第60話 長谷川真昼、本圀寺の変勃発をまだ知らない
「あ〜、終わった終わった! これにて京遠征、無事終了! 岐阜に帰ったら3日間は畳に接着剤でくっついたみたいにゴロゴロしよ。おやつは堺で買った金平糖、飲み物は濃いめの緑茶! これ、JKの義務ね!」
上洛という名の大工事と政治工作を終え、岐阜城へと向かう行軍中、私は馬の上でのけぞりながら久しぶりの休暇に思いを馳せていた。
隣を走る信長様は、相変わらずバットを肩に担いで不敵な笑みを浮かべている。
「ふん、うつけが。そんなに寝たければ、永遠に寝かせてやってもいいんだぞ?」
「それ殺害予告じゃん! やめてよ、私はこれから戦国にスイーツ文化を広めなきゃいけないんだから」
軽口を叩きつつ、私は行列の少し後ろで馬を走らせる久秀さんに目を向けた。
つい先日降伏してきたばかりのおじさんだけど、なんで当然のように岐阜までついてくるんだろ?
降伏した他の人たち、所領に残ってるし、長政さんも家康さんも自国に帰ったのに。
「ねえ半兵衛君、久秀さんって信長様に大和の所領を安堵されたんだよね? 」
後ろで馬を走らせる半兵衛君に囁いていく。
「大和平定の、入念な打ち合わせをしたいそうです。三好三人衆側の筒井順慶が、頑強に抵抗してますからね」
「入念な打ち合わせ? どうするの?」
「はて……まだなんとも言えませんね」
絶対嘘だね半兵衛君。頭の中で大和平定プラン解答終了、って顔してるよ。
どうかそのプランに、私が使用されてませんように。
だって秀吉さん、秀長、長秀さん、光秀さんが京に残っちゃって、指名される可能性高くなってるし。
私が祈っている間、久秀さんは神妙な顔で先頭の信長様の背中を見つめていた。
(……政務や外交のために岐阜に帰らざるを得ない信長。四国に逃げた三好三人衆の軍勢が無傷なのは承知のはず。……さて、お手並み拝見とするか)
息子久通に預けているブレイザーの波動を感じながら、久秀は目を細めた。
***
私たちが岐阜へ発った後、京の本圀寺に滞在する義昭様を守るのは光秀さん、長秀さん、秀吉さん、秀長、文官の村井貞勝さんの居残り組だ。
「……ですから、左大臣様。野球とはただの遊びではなく、宇宙の真理……九会曼荼羅の理を具現化した神事にございます。投球とは煩悩を払う一撃、捕球とは慈悲の心……」
「おお、なんと神々しい! では、その『ほおむらん』とやらを打てば、極楽往生できるのじゃな?」
「……左様でございます」
光秀さんが白目を剥きながら、公家相手に野球理論を展開して必死に接待している。
隣では長秀さんが「ええ、野球道具の予算も内裏の修復費に含まれておりますので」と、笑顔で帳面をめくっていた。
「いやあ、接待って野球の練習より疲れるねえ……」
公家への接待を終え、休憩室で秀吉さんがぐったりと座り込んだ。
男装していても隠しきれない気品と美貌は、すでに京の公家たちの間で「木下殿はどこぞの貴種の姫ではないか」と噂の的だ。
秀長は秀長で、一分の隙もない完璧な作法でお茶を運び、「あの猿、もしや天台宗の秘儀を修めた霊獣では?」と公家たちを驚愕させている。
「……真昼殿が残らなくて良かった。彼女がいたら今頃公家に無礼を働いて、今までの外交努力がすべて瓦解していたところだ……ブツブツ」
村井さんが目の下に隈を作ってそろばんを弾いた。
そんな1日が終わり、一同が本圀寺で深い眠りについた深夜のことだ。
――ジャァァァァァァァン!
突如として、不吉な銅鑼の音が京の夜空を震わせた。
「敵襲! 守備位置につけ!」
光秀さんの怒号で跳ね起きる一同。
寺の外を見ると、数千の軍勢が本圀寺を幾重にも包囲していた。
四国から舞い戻った三好三人衆の軍勢……その中に、もう1人、見知った顔が軍の先頭に立っていた。
「……あれは、斎藤龍興では⁉」
長秀さんが絶句する。
大雪の月明かりの下、龍興の顔つきは獣のように精悍に引き締まり、瞳には異常なまでのポジティブな狂気が宿っている。
稲葉山城を追われた面影はなかった。
「ヒャッハッハ! 今日は最高に絶好調な気分だぜ! 裏切り者の光秀と帰蝶、この場で始末してくれるわ!」
青色に激しく、狂おしいほどに発光する英霊ボールが龍興の手に握られていた。
『ガッハッハ! 悩んでる暇なんてねえぞ! 打たれたら打ち返せ! エラーしたら笑い飛ばせ! 今日という日は、俺のためにあるんじゃああ!』
ボールが鼓膜を突き破るような大声で咆哮する。
「なっ……なんだあのボールは⁉ センイチ殿やモリミチ殿とは違う、押し潰されそうなほどの前向きさを感じる……!」
絶句する光秀の元へ、寝間着姿の義昭がガタガタ震えて現れた。
「ど、どうなってるんじゃ! は、早く連中を追い返せ! 余は……よ、よ、余は征夷大将軍なんじゃぞ!」
「ええい! 私は文官だぞ! 暴力反対じゃぁぁぁ!」
村井さんも帳面を盾にして右往左往。完全に戦力外通告だ。
「すぐに救援を呼びます! 村井殿は上様と奥に! 知恩院にいる藤孝殿と三好義継殿に知らせよ! 岐阜の信長様にも早馬を!」
秀吉さんの指示で伝令が走るも、救援が来るまで持ちこたえられる保証はない。
「無駄だ、救援が来る前に終わらせる!」
龍興がボールを高く掲げると、戦場全体が狂ったような青色の光に包まれた。
「降りてこい、キヨシ! 今の俺は……絶好調おおおおおおおお!」
『おうッ! 全員で行くぞ! ワッショイ! ワッショイ!』
キヨシボールの叫びと共に、三好兵たちに恐怖心が消え失せ、超ポジティブ・バーサーカー集団へと変貌する。
彼らは笑いながら寺の門を破壊し始めた。
「な、なんだこの打撃は……! 規律もクソもない、ただの暴力的な前向きさに、守備網が抜かれていく……!」
長秀さんの絶望の声が木霊する本圀寺。
岐阜にいる私たちは、まだ気づいていない。
京が、秀吉さんたちが、人生最大の危機に陥っていることに。
「絶好調おおおおおお! ホームランじゃあああい!」
龍興の歓喜の咆哮が、京の夜を支配していった。




