第二話「教室にて」その一
「加賀原、お前、何で昨日来なかったんだ?」
我が二年三組の教室にて、昼休憩のチャイムが鳴り終わるか終わらないかの頃合、茶髪を耳下まで伸ばしている、色白で女顔の男――――南川は、弁当を握り締めながら僕の横の席に移動してきて、開口一番、いきなり僕を糾弾してきた。
「放課後、図書室で作戦会議を執り行おうって言っただろ? 俺はずっと待ってたんだぜ? おかげで、俺は一人で三十分待ってたんだから。勉強するわけでもないのに読書するわけでもないのに図書館で一人ぼっちとか、切ないったらありゃしない。……まったく。ほんと、何で来なかったんだ?」
「……強制連行されたんだよ」
僕は自分の弁当の包みを広げながら、ため息交じりに答えた。
「はあ? 強制連行? ――――って、お前何か犯罪でも犯したのか?」
「いや、僕は無実だ。つまるところ、拉致にも似た状況だったのかもしれない」
「はあ、そうなのか。まあ、無事なようでなによりだ。……つか、お前の犯罪の話はどうでもいいんだ。コイントスでコインが真横に立つ確率くらいどうでもいい。俺達が追ってるのは、もっと重大な犯罪者だろ? ここで話題にすべきはそっちだ」
ハンバーグを口に運びながら、パクパクペラペラと器用に話を続ける南川。
「昨日できなかった分、今から会議を進行させようぜ。期限は一週間後に迫ってるんだから。それまでに作戦を考えなけりゃならねえ。一刻を争うんだよ。だから、ほれ、早く案を出せ――
――どうすれば怪盗『砂時計』を捕まえることができるのか?」
南川は、左の掌でべチンッと机を叩きながら言ってきた。
この発言が南川流のジョークであるとか、はたまたこの『怪盗』なる単語が『解答』とか『解凍』とか実は僕の勘違いであるとか、そんな一縷の望みを託しながら、僕は南川のその顔を見返した――――が、至極残念なことに、南川はいたって真面目な表情のまま、その二重の眼でまっすぐ僕を見つめてくる。両の黒目に『本・気』と浮かび上がってきそうなほどの眼光である。
僕はため息を吐き、半ば冷めている白米を口に運びながら、
「……ちゅうか、何度も言うように、そもそも僕達に『砂時計』を捕まえられるわけがないだろう? 警察だってこの五年間取り逃がし続けてるんだから。何の能力も知識もない高校生にできるわけがない」
「諦めたらそこで終わりだろ!」
机を拳でドンと叩きながら叫ぶ南川。……つか、この机は僕のなんだから、もう少し労わってくれ。
「警察が手も足もでないからこそ、俺達の出番なんだろうが! 世界中の芸術品をことごとくかっぱらっていく泥棒! 日本の名を汚す怪盗! こいつをどうにかしないことにゃ、安心して美術品鑑賞できやしない!」
南川は僕の机をツバで汚しながら言い聞かせてくる。
……ああ、もう、どうしてこいつは〈こう〉なのだろうか? あの高飛車な佐々谷がお熱になっていることからもわかる通り、こいつのルックスは学年屈指のものだ。眼も鼻も口も輪郭もすべてがすっきりすらっと収まった、男も女もこれぞ理想といわしめるほどの顔立ちなのである。女友達を作るのにはまず苦労しないだろう。素直にガールフレンドと遊び興じる高校生活を送っていれば、もっと幸せになれるだろうに。
――なのに、なぜかなぜかなぜなぜか、こいつは怪盗『砂時計』にご執心なのである。
この怪盗『砂時計』というのは、近年日本全土に出没している大泥棒で、美術館に侵入しては美術品を盗み続けている犯罪者である。その盗難の手法は至極高度らしく、完全に締め切った館内にも簡単に侵入するし、ショウケース以外には何も痕跡を残さず中身をかっぱらって行くそうだ(噂では、ショウケースを映している監視カメラの映像も、ある瞬間を境に〈壊されたショウケース〉と〈空になった展示台〉を映し出すというもので、画像解析ですらまったくわからないらしい)。こいつが一体どんな手を使って美術館の中に進入しているのかさえ謎だという。警察も色々な最先端の科学的捜査を行っているが、一向に成果が上がらず、こいつは超能力者の類なのではないかという噂まで広がっているくらいなのだ。
――あるいは、この怪盗が有名になったもう一つの理由として『予告状』がある。
どの漫画にインスパイアされたのかは知らないが、この『砂時計』は美術館に「いつ」「何を」盗むのかを記した『予告状』を送りつける。そして、そこに書かれている通りに盗みを犯すのである。予告されてるんだから警備も万全のはずだが、やはりこいつはその警備網をかいくぐり、美術品を盗み出していくのだ――――ちなみに、この『砂時計』なる名称も、この予告状に砂時計の絵が描いてあったことから名付けられたものである。
