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第六話「電車にて」その一

 学校生活というものがこれほどつまらないなんて、今まで思いもしなかった。

 ……いやまあ確かに、僕は決して知的好奇心とやらが旺盛な人間なんかではなく、座学で何かしらの達成感を得られるような人間でもなく、今まで一度たりとも授業で「楽しい」なんて感覚に巡り合った覚えなどないというのも事実だ。勉学なんてのは、僕にとって苦痛以外の何物でもなかった。今更こんなものに楽しさを求める方が筋違いなのは、僕だって十分にわかっている。

 しかし、そうは言っても、なのだ。 

 今現在の僕は、それ以上の〈虚無感〉に苛まれているのである――――この苦痛を耐えたその先に待っていたはずものが、今やすっかり跡形もなくなってしまったのだ。この一時間を我慢したからといって、その後の休憩時間に何か期待させるようなものが何もない。楽しいことも、嬉しいことも、何一つ期待できない。この授業時間を耐えることに、僕は何の意味も見出せなくなったのである。

 席に座ったまま黙り込み、溜息をつき、項垂れ、唇を噛み、下を向き――――――それだけのことで、一日を過ごしていく。時間を潰していく。

 ただ、時間が過ぎるのを待つだけの日々になった。

 耐えて耐えて、そして耐えるだけの日常になった。


 こうなって、改めて思う――――僕がどれだけ、休み時間や昼休みに彩さんと話せることを楽しみにしていたか。


 あの日以来、僕は一度も彩さんと話していない。

 どころか、近づくことすら怖くなってしまった。我ながら自意識過剰だと思うほどに、彩さんとやたらと距離を取ってしまう。彼女との距離を気にしてしまう。彼女の視界に入るのすら戦々恐々としてしまうくらいだ。この変化は少々不自然だったかもしれない。もしかしたら、彩さんですら気づくほどの変化だったかもしれない。

 ――まあ、だからといって、彩さんの日常に支障があるわけでもないし。

 彩さんは話し相手に事欠かない人だ。たかが僕一人と話さなくなったくらいで、休み時間が手持無沙汰になることなどあるはずもない。一昨日も昨日も今日も、彩さんが一人ぼっちで暇そうにしているところなんて(まあ、授業中は除くとして)一度も見ていない。そもそも、ここ数日僕と全く話していないことに気付いていないかもしれない。彼女はそれほどに忙しい人なのだ。

 それはある種安堵する事であり、そしてまた――――悔しくもなってしまう事実だ。

 一体彩さんにとって僕はどんな存在だったのかと、寂しくなってしまう。鷹野という、いわゆる〈素敵〉な男が至極そばにいる中で、僕のような凡人がしゃしゃり出てきて、一体彩さんにどんな感情を喚起させていたのだろうか? 喚起させることができていたのだろうか? もしくは、どんな感情も呼び起こせなかったのだろうか?

 彩さんと話せなくなってからの独り手持無沙汰な時間、僕はウジウジとメソメソと、そんな事に考えを巡らせていた。巡らせながら、気を重くしていた。


 そんな中、南川から今月二度目の怪盗『砂時計』討伐の遠征の話を聞いた時は、少しばかり救われた気分になった。


 たとえいつもは面倒で堪らない用事だったとしても、気を紛らわすのには役立つ。僅かな間だとしても、この逡巡を断ち切ることができる。

 この時ばかりは僕も、初めてと言っても過言でないほどにポジティブな心持でこの遠足に赴いた。その旨を伝えられたのが予告日の三日前で、あまりにも急に土曜を潰されたわけだが、むしろ僕にとってはそれがありがたいくらいだった。

 場所は、うちから十数キロ離れた場所にある山間の博物館。

 実に三時間半かけて僕らは電車でそこへ赴いたわけだが(もちろん、高校生の分際で特急など乗れるわけもなく、鈍行に鈍行を重ねた結果だ)、そこは完全絶無の田舎だった――――というより、未開拓の地と言っても言い過ぎではないかもしれない。ターゲットになった博物館と、マイナーな戦国武将の生家である武家屋敷が観光地としてあるだけで、あとはただただ山と田畑に囲われただけの土地。民家すらほとんど見当たらない。交通の便も悪く、運行数の少ないローカル線を使うか、あるいは車で高速を飛ばしてくるかしなければたどり着けない場所である。

 そんな場所なため――そして、あまりにも急な予告だったため――今回の南川の下調べも精彩を欠いたものだった。前回のように周囲五百メートルのマンホールがすべてチェック済みの地図を渡されることもなく、僕を見回りに促す際も、


「とりあえず、何かコソコソしてる奴を見つけたら俺を呼べ」


 という、忠犬だってさじを投げそうなほど曖昧な指令のみに留まった。

 そんな手がかりだけで怪盗が見つかれば警察なんていらない。セキュリティなんていらない。野次馬だっていらない。当然の如く、半月が西の空に昇った七時半、博物館の周辺を歩き回っていた僕らは、


