第70話 長谷川真昼、雑賀の弾丸に遭遇する
「……ねえ、ちょっといいかな? 海賊の嘉隆さんと、忍者の一益さんがコソコソ話してる時点で嫌な予感はしてたんだけどさ。その毒霧付きの矢って何? スポーツマンシップっていう概念、伊勢湾に流してきたの⁉」
伊勢湾の断崖絶壁で激しい雨が視界を遮る中、私は岩陰に身を潜めながら、隣で不敵な笑みを浮かべる大人たちに猛抗議していた。
足元は泥んこ、髪は湿気でボサボサ。まさにJKの天敵とも言えるコンディションの中、私たちは大河内城へ物資を運び込んでいる秘密の補給ルートを叩くべく、隠密作戦を敢行していた。
「ガハハ! 姉ちゃん、海の上じゃ勝った奴が正義なんだよ! 綺麗事で腹が膨れるかよ!」
九鬼嘉隆さんが潮風に濡れた髭を撫でながら豪快に笑う。
手には、ボビーボールの加護を受けた変幻自在の弓が握られていた。
『ベースボールは大技だけじゃないネ! 小技も大事ヨ!』
「左様でござるな。正面からバットを振るだけが戦いではない……。小六、小右衛門、準備はいいか?」
一益さんの合図に、背後で待機していた川並衆の2人がニヤリと笑う。
「おうよ! 補給路をぶち壊すのは俺たちの得意分野だぜ!」
「一益の兄貴、潜水部隊は配置につきました。いつでもいけますぜ!」
蜂須賀小六さんと前野小右衛門さんも生き生きしている。
このメンツ、ヤバくない? 今までで一番危険なパーティー編成になってるよ。
お父さんがお母さんたちと出会う前の面子だよ、これ。
しばらくして入り江の奥、本願寺から送られたと思われる米俵や硝石が、北畠の兵たちの手で次々と荷揚げされている。
一益さんがスッと指を立てた。
「放て」
シュバッ、シュバッ!
空気を切り裂く音が響き渡り、一益さんと嘉隆さんが放った特製の矢が、雨の中に紫色の煙を撒き散らしながら敵陣へ吸い込まれていく。
「な、なんだこの煙は……ゲホッ! 身体が……動か……」
水に触れると神経を麻痺させる毒霧が、雨天の湿気と相まって一瞬で入り江を支配した。
荷揚げ中の兵士たちが、頭部死球をくらったバッターのように次々と崩れ落ちていく。
「ひええ……エグい。私がやられ役じゃなくってよかった……」
私がドン引きしていると、小六さんと小右衛門さんがバットを担いで岩陰から飛び出した。
「よし! 雑魚は片付いたな! 物資を奪うぞ――」
――ドキューン!
小六さんの言葉を遮るように、崖の上から耳を裂くような銃声が響く。
放たれた弾丸が小六さんの足元の岩を粉砕し、火花を散らす。
雨なのに火縄銃を作動させてる?
「ああん? せっかくの稼ぎ時を邪魔しやがって。てめえら野武士か山賊かあ?」
崖の上に男が立っていた。
鳥の羽をあしらったド派手な陣羽織を翻し、最新式の火縄銃を軽々と肩に担いだ荒くれ者だ。
そいつの不敵な面構えを見て、一益さんの目が鋭く細まった。
「……雑賀の頭領、鈴木孫一殿か」
「なんだあ? 甲賀の滝川さんじゃねえか。それに嘉隆さんまでいやがる。ふーん、織田の軍勢がここを見つけたんかい。北畠の親分も、ケチな泥棒猫に家を荒らされてちゃ世話ねえな」
孫一さんが指を鳴らすと、周囲の岩陰から一斉に火縄銃の銃身が突き出された。
絶体絶命! ……と思いきや、孫一さんの懐から一球の白球が浮き上がった。
それを見て、私の懐でセンイチが吠えた。
『ムッ! その鋼のように硬く、無愛想な守備の波動……オニヘイか!』
孫一さんの手元で、研ぎ澄まされた銀色の光を放つボールが静かに答える。
『……センイチとボビーか。久しいな』
――沈黙。
……え、それだけ?
