私は幽霊である
(最初にお詫び)『幽霊である』シリーズの「吾輩は幽霊である」「妾は幽霊である」を先にお読みいただくと、明確に名前が出てこない者が誰なのかわかる内容になっています。
単体で読める短編にならなくて申し訳ないです!
私は幽霊である。
……って言ってみたかったの!
どこかの山奥の人口流出が止まらない村に農業素人の若者たちが戻ってきたことで、日々一喜一憂している草の口うるさいのと、それを揶揄う豊穣のオバサンの喧騒で、賑やかさを取り戻したって風の噂で聞いたんだ。
その噂のなかで、草の神のうるさいのが自分の名前を忘れてたって聞いて、普通忘れる? って思ったけど、住宅街の長年放置されていた無人の家に棲み着いて寝ていたこの地の見守り役の野郎もそうだったって聞いて呆れちゃった。
そういう私もうっかり自分の名前を忘れそうになる今日このごろ。
だって、私のことを呼んでくれるニンゲンがいなくて、堂々と名乗る場所も少なくなって、名前がある意味ってなんだっけ? ってなってきた。
私の場合、呼ばれたら呼ばれたで面倒が起きることもあるから、隠れているくらいがちょうどいいんだけど。
今、隠れているのは管理人室とかいうところ。滅多にニンゲンは来なくて、来ても一年に一回か二回。
物凄い昔に友だちと旅をして、悪いことをしたニンゲンが閉じ込められる独房という小部屋を見たことがあるけど、それくらい狭い。厠と行水場所が壁で仕切られてあるだけマシかな。私は使わないけど。
たまに来るニンゲンはちゃちゃっと掃除して、何かを書いて、帰っていく。それだけ。
昔は爺ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、母ちゃん、子どもたちが一つ屋根の下で暮らすことが多かったのに、いつの頃からかバラバラに住むようになって、蜂の巣みたいにたくさんの小部屋がある建物に住むニンゲンが多くなった。集合住宅っていう建物。
一つの建物のその一つ屋根の下に一緒に暮らしているけれど、彼らは家族ではない他人同士。
小部屋自体が縄張りで、そこに住み分かれて、隣に住む者のことを知らない、知ろうとしない、関わらない。
無関心なのか、無視なのか。
そんな奇妙な暮らしをするニンゲンたち。
だけど、音がうるさいだの、何かの匂いが臭いだので揉める。
私から見ると集合住宅一つで一つ屋根の下。一つ屋根の下で暮らす生き方をするなら、同じ決め事を守ることができるかどうかを基準に、小部屋という縄張りを与えればいいのにと考えちゃう。だけど、そういうわけにもいかないみたいで、さっき通り過ぎたところからは「煙草をベランダで吸うんじゃねぇ」という声が聞こえてきた。この階は洗濯に使う液剤が臭いって文句が多い。と、思ったら漂ってきた。本当に臭いったらありゃしない。洗ったのに『香り』なんて言葉で誤魔化して、臭いという汚れを染み込ませるようになったのはいつの頃からだろう?
香りというものは時間と水洗いで落ちる。時間が経っても水洗いしても落ちないなら、迷惑な汚れ以外の何物でもない。そのことになんで気づかないんだろう? あの害ある香りを生み出している守銭奴の腹は真っ黒なんだろう。
ここはさっさと退散。
しまった。この階もよくない。
表向きは挨拶する隣人たちが、己の縄張りに入った途端に相手への罵詈雑言となる。お互いが相手よりも上の立場にありたいと見栄を張っている姿は滑稽。でも、雰囲気が最悪で長居したくないのでここも退散。
無関心と無視だらけの階を歩くと、もう少しお互いのことを知れば気遣いが生まれてギスギスすることもなさそうって思うけど、さっき通った階のようい、悪口が闊歩しているよりマシなのかもしれないってなるから不思議。
ニンゲンって難しい。
巨大な蜂の巣のような建物。
女王蜂の役割だった大家の家族もちょっと広めの小部屋に住んでいたけど、もういない。
私の友だちもどんどんいなくなってしまった。
ちょっと前に遊びに来た友だちが、新しく棲み着いた場所に来ないかと誘ってくれた。
「アンタがいるのにこの澱みはないわー」
「だよねー」
「まだ未練あんの?」
「んー……」
「まあ、気持ちの整理が着いたらこっちに来なよ! みんな結構好き好きに潜んでるだけだけどさ!」