「ぬ、盗まれちまったらしいぞ、絵画!」


 と、号外よろしく道行く人にふれ回っているおじさんに報せを受け取ることになったのだった。


「……まただめだったか」


 と肩を落とす南川に、


「気にするな。……というか、もはやここまでが今日の予定だろ」


 と厭味を交えた慰めをつぶやきつつ、僕らはさっさと家路につくことにした(往路に三時間半かかったということは、帰りも同じだけの時間がかかるということだ。宿泊場所の確保などしていない僕らは、終電前に何としても帰る必要があるのである)。

 駅の改札で警官の手荷物検査を受けた後、だだっ広いホームに降りても、ほとんど人はいなかった。ここに集結している野次馬諸子は、まだ怪盗『砂時計』を捕まえようと美術館の周辺を調べ回ってるんだろう。駅の柵の向こう側にも、あちこちにかけていく人が何人か見えた。僕の隣で南川もそれに混ざりたそうな顔をしていたが、「今日中に帰れなくなるぞ」と言って諦めさせた。

ホームで待つこと十二分。ようやく来たロングシート、六両編成の列車の最後尾に、僕と南川は乗り込んだ。


「……はぁ」


 シートに座った後も、南川はなかなか落胆から立ち直らなかった。無口で、肩を落とし、頭を垂れて、自分の膝を眺めるばかり。……しかしまあ、これもいつものこと。今まで一度だって怪盗にかすったこともないのに、落ち込む時はいっちょ前に落ち込むのである。そして数十分程この状態を続けた後、おもむろ顔を上げて「次こそは必ず!」と勝手にわめき始めるのである。心配するだけ無駄なのだ。なので僕は南川を気にするでもなく、持ってきたマンガ本を開き、つらつらと読書を始めた。

 ここは田舎のローカル線。

 そのため駅間の所要時間も大きく、来る時にも大体二十分くらいかかっていた。おまけに外は真っ暗で、窓の外の景色はほとんど見えない。地蔵と化した南川の隣では、本を読む以外にすることは何もないのである。

 ぱらぱらと読み進め、そろそろ肩が凝ってきたなと顔を上げてみたところで、ふと――――ふと、思った。

 ――この電車に怪盗『砂時計』が乗ってる可能性もあるのでは、と。

 しかし、すぐに考え直した――――そんなバカな。だって、改札じゃあ、警察がずっと監視してたんだ。僕たちだって念入りに手荷物検査をされたんだ。貴金属を持ってたら、確実に止められ、捕まる。それをすり抜けるなんて、そんなこと――


 ――バサッ


 手元から、マンガ本がすり落ちた。


「どうした?」


 首を回し、不思議そうな顔をこっちに向けてくる南川。

僕は笑顔を作り、


「い、いや、何でもない……」


 と、何ともなさそうに答え、何事もなかったかのように本を拾う。しかし――――答えながらも、僕の思考はぐるぐる廻っていた。

 ――違う、違うだろう。目の前に警察がいようと、それをすり抜けることができるのが怪盗『砂時計』だろう。手荷物を見られることなく包囲網を突破できるのが怪盗『砂時計』の能力だろう。だからこそ、五年間も警察に捕まらずに盗難を繰り返してるんだろう。二週間前、美術館から宝石が盗まれた直後、一キロ離れた場所で『砂時計』と相まみえた僕には、それが断言できるはずだ。

 ここは、人里離れた山間部。

 あの博物館から三キロの四方には山しかない。建造物もほとんどないし、車道すら限られた場所にしかない。もしあの博物館から逃げようとするなら、その車道を使うか、もしくはこの電車を使うしかない。

 逃げるというなら、車を使う方がまだ勝手がいい。

 この電車は本数が限られているし、行先も限られてる。車なら、検問さえ突破すればあとは自由だ。

 けれど――――『砂時計』が本当に車なんて使うだろうか?

 この前、『砂時計』は美術館から一キロも離れたあの路地裏から徒歩で出てきた。それはつまり、あいつは逃走の際の移動は徒歩に限られているということなんじゃないだろうか? そういう制約があるということなんじゃないだろうか?

 ……いや、そんなのは憶測に過ぎないか。前回はたまたまなのかもしれない。例えば、あいつの家があそこから近かったのかもしれないし、あの時ちょうど自家用車を車検にでも出していたのかもしれない。

 それにそもそも、この電車に乗っているとも限らないんだ。三十分後に発射する次の電車かもしれないし、もしくは今日はずっとあそこにとどまっていて、明日になったら帰る予定なのかもしれない。

 ――いや、でも、この前は盗難発生直後に、一キロ離れたあの場所で僕はあいつに会ったんだ。それはつまり、『砂時計』は盗んだ後すぐにその場から離れる習慣がある、ということなんじゃないだろうか?

 ――そんなのは仮定に過ぎない。正解の可能性など低いことはわかっている。けれど、

 ――そんな低確率に賭けることができるのが、僕の強みだろう。

 僕は立ち上がり、椅子の上に本を置いた。

 それを見止めた南川は、きょとんと僕を見上げ、


「……どうした?」

「いや、ちょっと、トイレ行ってくる。悪いけど、荷物見てて」


 そう言って、僕はその場を後にした。

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