第80話 長谷川真昼、しんがり組の無事を祈る
織田家に投降したものの、急転直下の事態に金ヶ崎城に残った朝倉景恒は天を仰いだ。
今、彼を囲むのは織田の軍勢ではない。
一乗谷からやって来た、山崎吉家率いる朝倉の軍勢だ。
「運命とは、かくも残酷なことか。浅井の裏切りさえなければ、朝倉の家名が織田家で存続したものを」
「不思議なことを呟きなさいますな、景恒様。まるでこの状況でも、勝つのは朝倉ではなく織田だと?」
吉家の問いに、景恒はゆっくり目を閉じた。
脳裏に浮かぶは、今は亡き朝倉の名将朝倉宗滴。
輪郭が、織田信長と重なる。
「さて……裏切った申開きはありますかな? 景恒様」
「ない。……いや」
そこで景恒は真っ直ぐ吉家を見た。
「吉家。貴殿は宗滴様と重ならん」
「……殺せ」
吉家の短い呟きの直後、朝倉景恒は前後左右から槍に刺され、死んだ。
すぐに追撃戦を開始した吉家は、織田家しんがり部隊を捉えることとなる。
闇夜を切り裂く朝倉軍の怒号と足音。
撤退する織田信長や長谷川真昼は必死に逃げている最中、残ったしんがり部隊は地獄に突入する。
山崎吉家率いる朝倉の追撃部隊は、まさに猛虎の如き勢いで迫る。
「逃がすな! 織田の兵を一人残らず血祭りにあげろ! マツキ殿、力を!」
『おうよ! 今こそ逆転サヨナラの好機! 全員、ヘッドスライディングの気迫で突っ込めぇ!』
吉家の懐でマツキボールが咆哮すると、朝倉兵たちの目に狂気じみた闘志が宿る。
さらにミノルボールが光れば兵たちは岩をも砕く勢いで突進し、ヨシオボールが舞うように羽ばたくと、泥濘をものともしない軽やかなステップで距離を詰めてくる。
「くっ……! 大陸の生物の虎ってか! 鋭い牙と爪の幻覚が見えやがる!」
殿軍の前線で金属バットを棍棒のように振り回しているのは、川並衆の親分、蜂須賀小六だ。
隣では相棒の前野小右衛門も、息を切らしながら敵兵を薙ぎ払っている。
「小六! キリがねえぞ! こっちは少数、向こうは無限湧きだ!」
「わかってらぁ! クソッ、木下隊に配属されたのが運の尽きだぜ!」
「残りたくない者は去れって言われて、真っ先に残るって言ったのは誰だっけ? 小六!」
「それを言うなよ、小右衛門!」
小六たちは悪態をつきながらも、一歩も退かない。
後方では明智光秀が火縄銃を構え、正確無比な射撃で敵の指揮官クラスを狙い撃つ。
「進ませぬ! 私の射程圏内に入った者は……アウトだ!」
「愚かな。この豪雨では火縄銃など無意味!」
バン! バン!
乾いた銃声と共に敵が倒れる。
「なにっ⁉」
「……これぞ雨覆。伊勢で真昼殿たちが遭遇した雑賀衆の頭領が、雨の中で使用していたカラクリを研究した成果!」
光秀は立て続けに数発撃ち、朝倉軍の勢いをとめるが多勢に無勢。敵の波は完全には止まらない。
「秀長、大丈夫か!」
「ウキー!」
木下秀吉と、足元で敵を威嚇する木下秀長。
ジリジリと、織田軍は後退を余儀なくされていた。
「……光秀さん、まだかよ! 次の弾丸は!」
小六の叫びに、光秀が顔面蒼白で答える。
「……弾切れだ! 火薬も尽きた!」
死刑宣告にも等しい言葉が光秀の口から漏れる。
それを聞き逃さなかった山崎吉家が、残忍な笑みを浮かべた。
「聞いたか者共! 奴らの飛び道具は尽きた! 弾がなければただの棒切れ集団よ! 遠慮はいらん、一気に踏み潰せ! 猛虎の牙を見せてやれ!」
『ガッハッハ! 勝利の女神が微笑んだわ! チェンジじゃ!』
マツキの高笑いと共に、朝倉軍が勝負を決めるべく全軍突撃を開始した。
雪崩のように迫る刃の壁。
万事休す。誰もが死を覚悟した――その時。
「……慌てる必要はありません。ここまでは想定内です」
戦場の喧騒を切り裂くように、冷徹で涼やかな声が響いた。
竹中半兵衛が目の前のモリミチボールを見つめながら、パチリと扇子を閉じた。
「全軍、例のバットを構えよ!」
しんがり軍はそれを打撃の構えではなく、まるで槍衾のように先端を敵に向けて構えた。
それを見た吉家が嘲笑う。
「ハッ! 弾がないからバットで突き刺すつもりか? 愚かな。槍隊、前へ! 愚かな悪あがきどもを一掃し、信長の元へ向かうぞ!」
敵兵が目の前まで迫り、半兵衛の瞳が氷のように冷たく光った。
「……構え。……撃て!」
しんがり軍が、バットのグリップにある留め具をカチリと操作した。
パカッ。
金属バットの先端のキャップが弾け飛び、中から黒洞々たる銃口が顔を出した。
――ズドン! ズドン! ズドン!