「……うん」
私と同類の友だちは頻繁に旅をしている。
友だちは最近ニンゲンの真似をすることを楽しんでいて、左右の耳の上で髪を結んでツインテールという格好だった。
ずっと私たちのこと放置して寝てた野郎が起きてから、気にかけている女の子の真似だって。母ちゃんがいなくて父ちゃんと二人で暮らしていて、大きな我が儘も言わないいい子なんだと、なぜか自慢された。
「アタシさー、また旅したいからさー、アンタが来てくれたらいいなーって思ってんだ」
「もうちょっとだけ待ってて」
「あとさ、あれであの野郎もアンタのこと心配してんだよ? この澱みに飲み込まれんなよ?」
「うん」
私も限界かなって思ってて。
でもあと少しだけ。もう少しだけ──。
建物を覆うように負の澱みが蠢いている。
ニンゲンたちには見えない禍々しい澱み。
ちょっと前まではここまで酷くなかったのに、何が悪化のきっかけだったかな。この集合住宅を管理していた大家が、管理会社とかいうのに権限を渡したときだったかもしれない。
「ほんに切り倒してまってが。もったいねぇごどなぁ」
「地主のスミさんば生ぎでればなぁ」
「んだども、この敷地だば、これ以上はどうにもならねぇべ。何百年と見守ってけでだったんだどもなぁ」
建物の隅にニンゲンが動かす大きな機械が、ドドド、グォングォンと動いている。
大木が切り倒されようとしていた。
一人のニンゲンが言った『スミさん』の名に、つい最近亡くなった地主の女主人を思い出す。
この集合住宅が建つ前、ここは地主の屋敷があった。
屋敷に通いで来ていた使用人の一人だった女が地主の息子に見初められ、目出度く夫婦となったけれど、姑にはだいぶイビられた。毎日泣き声を殺しながら雑巾がけをして、窓を拭いて、隅々まで屋敷をきれいにして、地主の次代の女主人となったのに、扱いは使用人と変わらなかった。
大きな屋敷の長い廊下。姑に「やり直し」と何度も桶の水をひっくり返され、あかぎれの酷い指が治る暇もなく、地主の息子が庇っても母親が強かった。
今よりも出生の身分差が残っていた時代。イビっていた姑はいい家の出身で、先代の舅と姑がヘコヘコしてた。お金って強い。
玉の輿となった女性が気に食わなくて、もともとよくない性格だったのがもっと悪くなって、屋敷の雰囲気が悪くなって、私も何度出ていこうと思ったかわからない。
でも、思い残していたことと、嫁いできた女性が不憫で出ていけなかった。
惚れた女ならもっと庇え! と、夫の野郎を何度か後ろから蹴っ飛ばしてやったけど、あの野郎は私のことに気づかなかった。
姑の目の前に立ってやったけど私のことを認識できなかった。
舅は私のことを知っていたような気がしないでもない。親から聞いていたのかもしれない。でも自分の妻が怖くて見ないふり。時々、私がしゃがみこんでいた大木のうろに菓子が置いてあったのはありがたく頂戴した。
女は耐え忍んだ。
玉の輿と喜ばれ、舅と夫は力不足ながらも庇いつづけ、陰で妻の弟妹たちを学校に通えるよう援助もしていた。
歯がゆい日々だったが目出度く腹に子が宿った。そうしたら姑のイビリが悪化した。一度目は庇いきれず、命は流れた。
女が倒れて呻き、畳が赤く染まっていく。その場にいた使用人の絶叫。
私の視界も真っ赤に染まった。
姑の性格の悪さが呼んでしまっていた澱みを跳ね除けていたけれど、それを凝縮し、姑が見えなくなるほど真っ黒に呪ってやった。もっと早くそうすればよかった。
でも、姑の呼んだ澱みを凝縮したら呼び水となって澱みがどんどん集まってくるようになってしまった。
あれから幾年──。
浄化を頑張って頑張って、今日までここに居着いてしまった。
「ああ、終わるんだね」
大木に群がるニンゲンたちを見ていたら、私の影から声がした。
「久久能智様」
「あの栃の木も限界だった。ボクが宿ることも拒否して、この日を待ってた。こんなに周りが変わってしまって、地に水が染みてこなくなって。でもね、君が山に持ってきた実から新しい木は育ってる。たまに遊びに来るといい」
「……はい」
横倒しにできる場所がないから、木のてっぺんから順番に切られて、短くなって、切り株になって、根も掘り起こされて、地面にぽっかり空いた穴。
土があるだけ。何の変哲もないただの穴。
当たり前だ。
