第54話 長谷川真昼、地味な特訓させられる
南近江の空を、織田軍が放った攻略の狼煙が幾重にも染め上げていた。
箕作城が落ち、和田山城が砕け、六角家自慢の18支城ネットワークは圏外。
あとは本拠地・観音寺城を残すのみ……という状況で、唯一落ちない城があった。
六角の守備の要、日野城である。
私は主将として、城壁に仁王立ちする蒲生賢秀を見上げた。
賢秀さんの手には荘厳な……というか、近づくだけで背筋が凍るような光を放つ白球、英霊ボール『マサオ』が握られている。
『ヒエッ……ま、マサオさん……。目が、目が合った気がするわい……!』
懐のセンイチが、スマホの緊急速報ばりにガタガタ震えている。
ボールの目ってどこだよ。
「そんなに怖いの? センイチ」
『当たり前じゃ! あの人はバント安打を量産した小技の達人にして、守備位置をミリ単位で指定する超スパルタの鬼軍曹! 儂のような熱血バカは、あの方の前では直立不動になるしかないんじゃ……!』
そんなセンイチのビビりっぷりを他所に、私の後ろから1人の武将が馬を進めた。
彼は神戸具盛さん。蒲生賢秀さんの義理の兄弟である。
まずは身内の説得という、令和の司法でもよくあるパターンが私たちの作戦なのだ。
「賢秀殿! 目を覚まされよ! 観音寺城の六角親子は、定頼公が築き上げた法を守る器にあらず! 先年の観音寺騒動を思い出せ! 今、日野城が守るべきは六角という名家ではない、蒲生の血脈と、この近江の未来であろう!」
具盛さんの必死のプレゼンに城壁の賢秀さんは、じっと空を見上げていたが、やがて手の中のマサオボールを愛おしそうに撫でた。
「……具盛殿、理はそちらにあるようだ。マサオ殿も、『監督が逃げ出したベンチに居座る必要はない』と仰っておられる。……だがな、武士の引き際、ただ門を開けるだけでは芸がない」
賢秀さんが私を指差してくる。
「そこの主将殿。マサオ殿の最期の教え、受けてくだされ。それで満足したあかつきには、この城と英霊ボール、織田家に託しましょうぞ」
「えっ、私⁉ 対決じゃなくて教え⁉」
嫌な予感がする。お姉ちゃんが「ちょっと、今暇でしょ」って言ってくる時と同じくらいの嫌な予感がしてきたんだけど。
城門が開かれ入城後、私はなぜか城内の中庭で金属バットを短く持ち、腰を落として構えさせられていた。
「……あの、これいつまでやるの?」
『甘いっ! 膝が高い! 殺気を消せ、ボールを殺せ、己を殺せぇぇぇぇ!』
空中に浮かんだマサオボールが、鼓膜が破れそうな怒号を飛ばしてくる。
賢秀さんが投げる緩いボールを、私はバットで勢いを殺し、指定された小さな木箱の中へ転がし続ける。
コツン……。
『箱の外じゃ! やり直し!』
コツン……。
『角度が悪い! お前の根性が曲がっておるからじゃ!』
「地味! 地味すぎるよこれ! 私、もっとスカッとホームラン打ちたい派なんだけど!」
『バカもーん! 野球はな、こういう地味な繋ぎで勝敗が決まるんじゃ!」
センイチまで、マサオさんの迫力に感化されて熱血指導に加わり出した。
『小娘、肘を柔らかく使うんじゃ! マサオさんのバントは芸術! これをマスターすれば天下を獲れる!』
「獲らなくていいよ! 私は令和のJKなんだよぉぉぉ!」
『儂もな、選手としてバリバリやろうとしたがチビでパワーがなくてのう。……小技を磨いて生き延び、ブレーブス寮、集勇館のドンとなり、戦争で召集されてしまった親分の変わりに監督になったのじゃ』
「へえ、苦労したんだね。……ん?」
ドンとか親分って、野球の話だよね?
