく見る、助けてさんの夢と全く同じですね……」

「やっぱり。私、名前まで聞いたの。彼女、フェンスって言うんですって」

「フェンスさん……?」

 ラウイは、昨日から目まぐるしく起きた事を整理する。

 ササランが言っていた「運命」や、「チユを見守る」、「貴女が鍵」。……そして、フェンスと言う女性の夢。

 ラウイには、これらが繋がっているような気がしてならない。

「ねえ、チユ。昨日ササランさんと話していた事なんだけど……」

 ラウイは謎を解こうと思い、チユに問い掛けようとした。

 ……その時だった。

 家の外に居る人々が騒がしい。

 それに気付いたラウイは胸騒ぎがした。

 ラウイは、昨日言っていたササランの一言を思い出す。

「……貴女のお父様、『今日は』探しに来ない……」

「ラウイさん?」

 ラウイは自分自身を抱きしめると、小刻みに震え、瞳孔が開く。

「早く……早く、早く、ここから!」

 突然ラウイは立ち上がり、チユの手を強引に掴み出入り口の扉まで走る。

「ラウイさん! 痛い、痛いです……」

 チユがそう叫んでも、ラウイの耳には届かない。

 勢いよく扉を開けると、集落は人々で溢れかえっていた。

「レイザームお嬢様だ!」

 一人がラウイの姿を見てそう叫ぶ。

 他の人々もその声を聞き、ラウイ達に視線を向けた。

「探したぞ、レイザーム」

「お父様……」

 人と人の間を分けるように、ラウイの父、グラン・バンド・エイスルンが現れる。

 父親の姿を見ると、ラウイはより震えた。

「部落の子供にたぶらかされおって……」

 グランはふんと鼻を鳴らし、チユを見下す。

「……やめて、チユに何もしないで」

 ラウイは震えながらも、グランを睨み付けた。

 その態度を見たグランは、顔を歪める。

「この親不孝者め」

 そうグランは言葉を吐き出し、ラウイの頬を殴った。

 ラウイは、殴られた勢いで倒れ込むと、ヒリヒリと痛む左頬を手で押さえる。

「やめて……」

 グランはチユに近付き、首を絞め、持ち上げる。

 チユの首は小さくて細く、グランの大きな手なら片手で首を絞めれる。

「がっ……」

 その光景を見たラウイの瞳孔は更に開く。目に涙が溜まり、視界がよく見えなくなってくる。

「やだ……お願い……お願いします……。私、私……良い子にするから……やめて……やめ……て……」

 ラウイの震えは止まらない。その紫色の瞳に溜めた涙も、ポロポロと流れ落ちる。

 止めたくても体が動かず、ラウイは下唇を噛む。

「死ん……うよ……やめ……」

「部落の子供が一人死んだところで、この世界に支障ない」

 チユの首を絞めながら、グランはそう言い捨てる。

 ラウイの呼吸は乱れ、言葉すら上手く発せなくなっていた。

 刹那、ラウイの頭の中に、あの夢で聞いた水の落ちる音が響く。


――ぽつん、ぽつん。

『私の代わりに、チユを守って』


 ラウイの頭の中に、神秘的な声が響いたその瞬間だった。

「な、なんだ……手が勝手に……」

 チユの首を絞めていたグランの手が勝手に動き、チユの首から手を離す。

 チユはそのまま下に落ちる。

「ゴホッ……ゴホッ」

 チユは一生懸命、肺に空気を送り込む。

「何が起こってるんですか?」

 何故首を絞められ、何故ラウイは動揺してるのか、チユは状況を把握出来ないでいた。

 チユは大きく深呼吸をしながら、近くに倒れ込むラウイを見る。

「……なんか、……いいんだ」

 ラウイは、何かの呪文を唱えるように呟いた。

「あんたなんか、死ねばいいんだ。あんたなんか死ねばいいんだ。あんたなんか死ねばいいんだ、あんたなんか死ねばいいんだ!」

 その声は次第に大きくなり、ラウイはゆっくり立ち上がるとグランを見た。

「なんだと」

 グランの顔がまた歪む。

 ラウイの目は瞳孔が開ききっており、震えていた体はいつの間にか止まっていた。

「このっ」

 グランは、またラウイを殴ろうとする。が、殴ろうとした手に激痛が走った。

「うあああ!」

 グランの指が、曲がらないであろう方向に曲がっていたのだ。グランは、指が折れ曲がった手をもう片方の手で押さえた。

「今さっきから何なんだ……」

 苦痛に耐えるグランは、状況が理解できないでいた。

 そんなグランにラウイは少しずつ近付く。

 グランはまじまじと、娘の顔を見た。

 自分の娘を見ただけなのに、本能的な恐怖がグランを襲う。

 ラウイの目に光は無く、無表情で「死ね」と繰り返し呟いているのだ。

 グランの体は震え始め、その恐怖の原因からなるべく離れようと後ずさる。

 少し離れても、その光の無い目はグランを捕らえて離さない。

「ひ……」

 無表情なラウイは、口を動かし何かを言った。声を発していなかったので、チユや周りの集落の人間には何も聞こえなかった。


『さようなら』


 グランの頭の中に、ラウイの声が響く。

 ……それは一瞬だった。

 グランの体が宙を舞い、決して人が生身で行くことのない高さまで浮き上がる。そしてグランは声を発することも出来ず、地面に叩きつけられるかのように落ちたのだ。

 土埃が舞い、グランの姿は確認できない。

 その辺りからうっすら見えるのは、真っ赤な血溜まり。

 次の瞬間、集落の人々は悲鳴を上げた。

 理解に追い付かないチユは、ラウイに近付く。ラウイの顔を見ると、顔は青ざめており、目には光が戻っていた。

「ラウイさん……?」

 そうチユが声をかけると、ラウイはチユを見た。

 その瞬間、ラウイはチユの手を取り、土埃に気を取られている人々の目を回くぐり、集落から抜け出す。

「ラウイさん……、痛いですよ……!」

 ラウイの手に力が入り、チユの手を強く握る。それでもラウイは足を止めない。

「ラウイ……さん?」

 ラウイに手を引かれ、必死に走るチユは、ラウイの後ろ姿を見た。

 ふと見れたラウイの顔。その目から、沢山の涙が流れていた……。


 そんな二人を、太陽は容赦なく照らすのだった。


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