何百年も前のこと。
私は口減らしで殺された。
教えてくれたのは、その当時、屋敷にいた箒神様。
私が生まれてくるときは笑顔でだったのに、生まれてすぐ天候不順で食べ物がなくて、母乳も出なくて、口減らしで殺された。
私を埋めたところに植えられた栃の木の若木。
私があの世で食べ物に困らないように。
私を殺したあとの食糧不足を補うために。
正直私にはわからない。殺された記憶もない。
気がついたらここにいて、豊穣のオバサンに大泣きで謝られた。
あのとき会った豊穣のオバサンは痩せ細っていた。使えるだけの神力を使い切り、草の口うるさいのが殴って寝かせて、豊穣のオバサン同様に草も生やしてあげられなくてごめんと泣いた。
食べ物がなくて、何人もの幼子が、老人が、口減らしで殺された。
そんな時代だった。
あの栃の木の根元に女の流れた子も埋められた。
やっとニンゲンの形になりかけていた子だった。
根が掘り起こされた穴をニンゲンがどこからか持ってきた土で埋めていく。
私がニンゲンの子だったときの骨が出てくるかななんて、ちょっと思っていたんだけど、骨も弱くて粉々になって土に還ったんだろう。
さようなら、私だった残滓。
さようなら、スミから生まれるはずだった子。
さようなら、栃の木。
さようなら、この場所。
私の唯一の荷物は赤い羽織。
いつも着ている白の着物の上に羽織ったら、体が浮いて空に道が見えた。
この道を辿って次に行こう。
眼下にある集合住宅。
私がいたことでなんとか保っていた運気がすうっと抜けていく気配がした。
屋敷から集合住宅になり、道路などのニンゲンの動くところも変わっていって、正直ここの立地条件はよくない。それなのに入居者が絶えなかったのは、私がなんとなく『福』を振り撒いていたから。
迷惑と騒動を繰り返すニンゲンが入ってきたら、悪戯をしまくって追い出していた。
私が今の私になる前、ここで生まれたんだと知り、なんとなく離れられなくて、誰もいなくなるのは寂しくて、あの澱みの浄化も頑張っていたけれど、もういい。
私が去れば、ただの不便な集合住宅に成り下がるだろう。私の知ったことじゃない。
空の道の先に行く。
目指すは自分が神だと思い出したくせに、未だに「吾輩は幽霊である」なんて気取って、幼女を見守っている野郎のところ。
そうして私は小さな一戸建ての家にいる。
床の間がある間取りは本当に見かけなくなったから、着いたときは感慨深いものがあった。
ただ、この床の間、正しく床の間としての役割は果たしておらず、幼女の秘密基地と化している。この家にいる屋敷神様が「いいのいいの」と笑っていたからいいんだろう。
「あー! こんにちはー! ひさしぶりだーっ!」
「げっ、しまった」
「あっそびましょー!」
ああ、しまった。床の間の段ボールが増えて、秘密基地がさらに秘密基地になっているのを見ていて、気を抜いてしまった。
この幼女は私のことが視える。
ここに着いたとき産土神様が「吾輩のことも視えていたから気にするな」と言っていたけど、私も長くニンゲンを見てきて、遊ぼうと言われたのはこの子が初めてだった。
悪戯する気も失せる真っ直ぐな目に負けて、初めてこの子と遊んだときは折り紙をした。
鶴や花を折って、うまくできたら神社に納めに行くんだと。
毎月決まった日に神社に参拝し、自分のことではなく父ちゃんの元気を願う。そう教えてくれたのも産土神様だった。
見つかるとこの子の父ちゃんが帰ってくるまで消えることができなくて、なかなかしつこいので視認されないようにしていたのに失敗。
幼女に招かれて居間に移動したら、ウィィィィンと音が近づいてきて丸い機械が這い寄ってきた。
『ハッハッハッ! 悪戯な座敷童子が神妙に幼子に捕まっとる! ハッハッハ!』
「……」
ロボット掃除機に宿っているのはあのお屋敷にいた箒神様。この家に近々に出産を願う妙齢の女性はいない。この幼女が成長するまで待つのかな? それにしたって自分が箒神と呼ばれていると言っても、掃除機に宿るなんて考えが柔軟すぎる。
箒神様のじいさんは「便利なもんができたもんじゃ」と得意げだけど、段差に引っかかって「助けてくれぇ」と電子音で鳴いている姿は、神様というより迷子の妖怪だ。
あー! もー! ピーピーうるさいな!
