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ある妖の真情

作者: イピリア

初投稿です。

温かい心と目でお読みください。

私は雪深い山中に住まう妖であった。


ある冬の日、人間の男を拾った。

吹雪に惑わされて山奥へ迷い込み、遭難したようだった。

まだ、息があったが、このまま放置しておけば冬を越す獣の糧となるだろう。

それが自然の摂理。

助ける義理もない。

男から離れたようとした。

けれど、男は私の手を掴んだ。

焦点の合わない眼が向けられる。口が開かれるが言葉はない。

そのまま事切れるように男は意識を失った。


私は男を助けた。


数日後。

男はまた、遭難しかけていた。

懲りていないのか、物覚えが悪いのか。

助けた早々に死なれても目覚めが悪い。

仕方なく、男の前に現れて道案内をした。

「先日、助けてくれたのはお前か?」

男はおぼろげに私のことを覚えていた。


それから、男は用もないのに幾度となく山へ入ってきた。

そして、懲りずに道に迷う。

その度に私は男を麓まで案内しなければならなかった。


男は私を山人さんじんだと思っているようだった。

良く喋る男は返事がなくとも麓の村の様子や稲作の実り具合、家族の話をとりとめもなく喋った。

「お前の家族は?」

妖に家族などある訳がなく「一人だ」と答えた。

それ以来、男は家族の話をしなくなった。


幾つかの季節が過ぎて、変わらず山にやってくる男は唐突に言った。

「山を下りて、俺と暮らさないか。……俺と夫婦になって欲しい」

この時の私の顔は、そうとう間抜けなことだっただろう。


力は弱くとも、人の姿をしていようと、私は齢数百年の妖。人間と暮らせる訳がない。

何より、私は雪の妖であった。

夏でも秋のような気候を保つ山中であるから消滅せずにいる。

麓に下りればたちまち水となって消えるだろう。


当然の如く断った。

それでも男は食い下がった。


「こんな山奥に女一人で生きるのは難しい。村ならば皆、手助けしてくれる」

「必要ない。これまで一人で生きてきた」

「でも、これからもそうできるとは限らない」

「素性の知れぬ女をそう易々と受け入れまい」

「時間をかければ受け入れてくれる」

「――妖でもあっても?」


男は目を見開いて、言葉を失った。


「私は妖だ。古くからこの山中で生きてきた。ただの人間の女が一人山中で暮らせる訳なかろう」


妖であることを見せ付けるように、霧になって男の前から姿を消した。


もう、男は山へ入ってはこないだろう。


これまでずっと一人だった。

山の獣は勿論、他の山怪も近寄らず、言葉を交わす相手など居はしなかった。

声を出すことはおろか、声があることさえ忘れかけていた。


さみしい

そんな感情があることを初めて知った。


けれど、これまでのように時が過ぎれば忘れるだろう。

あの男も。




――男はまた、山へやってきた。

幾度となく草に足を取られ、小枝で肌を傷つけながら、呼ぶ名を告げなかった私を探し歩き回る。

月が姿を現しても、姿を現さない私に、男は虚空に向かって声を上げた。


「妖でも構わない。俺は、お前が好きなんだ。お前の一番傍に在りたい」


うれしい

そんな感情が自分にあることを初めて知った。


私を抱き締める男の腕は、ひどく熱かった。




男の望む通り、山を下りて男の村で夫婦として暮らした。

予想通り、余所者に村の眼は厳しかった。

けれども、時が過ぎれば村の人間の眼も和らいだ。

初めて人間の中で暮らし、わずらわしいこともあったが悪いことばかりでもなかった。


私は不生女うまずめを装った。

人間と妖の間に子ができるかは知らないが、できた子の先を考えれば、それが良いように思えた。

子のことで男とは何も話し合わなかったが、男は何も言わず、一緒になった翌年に孤児を引き取った。

その後も男と私は身寄りのない子供を引き取って育てた。


幸せだった。


けれども、それが長く続かないこともわかっていた。




私は雪の妖。


男の腕に抱かれる度に


子供を腕に抱く度に


人間の熱がこの身を焦がして弱らせる。




とうとう、起き上がることもままならぬほど身体は弱った。

男は詫びた。

唯一、私の正体を知り、けれども雪の妖であることを知らぬ男は、私を人里へ連れてきたことを詫びた。

自分が山で暮らせば良かったのだと泣いた。


子供も泣いた。

私が実の母でないと知りながら母と呼び、死ぬなと泣いた。

たくさん食べて良くなって、と多くない自分の食い扶持を寄越しながら泣いた。


肌に落ちる涙すらも熱く、この身を焼いて弱らせる。


けれど、辛くはなかった。


私は私が愛する人の熱で逝くことができる。

人を愛した雪の妖にとって最上の喜び。

なんと私は幸せだろう。


けっして叶わぬ口約束を子供と交わす私の顔は、ひどく緩んでいたことだろう。




もう、駄目だろうという晩。

男は私を抱き締めた。

そうすることが私の寿命を縮めると知らずに。


最後の一時まで、男は私の傍に在ろうとした。

私も最後の一時まで、男の傍に在りたかった。


愛する者の腕の中で逝ける幸せ

男が謝ることはひとつもない


「     」


男に応えて人里に下りたことに一片の後悔もない。


けれど、水と消える前に私の言葉が男に届いたかが唯一気がかりだ。


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