「センイチ、今の何? 知り合いなの?」
『おう……タイガースの鉄壁の遊撃手よ。じゃがな、こやつは極度のコミュ症……。現役時代にタイガース三奇人と呼ばれたほど、寡黙すぎて何を考えとるかサッパリ分からん男なんじゃ!』
『ミーも知ってるネ。若かりし頃のビッグボスも、奴の考えがわからずノイローゼになったと聞いてるヨ。メジャーでビッグボスを受け入れたのミーネ!』
『おい、オニヘイ! 儂の飲みの誘いを全部断りやがった恨み、忘れてないぞ!』
『……』
『無視すんな、おんどりゃあああ! あんたが明大に行く約束したのにタイガースに入団したせいで、儂のドラフトの時に、明大はタイガースからの指名お断りになったんじゃぞおおおおお!』
「ちょっとセンイチ落ち着いて。……もう、英霊ボール界ってクセの強いのしかいないの⁉」
オニヘイとかビッグボスって、犯科帳とマフィアかよ。
私が絶叫する中、孫一さんはニヤリと笑って引き金に指をかけた。
「オニヘイ、知り合いか? ま、とっとと死体に変えるとするか。……くらえ!」
ババババババッ!
火縄銃とは思えない、信じられないほどの連射音が入り江に響き渡る。
「小六! 小右衛門! 避けろ!」
嘉隆さんの叫びと同時に、私たちは反射的に動いた。
一益さんは変わり身の術で背後の丸太と入れ替わり、嘉隆さんと小六さんは金属バットを盾にして弾丸を力任せに弾き飛ばす。
私はというと、日野城で習得したバントの極意を全開。
飛んでくる弾丸の威力を、バットのヘッドを柔らかく引くことで殺し、すべて自分の足元にポトリと落としていく。
孫一さんは「ヒュウ♪」と口笛を吹いた。
「鉄砲の玉を棒切れで捌くとはな。噂に聞く信長の恋女房は伊達じゃねえな。……こりゃ多勢に無勢だ。参ったな、ずらかるとするか」
孫一さんはあっさりと銃を下ろし、踵を返す。
「待って! 逃げるなら英霊ボールを賭けて、私と野球で勝負して!」
私がバットを突きつけて叫ぶと、孫一さんは困ったように頭を掻いた。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺とオニヘイは親友なんだ。賭けの道具にするほど安くねえよ」
「孫一殿!」
一益さんが声を張り上げる。
「雑賀が何故、本願寺に協力する! 誇り高き傭兵集団が、何故北畠の補給を助ける!」
孫一さんは一瞬だけ真面目な顔をして、海を見つめた。
「こっちにも事情があるってもんよ。本願寺の坊主どもは銭の払いだけはいいからな。ま、機会があれば味方になることもあらあ。……あばよ!」
孫一さんが地面に煙玉を叩きつけ、白い煙が晴れた時、そこにはもう誰の姿もなかった。
「……鉄砲の腕も逃げ足も早いのね」
私は呆然として呟くが、何はともあれ作戦成功。
補給路を完全に絶ったことで、これで大河内城の陥落は時間の問題となるだろう。
嘉隆さんと小六さんたちが「よっしゃ、これで臨時賞与確定だぜ!」とハイタッチを交わしている横で、私は雨粒を拭った。
勝利を確信して信長様の本陣へ戻り数日が経過。
大河内城の兵たちの血色が悪くなっていく。
降伏までもう少し。
そう思っていたんだけど、翌朝、信長様の陣から不穏な空気が満ちていた。
何があったのかと駆けつけると、降りしきる雨の中、本陣の入り口に馬を繋ぎ、優雅に立っている男の人がいた。
「……細川藤孝さん?」
将軍・義昭様の側近である藤孝さんが、なぜこんな泥沼の戦場に?
信長様はバットを強く握りしめ、かつてないほど不快そうに正面を睨みつけていた。
「信長殿、お手を収められよ。上様よりの御内書にございます」
藤孝さんが掲げたのは、将軍家からの絶対命令。
「『北畠は足利幕府に連なる名門。これ以上の攻撃は幕府の権威を損なうもの。直ちに停戦し、講和せよ』……とのこと。これ以上は、反逆とみなされますぞ」
半兵衛君と重矩君に「どういうこと?」と小声で訊ねると、こんな答えが帰ってきた。
「要は勝利まであと1点、というところで突きつけられた無効試合の宣告です」
「受け入れれば、今までの犠牲が全て無駄になり、拒否すれば織田は幕府の後見ではなくなる、ということです」
「……そんな!」
信長様を見つめると、怒りのオーラが雨を蒸発させるほどの熱気を放っている。
(……やばい。これ、信長様がキレて暴れちゃうパターンじゃない⁉)
私は震えながら、最悪の空気の中で立ち尽くすしかなかった。