まあ、非力でも知恵と勇気と根性で成り上がったのがわかったよ。
『ちなみに、儂も召集されたけどチビは要らんと野球に専念できた。あの時の感情、親分のことを思うと複雑じゃったよ』
「わかる。残されるのも、切なくなるし悔しいよね」
私も小さかった時、お母さんとお父さんとお姉ちゃんが「ちょっと麻薬組織壊滅させてくる」って言って留守番させられた時は心配だったし、連れってってくれなかった悔しさがあったよ。
滝のような汗を流し、一万回くらい「コツン」を繰り返した頃、ようやくマサオボールの光が収まった。
『……ふむ。筋は悪くない。……信長によろしく伝えろ。「守備を疎かにする者は、天下は獲れん」とな。ミズハラ監督……お供しますぞ』
そう言い残し、マサオさんは私の手の中へと収まり、眠りについた。
てか、ミズハラの後輩だって言うし、ミズハラ叩き起こして説得させればよかったんじゃ?
そんな私の地獄の特訓を、木陰で涼しい顔をして見ていた竹中半兵衛君に、モリミチボールが冷徹にツッコんだ。
『……半兵衛。お主、確信犯じゃな。マサオさんの教育的指導が始まると分かっておったから、真昼を主将に任命して自分は高みの見物を決め込んだな?』
半兵衛君は扇子で口元を隠し、クスリと笑った。
「さて、何のことでしょうか。……ただ、真昼殿のような暴れ馬には、一度『型』を教え込むのが織田家を采配する者としての親心かと思いまして」
『お主、一番性格悪いのう……カッカッカ』
何はともあれ日野城は無血開城。
賢秀さんは光秀さんと半兵衛君の前に跪き、1人の少年を連れてきた。
「マサオ殿も満足されたようだ。約束通り、降伏いたす。……つきましては、我が嫡男・鶴千代を信長様の元で英才教育させていただきたい」
現れたのは、12歳くらいの少年。
……だけど、なんなのこの子。
周囲を囲む織田軍の猛者たちをも「ふーん、なるほどね」みたいな冷めた目で見つめている。
「光秀殿、もう一つ、真昼殿を主将にした理由があります」
「……なるほど。攻城戦でこの子が死ぬのを恐れたのか」
「察しがよくて助かります。逸材は、何人いても足りないことはありませんから」
半兵衛君と光秀さんが、満足そうに鶴千代君を見つめた。
少年の落ち着きっぷりは、令和でもランドセルじゃなくて、ベンチャー企業の社長室に座っていても違和感ないレベルだ。
(ええ……この子、12歳? 可愛げなさすぎでしょ! 私があの年の頃なんて、近所の駄菓子屋のおばあちゃんに飴玉貰って喜んでたんだけど!)
鶴千代君は、私をじーっと見つめてから口を開いた。
「……なるほど。マサオ様の規律を、力でねじ伏せるのではなく、受け入れることで手なずけましたか。新しい理、しかと学ばせていただきましょう」
「……感想までオトナかい! 鶴千代君、もっとこう、『親の元を離れたくない』とか思わないの?」
「結果が全てですから」
バッサリ斬られた。……この子、絶対に出世する。
そして半兵衛君みたいに、私をこき使うタイプの人間だ!
『田舎に住むエリートの越境留学じゃな。こやつは伸びるぞ。将来のレギュラー確定じゃ!』
『野球留学か。儂らの時代にはなかったが、仲間と切磋琢磨するのは限界を超えるのに必要じゃからのう。目指せ、甲子園ってな』
『応! 今後も有望な子をスカウトしてくぞ! 戦国の世で野球を広めるためにも!』
センイチ? モリミチ? 令和の高校野球留学で盛り上がるんじゃないっての。
***
日野城が落ち、南近江が制圧されたという報は、すぐに観音寺城の六角親子に届いた。
「蒲生まで裏切ったのか!」
義治が喚き散らす中、隠居の承禎はすでに荷物をまとめていた。
「……退却だ。甲賀の山へ逃げ込む。どうせ信長はすぐに岐阜へ帰る……その後の勝負で決めてくれるわ」
六角親子は本拠地を捨て、闇夜に紛れて甲賀へと逃走。
名門・六角家は、ここに事実上の崩壊を迎えたのである。
私は日野城の門を後にしながら、回収したマサオボールを眺めた。
「よーし! これで京への道はオートログイン状態! ついに八つ橋食べ放題ツアーの開幕だよ!」
『ガッハッハ! マサオさんも加わって、我らドラゴンズの意気は軒高よ! 行くぞ小娘、京の都のマウンドが儂たちを待っておるぞ!』
センイチの絶叫と共に、織田軍、徳川軍、浅井軍、降伏した旧六角軍を合わせた5万の大軍勢が、怒涛の勢いで京へと向かって進軍を開始した。




