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第三話「路地裏にて」

 僕は、電柱に寄り掛かって体育座りをしていた。

 腕時計を見ると、六時四十分。太陽は半刻ほど前に地平の下へ沈んでしまっており、辺りはすでに薄暗い。この付近には民家しか見当たらないせいで、ネオンのような光源がまったくと言っていいほどなかった。おかげで、見えるものと言えば、明かりが漏れている家やマンションの窓ガラスくらいのもの――――ただ、僕の真上には蛍光灯があるため、この周囲だけは十二分に明るかった。

 僕は、とうに一時間以上こうしている。

 いい加減、コンクリートの硬い地面のせいでお尻が痛くなってきていた。しかしだからと言って、立ったままでいるのもそれはそれで辛い(最初の二十分は僕も立っていたのだが、足が痛くなってきたために地べたに座りこんだのだ)。一体全体何がために僕はこうしているのか自分でもよくわからなくなるが、ある種の諦めのような感情と共に、僕はここで独り〈待っていた〉。

 本日は四月の第四土曜日であり、何の変哲もない週末である。僕も今日は十時まで寝ていたし、朝食と呼べるのか微妙な食事を食べ終わったのは十一時半だったし、その後もだらだらと寝転がってマンガを読んでゲームをしておやつを食べてという日中を過ごしていた。一昨日に僕は十六歳の誕生日を迎えているが、今日は特に何の記念日でもない。本日何か特別なことがあるというわけでもなく、今日を境に何かが変わるというわけではないのである。

 しかし巷では、今日という日を少しばかり騒ぎ立てていた。

 テレビや新聞や雑誌なんかでは、二週間ほど前から、まるで年末のカウントダウンの如く、今日が訪れることを待ち構えていた。直接の関係者は恐れていただろうし、無関係者はおもしろがっていただろうし、メディア関係者なんかは待ち望んでいたのかもしれない。それぞれがそれぞれの立場で、今日という日を待っていた。そう――


 ――今日が、怪盗『砂時計』の予告日なのである。


 そんなわけで僕は、夕方四時頃に我が家を訪れた南川に、半ば無理やり部屋から引っ張り出されたのだ。

 快適なマイルームにしばしの別れを告げ、身銭を切ってここまでの電車賃を払い、美術館の最寄り駅にたどり着いたのは夕方四時半。電車を降りるや否や、さながら福袋目当ての来客が集中した年始のデパートのような人ごみが目に入り、僕は思わずのけぞってしまった。

 美術館以外に目立った集客施設もない田舎駅だというのに、やたらと人がごった返していたのである。ここに来たのは初めてだったが、この人ごみが完全なる場違いであることは容易に見て取れた。狭いホームに百人を超える人が立ち往生しており、改札を出るのも一苦労だった。おまけに半分以上の人が手に何かしらのカメラを持っていて、彼らの目的がみな怪盗『砂時計』であることは誰にだって一目瞭然だった。

 人の波をくぐり抜け、駅から徒歩五分の場所にある美術館の入口にたどり着くと、南川はさっそく、


「よし、じゃあ、お互いの持ち場へばらけよう。……いいか? ちょっとでも怪しそうな奴がいたら、とりあえずそのカメラに取っておけ。もしそれっぽいと判断できそうだったら、すぐに俺に電話しろ。わかったか? じゃあ、ほれ、早く行け」


 と、僕を付近のマンホール十五個の見回りへとけしかけた。

 ……というか、南川にこんな命令口調で指示を受けるいわれなんて、僕にはまったくない。あるわけない。いっそこのまままっすぐ家に帰ってやろうか――――とも思ったが、そうなると、僕がわざわざこんなところまで来た意味がわからなくなる。理由が分からなくなる。そんなわけで僕は、地図を片手にそれらのマンホールを一通り見て回ってはみたのである。

 ――が、さすがに南川の言いつけ通り何周も巡回する気にはなれない。

 だからと言って南川を独り見捨てるわけにもいかず(明日学校で南川に何を言われるのかわかったもんじゃない)、僕は仕方なく『ここ』に来て、座りこみ、時間が過ぎるのを待っているのである。

 さすがに、一時間座っているのは手持無沙汰だった。

 携帯ゲーム機でも持ってくりゃよかったと後悔したが、先に立たないからこその後悔であり、帰って取ってくるわけにもいかない。しょうがなく電柱に寄り掛かりながら、僕は手元のパンフレットを見た。

 南川が買ってきた、あの美術館のパンフレットである(余談だが、怪盗『砂時計』に狙われた美術館のパンフレットは、予告が公表されて数日のうちには大体完売してしまう。なので、このパンフレットも現在結構貴重なのである)。

 表紙にでかでかと、黄金色の水差しの写真が載っている。目映い――――というよりも眩しいくらいに光り輝いた光沢。その表面には至極微細な白鳥が描かれている。くちばしから尾っぽまで、ぶれることない滑らかな曲線で記された絵。もはやそれだけで、絵画と同じくらいの価値がありそうなものだ。この写真でも、視線を合わせると、僕ですら数秒は目が離せなくなってしまう。