バットの先端から、紅蓮の炎と轟音が噴き出した。
ただの弾丸ではない。中に詰められていたのは、近距離で広範囲を薙ぎ払うための散弾だ。
「ぎゃあああああああ!」
「な、なんだぁぁぁ⁉」
密集して突撃していた朝倉兵の槍隊が、至近距離からの散弾をまともに食らい吹き飛ぶ。
一瞬で最前列が消滅し、血煙と硝煙が戦場を覆った。
「なっ……金砕棒が火を吹いた⁉」
「妖術か! 織田の妖術だ!」
勢いに乗っていた朝倉軍が、未知の恐怖に足を止める。
吉家は目の前の惨状に絶句した。
「なっ……⁉ 貴様ら!」
吉家の懐でマツキボールが激しく明滅し、悲鳴のような声を上げる。
『バカな……! バットを銃に改造するじゃと⁉ 神聖な打撃道具になんてことを! これが織田の野球か……! 道具への冒涜じゃあ!』
硝煙が漂う中、半兵衛は扇子で口元を隠し、涼しい顔で種明かしをした。
「……これぞ、鉄砲鍛冶の雄、国友善兵衛殿の技術と、堺の豪商、今井宗久殿の財力が編み出した新兵器。試作型打撃銃、名付けて『バッティング・ガン』」
国友善兵衛が金属バットの中空構造を見て「これ、銃身に使えるんじゃね?」と閃いた職人魂と、それを実現させた宗久の莫大な資金力。
まさに戦国テクノロジーの結晶だ。
「打ってよし、撃ってよし。攻守最強の二刀流ですよ。……威力はご覧の通り、絶大です」
小六が煙を吹くバットを撫でて、ニヤリと笑う。
「ヒャッハー! すげえ威力だぜ! 重てえだけの鈍器かと思ってたが、こいつはいい!」
「あぶねえオモチャだな……だが、気に入ったぜ!」
小右衛門も冷や汗をかきつつ、興奮気味だ。
吉家はギリリと歯噛みする。
「おのれ……小細工を!」
だが、未知の兵器を前に、うかつに踏み込めない。
『うぬう……さすがに散弾を撃ち返すことはできぬ。投げることも、守備も不可能……』
秀吉、秀長、光秀、小六たちが、煙を上げるバットをゆっくりと構え直す。
「さあ、次は誰が塵になりたい?」
「ウキッ!」
秀吉と秀長が不敵に笑う。
朝倉軍が怯んだその一瞬の隙を、半兵衛は見逃さなかった。
「……今です。ゆっくり後退を」
半兵衛の合図と共に、織田殿軍はバット銃を盾にしつつ、黒い風のように闇の中へと撤退を開始した。
「このバット銃……一発撃ったら使い物にならなくなる品。……半兵衛殿、やりましたな」
「秀吉殿、いつでも撃てるように構えを。この詐術、いくら山崎吉家でも、そう簡単に気づかぬでしょう」
「全軍、京に着くまで油断するな! 浅井軍の斥候も撒かなくてはならぬ。だが……」
そこで光秀は周りを見た。
「今宵、金ヶ崎で我ら美濃衆が揃い、全員生き残った。この幸運、この明智十兵衛光秀、生涯忘れぬ」
「十兵衛様が感傷に浸るとは珍しい。ええ、この木下藤吉郎秀吉も、生涯忘れぬでしょう」
そんな元帰蝶姫と光秀の会話に、半兵衛たちはフッと微笑んだ。




