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第五話「橡彩宅にてⅡ」その三

 橡家からの帰宅途中、いまだに治らない胸の奥の気持ち悪さに悶えながら、僕は考えを巡らせていた。

 ――彩さんと鷹野が幼馴染であること。

 確かに言われてみれば、二人の仲の良さは高校に入ってから育んだにしては親密すぎるとも思った。まるで家族のような遠慮のなさが二人にはあった気がする。鷹野はあまりにも簡単に僕が入り込めない場所に入り込んでいた。そうと聞かされれば、納得しかできない。

 ――こんな簡単なことに今まで気づかないなんて。

 バカらしくなってしまった。彩さんと初めて会ってからの半年、僕が抱いていた期待や不安や胸の高鳴りが、すべてくだらないことだった。くだらないことだったことに気付かされた。彩さんと交わした会話を今まですべてほとんど覚えていること。彼女との会話にいちいち一喜一憂していたこと。たかが肩を叩かれたくらいでどぎまぎしていたこと。一つ一つが、僕にとって大切な思い出だった。

 

 ――しかし、そんなのは、鷹野からしてみればどうでもいいこと。


 僕の今までの思いは、一体なんだったんだろう?

 気が重くなる。頭が重くなる。そんな気はないのに、それでも顔が俯いてしまう。

 ふと、

 夕焼けも消えて夜へと変遷した住宅街の十字路、僕が右に曲がろうとしたところで、


「あれ?」


 視界の端に、僕の方を見て声を上げる女性が映った。

 僕は顔を上げ、その人の方へと視線を向ける。その人は、制服姿で眼鏡に真っ赤な夕日を反射させた佐々谷響子――――今僕が一番会いたくなかった人物だった。


「あれま、どうしたの、加賀原、そんなしょんぼりして? そんなんじゃ、ただでさえ少ないあんたの運気が蜘蛛の子みたいに四散しちゃうわよ?」

「……うるさいな」


 精一杯の反論を唱えたつもりだったが、我ながら覇気のない返事になってしまった。


「あんた、彩の家に行ってたんでしょ? しかも一人で。だったら、うきうきで帰っててもよさそうなもんなのに。一体全体何が――」

「……知ってたのか?」

「何を?」

「彩さんと鷹野が幼馴染だってこと」


 僕の質問に、佐々谷さんは少しばかり怪訝そうな表情になった。そしてふう、と肩を落として、


「知ってたわよ。もちろん。……だけど、それが何だっていうの?」

「何でそれを僕に言わなかったんだ?」

「聞かれなかったからに決まってるじゃない」


 当然でしょうと言うように、肩をすくめながら言ってくる佐々谷。


「それに、二人はあくまで幼馴染。付き合ってはいないわ。……まあ、未来のことはわからないけど。だから、これは別にあんたにわざわざ知らせるような情報じゃなかったでしょう」

「そうは言ったって……」


 僕はぶつくさと言ってしまう。……いや、ここで佐々谷さんを問い詰めたって意味はないことはわかっている。けれど、僕の暗澹とした心境が吐き出し口を探していた。どこでもいいから吐き出したいと喘いでいた。だから、堤が決壊するように、僕には止めようがなかった。止めようがなく、口が開いた。


「……けど、だけど、言ってくれてもよかったじゃないか。あれだけ僕に突っかかってきてたんだ。それくらい教えてくれてもばちは当たらなかっただろう。それを知ってれば、僕は、僕はもっと――」

「『もっと』、何?」


 直立で、僕を睨みつけ、佐々谷は憮然と言ってくる。


「それを知ってたからって、何が変わるの? あんたに何かできたの? それを知ったからって、単にあんたが落ち込むのが早まっただけじゃない。結果は何も変わらないじゃない。それとも、知ってたら何かできたとでも言うの?」

「そ、それは……」


 咄嗟に返答が思い浮かばず、僕は言い淀む。


「どうせ、あんた、自分の中で勝手な物語でも作ってたんじゃない? あまり接点のないあんたと彩が、周りにとやかく言われようとも、私に色々言われようとも、いつか何かの機会に運よく結ばれてハッピーエンドになるような、安っぽいストーリーでもね。……ふん、能天気もいいところね」


 佐々谷は俯いた僕を睥睨しながら口を動かし続ける。


「そんなの、井の中の蛙もいいところ。彩のことを何も知ろうとしない癖に、近づくこともできないくせに、勝手に妄想膨らませてるだけなんだから。あんたがそんな自分勝手な物語を描いているうちに、彩は彩で別な物語を描いてるのよ。幼馴染のかっこいい男とつかず離れずの恋愛模様を紡いでいくような物語を、ね。こっちの方がよっぽどドラマチックで、見ごたえがあるものだわ」


 佐々谷の声は、止まらない。


「あの二人は幼稚園以来の幼馴染。お互い同じ場所で、同じ速さで成長してきた。お互いを男女と識別する前からね。だけど、高校に入って、お互い共が異性に人気になってきて、そこで初めてお互いを男、女と認識する。そこで、改めてお互いが向き合う。向き合って、今までとは違う感情が生まれてくる。……もしかしたら、今現在、そういう物語の途中かもしれない。あんたの役なんて、当て馬の一人に過ぎないかもしれない。彩が、鷹野と比べるその他の男子の一人にすぎないかもしれない。鷹野のいいところを発見、再認識するための、単なるモノサシの一つなのかもしれない」


 僕はただただ、聞くだけになっていた。

 聞きながら、肩を震わせるだけになった。


「だから言ったのよ。私はちゃんと言ったのよ。あんたと彩は釣り合わない。だから諦めなさいって。その注意を、助言を、アドバイスを聞かなかった、聞こうとしなかった、聞く耳を持たなかったあんたが悪いんでしょう。自業自得もいいところ。サーカスのピエロだってあんたなんかよりもっと優雅に踊るわよ。滑稽、滑稽。いい気味だわ」


 そこまで言うと、佐々谷はきびすを返した。そして別れのあいさつもなく、すたすたと行ってしまう。

 僕はふらりと、コンクリートの壁にもたれかかった。そのままずりずりと地面に座り込んでしまう。そして、星がほとんど見えない夜空を見上げた。……いや、本当は星もちゃんと見えていたのかもしれない。他の人にはちゃんと見えてたのかもしれない。

 しかし、僕には見えない。

 ぐしゃりと、すべてが滲んでいる。

 これでも、変に期待なんかしないよう、ちゃんと生きてきたはずなのに。

 自分というものを理解して、理解しつくして生きてきたはずなのに。

 身の丈に合っただけの希望に満足して生きてきたはずなのに。

 そうやって、できるだけ自分が傷つかないように生きてきたはずなのに。

 この十六年で、どうにかこうにかそういう生き方を身につけたはずなのに。


 ……僕が泣くのなんて、一体何年振りだろう?

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