 ……ここまでのものなら、そりゃあ『砂時計』だって欲しがるだろう。

 本物を見た時の感動なんて、これの比ではないだろうし。

 残念ながら、僕はその本物を見たことがない。今もまだあの美術館に置いてあるだろうけれど、本日は緊急閉館。チケットを発売していなかった。……まあ、当然だ。本日中に盗難があるっていうのに、悠長に商売なんてしてる場合じゃない。スタッフも警察も、何とかこの水差しを守りきろうと必死に走り回っている最中だ。

 しかし恐らく、今日中にあそこからなくなってしまうだろう。

『砂時計』に目をつけられた時点で、それはもはや確定事項。

 どうせなら僕も、一度くらい間近で見とけばよかった……。

 少しばかり後悔しながら、僕はパンフレットから視線を外した。そしてそれをカバンにしまいながら、考えを戻す。ついさっきまで僕が考えていたこと。一時間弱、ずっと一人で考え込んでいたこと。電柱に寄り掛かかったまま、ずっとふけっていた思考。考えに考えに考えていたこと。つまり――


 ――橡彩さんのこと。


 先日佐々谷に言われたことが、思いの他僕の内面に食い込んでいた。そのセリフを一通り反芻してみるが、彼女の言い分を完全に理解できてしまうし、納得してしまうし、反論の言葉が見つからない。反論できない。覆せない。つまるところ、それらの注意と忠告が正しいということ、彼女の結論――――『橡彩と僕が結ばれるなんてことは確実にありえない』という結論が、僕をしても〈真実〉で〈現実〉だということに他ならない。

 佐々谷の問いかけが、今も耳に残っている。すなわち――


 ――彼女のため、『僕にできること』があるのか?

 ――『僕にしかできないこと』なんてあるのか?


 そもそも、橡さんのためじゃなくても、僕が誰かのためにできることなんて何かあるのだろうか? 他人に誇れるようなものがあるのだろうか? 他の誰にも不可能で、世界でただ一人、僕だけに可能な事象なんてものがあるのだろうか? そんなものが一つでも存在するのだろうか?

 僕は、橡さんのように人を楽しませることなんてできない。南川のように、女子を虜にできるルックスを持ち合わせていない。佐々谷のように(南川のことは置いておくにしても)筋の通った性格はしていない。鷹野のように優しい柔和な性格はしていない。

 じゃあ、他に何があるだろうか? 他に何かあるだろうか? 一体、『僕にできること』は、『僕にしかできないこと』は――


 ――と、その時、後方から足音が聞こえてきた。


 こつりこつりと、等間隔で。焦燥感も倦怠感もない、まるで散歩のような、呑気で優雅な足取りだった。

 そして十五歩目を歩み進んだところで、僕の横にのそりと影ができた。

 僕は首をわずかに回し、〈そいつ〉の風体を視界の端に捉える――――〈そいつ〉は、こげ茶色のジャケットに黒のジーンズ、黒い革靴をぴしりと着こなしていた(光量が光量だけに、正確な色合いまではよくわからないが)。上背が僕より少し高いことや骨格がやや逆三角であることから、〈そいつ〉が男であることも見て取れた。そして、夜だというのにサングラスをかけていた――――もちろん服装こそ違っているが、僕はこいつのこの風体に見覚えがある。体格にも、顔の輪郭にも、おぼろげな記憶がある。

〈そいつ〉はふっと僕に気付き、僕を見降ろして、


「……やあ、君、そんなところで何してるんだ?」


 やはり、何となく聞き覚えのある声で、そう僕に問いかけてきた。

 僕は顔を上げることなく、何ともないような声音で答える。


「…………出待ちです」

「出待ち? ……って、誰の?」

「怪盗『砂時計』の、です」


 僕の発言に呼応して、〈そいつ〉がひゅうと息を吸い込んだのが聞こえた。そしてグラサン越しにまじまじと僕を見てきて、


「…………どうしてまた、こんなところで待ってるんだ? 〈奴〉が現れるっていう美術館は、もっとずっと西の方だよ?」


 言いながら、〈そいつ〉は西の空を見上げる。


「ほら、ここからでも見えるじゃないか。あっちの空がやたらに明るい。警察やら何やらが厳戒態勢を敷いてるせいで、ライトが四方に照らされてるんだ。『砂時計』に会いたいなら、もっとあっちの方に行かないと――」

「確かに、美術館の周辺を張ることも必要なんでしょうが」


 僕は半ば強引に、そいつの言葉に被せるようにして言う。


「しかし、それは警察が公共機関であることのデメリットでしかないですよね。今までの五年間、怪盗『砂時計』がどうやって盗みを働いてきたのか、その手法がわかっていない。どう考えても、誰が考えても、どうやったって物理的に不可能な犯罪だ。それを一生懸命、物理的に解釈しようと躍起になっている。物理的に解釈しなければならない。……本当に、本当に本当に、辛いところですよね」

