第八話「教室にてⅢ」その二
……できるわけないだろう。
ただでさえ、このクラスになってから一日も経ってないってのに。いきなりそんなわけのわからない話題で話を聞きまわるなんて、絶対にヒかれるに決まってる。変な奴だと思われてしまう。……いきなり初日で友達作りを失敗してしまう。
――う~ん、しょうがない。誰にも声を掛けないままで、明日南川に「ちゃんと全員に聞き回ったぜっ」と嘘をつこうか?
……いや、これはいかにも浅はかだ。対象はこのクラスの人なのだ。もし誰か一人に南川が確認を取れば、それだけでばれてしまう。あまりにも脆すぎる。そんなんじゃ意味がないな――
「――何考えこんでんの?」
じゃあ、南川が声をかけそうな人にだけとりあえず聞いておくとか?
……う~ん、しかし、僕も南川の交友関係をすべて把握しているわけじゃない。一体誰に声をかけておくべきなのか? ……いや、そうか。南川が友人だけに確認すると決まったわけじゃない。そうなると、一体どういう人選をすれば――
「――おい、ちょっと、何考えこんでるんだ?」
というか、そもそも、何で僕がそんなことをしなくちゃならないんだ? 僕がそんなことをする責任もメリットもないんだ。わざわざ声をかける必要なんてないんじゃないか? さっきのだって、わかりきったただの冗談なんだ。そこまで守る義理なんて――
「――おい、こら、元」
それに、南川だってそれくらいわかってるだろう。あいつも冗談のつもりで言ってたんだろう。うん、そうだ。きっとそうだ。だから、やっぱり、声をかけるなんてバカなことはしなくても――
「――聞けええぇぇぇぇいっ!」
「いたぁ!」
後頭部にチョップを食らい、僕はドリブルされるバスケットボールのごとく、ごつんと額を机に勢いよくぶつけた。
鼻と額をヒリヒリさせながら顔を上げると、
「一体何を真剣に考え込んでるんだってのっ」
肩にかかった一つ縛りの後ろ髪をさらりと払いながら、やや憤り気味の表情で、彩さんが僕を見下ろしている。
「何やら南川と話しこんでたけど、また怪盗『砂時計』のこと?」
「……ああ、そうだよ」
僕は後頭部をさすりながら答えた。
「まったく、よくやるねえ、あんたら。二年になっても相変わらずか」
彩さんはからからと笑いながら言ってくる。
二年になっても相変わらず――――いや、別に僕だって、好き好んでこうなってるわけじゃない。クラス替えという折角の機会だったというのに、神は僕のことをきれいさっぱりと見離したのだ。クラスの半分は知らない人ばかりだというのに、さも当たり前のように南川は同じクラスにいた。
そして、この橡彩さんも。
昨年度末、僕にとっては第三次世界大戦勃発にも等しい大惨劇が起こり、それは取りも直さず彩さんを爆心地としていたものだから、僕としてはできる限りこの人と距離を取りたかった。僕にとって想い人であるにも関わらず――――いや、真の想い人であるからこそ余計に、この人の近くにいるだけで、僕は精神をのしのしと踏みつけられるような気分になるのだ。
僕はこの人としばらく顔を合わさなくて済むような環境になってほしかったというのに――――その希望さえも、神はあっさりと無視したのだった。
「あれでしょ? 遠野岩美術館がターゲットになってるってやつ。チケットがなかなか手に入らないもんだから、あちこちで混乱してるってね」
「まあね」
「……あ、まさかあんたもあそこのチケット探してるとか?」
「そうさ。僕……というか、南川がね。ついさっき、クラス内でもチケットを持ってる人を探し回れというお達しを受けて、頭を抱えてたところさ」
説明しながら僕は肩をすくめた。そして何ということもなく、ついでに、
「……あ、そうだ。もしかして、彩さん持ってない、あそこのチケット? 持ってたら、ぜひとも譲って欲しいんだけど」
「遠野岩美術館のチケット? ああ――」
「――持ってるよ」
「……はは、わかってるよ。あんなの、大人でも滅多に手に入れらないものだ。ましてや高校生が持ってるなんてことはありえないよね。聞いた僕が悪かった。そうだね、とにかく無駄だとはわかってるけど、他の人を当たってみ――――って、え?」
僕は思わず顔を上げ、彩さんの顔を直視し、
「……あ、彩さん、い、今、なんて?」
「だから『持ってる』って。あたし。遠野岩美術館のチケット」
僕はあんぐりと、下あごを垂らしてしまった。
「お父さんが知り合いから貰ったらしくって、あたしにくれたんだ。二人分。冬香と行っておいでってね。だけど、冬香もあたしも興味ないからさ。これどうしようかと、二人で悩んでたところなんだ」
「……あ、あの、それ、一人分でもいいから、譲ってくれませんか?」
「ええ? う~ん、どうしよっかなあ……。だってこれ、結構貴重なものなんでしょ? 鷹野にでも売ろうかと思ってたんだけど……」
にやりと、悪戯な笑みを僕に向けてくる彩さん。
……『鷹野』という単語に、僕の胸の中にまたどろどろとした感情が流れ込んできたが、僕は懸命にその気味悪さを押し殺し、我慢し、耐え抜き、何とか彩さんに笑顔を返しながら、
「ど、どうか、お願いします。それだけで僕の心労がだいぶ減るんだ。何でも言うこと聞くからさ」
「ふ~ん………『何でも言うことを聞く』ね。…………ふふ、よしっ」
彩さんはうんと一つ頷き、
「わかった。このチケット、あんたに譲ってあげるわ。ただし、あんたに聞いてもらう願いは考えとくから。絶対、それ、順守するんだよ?」
後ろ髪をさらりと撫でながら、彩さんはやけに嬉しそうな、楽しそうな顔を僕に向けてきた。
その笑顔を見て、正直僕は後悔し始めた――――この発言、早まったかもしれない、と。