幼女に声をかけて、ロボット掃除機に駆け寄り救出。
「もうさー、ここで引っかかるの何回目? そろそろ覚えなよ。だいたいさ、じいさんは安産や出産の神様だろ? なんでロボット掃除に宿ってんのよ。ロボット掃除機で安産祈願なんて、シュールすぎて誰も拝まないよ」
『ははーん。わかっとらんな。このロボット掃除機様のおかげで自動で勝手に掃除完了。産後の忙しさには最大のご利益じゃろが』
「だったら引っかからないで掃除してよ」
『むう、やはり足を生やすか』
想像する。おもむろにひょこっと足が生えるロボット掃除機。
「……気持ち悪いから。投げ捨てられるだけだから」
箒神じいさん、ハイテクを受け入れていて考え方が斜め上だった。
「わらしちゃーん! つづきやろうよー!」
「あ、うん」
「はいっ! じゃあ、スタート!」
幼女が遊ぶと言い出し、私がセッティングを頑張ったのはテレビに映るニンゲンと同じポーズを真似していくゲーム。父ちゃんのトレーニングゲームなので、幼女ではぜんぜんできているとは言えないが、「父ちゃんと同じことをしている」が楽しいらしい。あの集合住宅であっちこっちの小部屋を覗いて、こういうゲーム機もいくつも見てきた。ちゃんと接続できた私を褒めたい。
『おぬしも最新技術にしっかり染まっとるではないか』
「かもしれない」
屋敷神様が大笑いしているけれど、その声は私たちにしか聞こえない。屋敷神様の大笑いを聞いて産土神様が窓から覗き見はニンゲンだったらストーカーだからね!?
「わらしちゃんのばん!」
「じゃあ、十二番やる」
「うん! はい、スタートぉー!」
私のことをわらしちゃんと呼んでくれる幼女に笑い返す。
床の間のあるこの家なら、私、ちゃんと座敷童子って名乗ってもいいよね。
■座敷童子
妖怪として有名ですが、座敷や蔵に住む神とも言われています。
家人に悪戯を働き、見た者には幸運が訪れ、家に富をもたらすなどの伝承があります。
おかっぱ頭で男子・女子どちらもあるようですが、本作品では女子としました。
着物ちゃんちゃんこですが、緑色系、赤色系、白色と様々なようですが、こうした着ているものの説をいくつか調べていたら、白い着物を着た座敷童子に会えれば幸運、赤い着物は立ち去るときという説に出会い、採用しました。
悪戯な妖怪としての印象が強いかもしれませんが、座敷童子の由来・逸話を紐解くと悲しい歴史が伺えます。
厳しい貧窮によって労働力にならない乳幼児を口減らし(間引き)のために殺害し、土間などの埋めていた話。知的障害のある子を恥として幽閉し、誤魔化すために「妖怪がいる=座敷童子がいる」とでっちあげられた話。本作品では間引かれた説を採用しました。
■箒神
「ははきがみ」「ほうきがみ」の両方の呼び方があります。
箒に宿る神ですが、掃除の神ではなく、安産の神です。箒で産婦の腹を撫でたり、箒を産室に逆さに立てておくことで難産を防ぐ風習があります。また、玄関に箒を逆さに飾ることで、邪気を払い、長居する客を帰す効果があるとも言われています。
安産の神なので「産神(うぶがみ)」とも呼ばれます。
■草の口うるさいの/草の神
幽霊であるシリーズ2作目の「妾は幽霊である」に登場する鹿屋野比売神のことを言っています。
■豊穣のオバサン
幽霊であるシリーズ2作目の「妾は幽霊である」に登場する宇迦之御魂神のことを言っています。
■住宅街の長年放置されていた無人の家に棲み着いて寝ていたこの地の見守り役の野郎
幽霊であるシリーズ1作目の「吾輩は幽霊である」に登場する産土神のことを言っています。
■久久能智神
幽霊であるシリーズ2作目の「妾は幽霊である」に登場する木の神、林野の神です。
■床の間を段ボールで秘密基地にしている神様たちが視える幼女
幽霊であるシリーズ1作目の「吾輩は幽霊である」に登場する幼い女の子です。
■栃の木
水を好む木で、時代の移り変わりで周囲がコンクリートになっていき、土の中に染みる水が少なくなり、立ち枯れる一歩手前の状態だった。
この地の地主が広大な屋敷敷地を手放し、大きな集合住宅にする際も、頑なに伐採しないとしていたが、スミという女主人の死をきっかけに伐採となった。
なお、スミが栃の木の伐採に頑なに首を縦に振らなかったのは、流産した子を栃の木の根元に埋め、墓標としていたことが理由である。
『幽霊である』シリーズをお読みいただきありがとうございました。星評価や感想、レビューなど是非よろしくお願いします。
長編小説(連載小説)もいくつか書いています。そちらもよろしくお願い申し上げます!