盗みが成功するたびにその美術館の係員や警備員なんかが疑われたりしているが、結局最終的にはその人達も全員シロであるという結論が出る。そして外部犯以外に容疑者はいなくなる。しかし、盗難が可能な外部の人間というのがまったく見当たらない。見つからない。かようにして、怪盗『砂時計』は捕まらないまま、この五年間、盗みを繰り返しているのである。
そして、この二枚目男南川準と僕の接点も、この怪盗『砂時計』なのだ。
美術品鑑賞マニアである南川は、僕と知り合う以前から一人で『砂時計』を追っていたそうだ。犯罪予告がニュースになるたび、現地に赴いて一人黙々と捜査を重ねていたらしい。しかし、その捜査もまったく前進せず、盗難の頻度が増すばかりで、そろそろ協力者の一人でも欲しいと思っていたところに――――今年度から同じクラスになった僕が、こいつに、何ともなしに言ってしまったのである。
「……僕、中学の頃にこの『砂時計』とすれ違ったことがあるんだ」
と。
そこに、南川は食いついてきた。
そして、僕を強引に引き込んできた。
僕だって怪盗『砂時計』に興味がないといえば嘘になる――――が、その度合いはあくまで興味程度。捕まえたいと切に願うほどではない。僕は、こんなわけのわからない犯罪者のために週末を潰す気はさらさらないのである。
だのにこの南川は、自分から『砂時計』の話を振ってきた(誤って振ってしまった)僕を、水を得た魚のように引き込んできた。犯行予告があるたびに何かしらの作戦を勝手に立案し、僕を無理矢理引き連れて予告現場に赴くのである。
――そして現在も、隣県の美術館に、来週の金曜を予告日とした予告状が届いたものだから、南川は躍起になっている最中なのである。
南川は沢庵をパリポリとかじりながら、
「……先週の日曜にこの美術館を下見してきたんだが、やったらと広いところだった。んでもって、周りは四メートル近いレンガの塀が囲ってて、とても人間が越えられるようなもんじゃなかった。超えるには何かしらの道具が必要だろう。空を飛べるような何かが、な。恐らく警察も、空中からの進入を考えてるんだと思う」
僕のくたびれた表情に気付かないのか無視しているのか、南川は昼食を口に運びながらトクトクと話し続けている。
「しかし、俺はそこが『砂時計』の狙いだと思うんだ。つまり、警察の目を空中に向けさせておいて、それとはまったく別の場所から進入する。『砂時計』はそれを企んでると考えられる。空中とはまったく別の場所――――つまり地中だよ!」
いい加減僕は南川の発言をすべて聞き流しているのだが、その僕の心境に南川はまったく気付いてくれない。どころか、テンションがどんどん上がっていく次第で、
「てなわけで、今度の捜査じゃあ、付近のマンホールを監視しようと考えてる。恐らく『砂時計』はそのマンホールから地中に入って、地下から美術館に侵入するに違いない。というわけで、南側と北側のマンホールを俺達で手分けして監視することになるわけだ。……ほれ、これがその美術館付近の地図だが、まず俺は――」
ずいっとA4の紙切れを差し出してくる南川。そこには美術館を中心とした二千分の一の地図が印刷されており、さらに十数個のバッテンが書かれている。恐らくこれがマンホールの場所を表しているのだろう。ようは、南川は日曜に美術館周辺を歩き回り、マンホールがある場所を全部調べてきたのだ。まったく、よくやる……。
「というわけで、お前も、明後日までにこの地図とマンホールの位置をすべて頭の中に入れておくように。あと、当日は夕方五時半に駅前集合だからな。遅れるなよ」
そう言って、南川は弁当を包みにしまいながら(いつの間に食い終わってたんだ?)「じゃ」と僕の席から離れていった。最終的には何だか命令口調で宿題を出してきたが、一体どこに僕がこいつに命令されるいわれがあるのだろうか? 僕は一度も捜査を一緒にしたいと言った覚えはないのに……。
そもそも、僕だってそこまで暇じゃないんだ。僕は現在、悩み多き年頃たる十六歳なのである。怪盗『砂時計』のこと以外にも、悩まなければならないことだって沢山…………はなくとも、いくつかはある。ちゃんとある。しっかりある。日々、きちんと悩んでいる。今現在だって悩んでいる最中なのである。
僕は弁当を口に入れる作業を継続しながら、ちらりと、教室の後ろ側に目をやった。