「……どういうことだい?」

「怪盗『砂時計』は物理的解釈が困難な手法を用いている――――ならば、〈怪盗『砂時計』は物理法則をある程度無視できるんじゃないか〉って前提に立ってもいいと、そう思いませんか?」


 僕は視線をかすかに〈そいつ〉の方へ向けた――――が、〈そいつ〉は口をへの字にして黙り込んでいる。

 僕は構わず言葉を続け、


「……ふふ。そうですね。警察がそんな前提に立てるわけもありませんよね。警察は公共機関として成り立っている。国、あるいは国民に説明ができないような捜査にお金と人を投入できるわけもありません。そんな非科学的な前提を元に捜査を行えるわけがない。そんなのは考えるまでもないことです」


〈そいつ〉は一向に言葉を発しない。発しようとしない。

 僕はそれを気にすることなく、


「しかし、僕なら――何の責任も咎もない高校生たる僕なら――そういう論拠に基づいた行動をとることができる。……ふふ、逆に言えば、僕なんかにしかできないでしょうね。おおよそ、あそこの美術館で盗みを働いた人間が、最も現れるはずのない〈こんな場所〉に網を張る、なんてことは」


 暗闇の中、〈そいつ〉が口元にうっすらと笑みを浮かべたのが見えた。


「ここは、あの美術館から一キロも離れている。警察の警備網の範疇外です。おまけに、僕の後方の路地。この先は行き止まり。数年前に潰れた町工場があるだけです。用があってここに入る込む人なんていませんし、ここから出てくる人ならなおさらです」


 僕は唇を湿らせ、話を続ける。


「そして逆に、あの美術館から一キロの範囲内で、ここまで人気がない場所もありません――――もし、怪盗『砂時計』に〈他人に気付かれることなくある程度の距離を移動できる能力や手段がある〉としたら、そいつはこの場所まで来るんじゃないか? ここにたどり着いて安堵するんじゃないか? そう考えても、考えすぎでもないと思いませんか? 逆に、怪盗『砂時計』がわざわざ予告状を送りつけるのは、できる限り警備を現場に集中させるため、できる限り一キロ離れたこのような場所から、周囲の視線をそらすため――――そう考えるのも、ある意味自然だと思いませんか?」


 ちらりと目線を上げ、〈そいつ〉に問いかけてみたが、ノーリターン――――僕は仕方なく言葉を繋いで、


「…………ふふ、いや、そうですね。これだって、確率で考えれば、そこまで高いものでもないでしょう。他の可能性だっていくらでもあります。僕も、よくて十パーセントくらいだと思ってました。そこまで期待していませんでした。だからこそ、一緒に来た友人すらここに連れては来なかったわけですからね。もし『砂時計』がここに現われなかったらそいつに怒られてしまいます。『こんなくだらない推測で、折角のチャンスを無駄にさせやがって』ってね。僕はそっちの方が嫌だった。そっちの可能性の方が高いと思っていた。圧倒的に高いと思っていました。……けど、そんな低い確率に賭けることができるのもまた、僕が高校生である特権でしょうね」


 僕は自嘲気味に笑いながら、ここでようやく一息ついた。

 僕の斜め後ろに立ち、腕組みして僕の話を聞いていたその男は、ふむと頷き、


「で?」


 と、尋ねてきた。


「思わず聞き惚れてしまうほどの素晴らしい考察を披露してもらったけれど、それで、君はどうするんだい? 俺を捕まえるとでもいうのかな?」

「いえ、別に」


 僕は肩をすくめ、何ということもなく答えた。


「残念ながら、僕は運動神経がからっきしでしてね。スポーツテストでブービーを取ることが高校三年間の目標になってるくらいです。なので、力づくであなたをどうこうすることはしませんし、できません」


 僕は再度、とすりと電柱にもたれかかる。


「他の誰かにこの考察を放してみたところで、それを証明することはできません。証拠がありません。それは即ち、あなたを捕まえるための助力を得られないということ。手段を集められないということ。……僕にあなたを捕まえることは不可能です。なので、どうぞ、このままご自由にしてください」

「そうかい、そりゃよかった」


 その男はふふっと笑うと、再びすたすたと歩き出した。そして、六歩ほど進んだところでくるりとこちらを振り返り、


「……なるほどねえ、確か〈それ〉は、見覚えがある服装だよ。何となくだけど、合点がいった。……ふふ。それじゃ、さようなら。五月とはいえ、夜はまだ寒いから。風邪を引かないようにね。それじゃあ、また会えるといいね」


 そう言って、〈そいつ〉は住宅街を歩き去っていく。周りが暗いせいで、その後姿はすぐに見えなくなってしまった。


「……ふー」


 僕はため息をつき、電柱にもたれかかる。もたれかかりながら、顔を夜空へと向ける。三日月はかろうじて見えたが、星は見えない。空が警察の照明に照らされているせいだ。

 僕はよっこらせと立ちあがった。そして、あの男が去っていった方向を見やる。見やりながら、思う。


『僕にできること』とは何か?


 ――怪盗に出会えること、くらいだ。

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