第51話 長谷川真昼、神の巫女になる
北近江、浅井家の佐和山城に滞在している流浪の将軍候補・足利義昭様のもとに、ついに織田軍が到着した。
義昭様は光秀さんから聞かされていた「城門を粉砕する神の巫女」の姿を思い描き、緊張しながら広間で待っている。
(美少女というが本当かのう? 食べられたらどうしよう? 食い意地張ってるとも聞いたぞ?)
心臓を忙しく鳴らしている義昭様が、ついに私たちと対面だ。
信長様が最初に視界に入り、跪く姿を見て、義昭様は笑みが溢れた。
(おお! こやつが信長か! うむうむ、頼りになりそうじゃ。3つしか年齢変わらぬというが父と呼んでヨイショしよ)
なんて思ったそうだけど――
「うう……相変わらずの海赤雨さん。浅井家の軍勢の真顔だけがグルグル回ってて、私の目も回ったよ……」
フラフラしながら入ってくる、ごく普通の女子高生の私、長谷川真昼を見て、義昭様は目が点となった。
「……十兵衛よ。あれが噂の神の巫女か? 随分と……その、なんというか……容姿は整っているが、親しみやすい構えをしておるというか」
義昭様は引き攣った笑顔で、光秀さんに小声で尋ねた。
光秀さんは滝のような冷や汗を拭いながら弁解を始める。
「はっ! あれこそが無手の極意! 殺気を完全に消し、日常の中にこそ神域の力を宿すのです。……真昼殿、お座り!」
「って、光秀さん、私は犬かい。あ、どうも足利義昭様ですね。長谷川真昼と言います! よろしくお願いします!」
ふう。目が回ってるから義昭様が分裂して見えてるけど、なんとか挨拶できたよ。
さすが私だ。
「ま、真昼殿ぉぉぉ!」
なぜか光秀さんが卒倒しているけど、義昭様は逆に感銘を受けたような顔をしていた。
「いやいやよいよい、神事を司る巫女、このくらいの無邪気さがちょうどいいものよ」
おお、話がわかる。
ちょっと何を言ってるのか、よくわからないけど。
「無邪気じゃなく、無知ですけどね」
おいこら半兵衛君、背後で呟いた小声、聞こえてるよ?
フフ……どうやら半兵衛君には、織田家で私が先輩だってのを思い知らせてあげる必要があるみたいだね。
……あれ? 回っていた目が落ち着いて後ろを見ると全員跪いてるじゃん!
信長様も跪いてるし! いつもやかましいセンイチも信長様の手で静かだし!
(やばっ……)
ササッと私も跪いたのでした。
大丈夫だよね? 無礼者って怒られないよね?
そう思っていると信長様が、何食わぬ顔で私を紹介する。
「義昭様。これが俺の恋女房にして、織田の秩序の要にございます。彼女の持つ鉄の棒こそ、新たな天下の理を刻む道具」
「ほう……恋女房。曼荼羅の理を刻む巫女……うむうむ、頼むぞ信長、それに神の巫女よ」
曼荼羅? 巫女?
やっぱり何を言ってるのかよくわかんないけど、怒られないみたいでよかった~。
***
宴席が始まり、信長様、センイチ、長政さん、家康さんが義昭様を接待する中、私は末座の方で秀吉さんと又左さんと会話していた。
「おい真昼、あの将軍様、完全に鼻の下伸ばしてお前のこと拝んでるぞ。チョロいもんだな」
又左さんがニヤニヤしながら酒を煽る。
「ええ、もしかして私、将軍様の奥さんになったりして! ん~~、でもちょっと頼りなさそうだよね~」
「……いや、それは天地がひっくり返ってもないから、現実に戻ってこい、真昼。ありえない妄想すんな」
「又左さん、真顔で何を抜かしやがる?」
「十兵衛様、義昭様に真昼のことを神の巫女などと……バレたらどうするつもりなのか……」
秀吉さん? それどういう意味?
「ウキー、ウキー」
秀長? 何を頷いているんだ?
そんな私たちのところへ義昭様が目を向け、絶世の美貌を持つ秀吉さんを見て驚いた。
(なんと……あの末座に座る者、この世のものとは思えぬ美貌。十兵衛め、巫女だけでなく天女まで用意したか……。ゴクリ。男子のようだが、余は新しい扉を開くべきか……?)
義昭様が悶々として秀吉さんを凝視していたが、隣に座る秀長が視界に入る。
秀長は誰よりも背筋をピンと伸ばし、一分の隙もない完璧な礼儀作法でお猪口を掲げたのだ。
彼(真正の猿)の動作は高貴な公家すら足元に及ばないほど優雅。
視線に気づいた秀長は、義昭様に向かって「クワッ」と完璧な会釈を送った。
(……待て。猿が……猿が余に向かって、室町文化の極みのような完璧な作法をしておる。……いかん。飲み過ぎた。美しすぎる男と、礼儀正しい猿。信長の横ではセンイチなる球体が酒を吸収しとるし……これは幻に相違ない。無視じゃ。今は全てを無視して酒を飲むのじゃ……!)
義昭様、自らの正気を守るために秀吉さんへのときめきを強制シャットダウン。
秀長、センイチ、ナイスブロック。
「真昼ぅぅぅぅ! 待ってましたわ!」
突然襖が爆発せんばかりに開き、お市ちゃんが突進してきて、凄まじいタックルで私は押し倒されてしまう。
「さあ、大人しくしなさい! 久々に会って、貴女の身体が汚されていないか、私の鼻で検分させていただきます!」
「ひ、ひいっ! お市ちゃん、鼻息が熱い! 私は汚れてないから! てか、誰か助けてえええええええ!」
お市ちゃんが私の首筋を攻める中、家康さんがノムサンボールを握りしめてため息をつく。
「……儂、またおかしな宴席に参加しておるな。のう、ノムサン」
『……ボヤくな。今は酒を浴びせよ』
そんな家康さんの横で、長政さんが誇らしげに信長様とセンイチに語っている。
「信長殿、センイチ殿。お市殿によって磨かれた我が浅井家の美脚軍、誰もがいつでも盗塁できるほどに仕上がっております! 戦はお任せくだされ!」
「ハハハ! いい覚悟だ長政、お前の迷いのなさが勝利に繋がる!」
『機動力は大事よ! ガッハッハ、酒じゃ、酒を浴びせよ!』
……信長様たち、ただの酔っ払いの会話になってるよ。
宴の喧騒を離れた一角では竹中半兵衛君、光秀さん、幕臣の細川藤孝さんが、真面目に六角家攻略の密談を広げていた。
「六角の守備陣は鉄壁。支城も多く、普通に攻めれば上洛の前に織田殿の主力が使い果たされます。それがしはそれが懸念でございまして……京の三好三人衆に勝てるかどうか……」
藤孝さんが眉をひそめて呟いた。
「六角家の防御は完璧ですが、当主と家臣団の間に亀裂があります。彼らの思考は古い兵法書のままです。心配には及びません。警戒するは蒲生賢秀のみでしょう」
半兵衛君が楽しそうにモリミチボールに酒を浴びせながら、私を見て笑みを浮かべた。
ゾクリ。何を考えてるんだ? あの腹黒軍師。
「信長様は無血を望まれていますが、六角家の説得は厳しいかと。大軍を見て、手のひらを返してくれるとありがたいのだが」
光秀さんが、そっと囁いた。
***
翌日、信長様は和田惟政さんを使者として六角へ再度の説得を送る。
けれど返ってきたのは罵詈雑言。
六角義治・承禎親子は「尾張の田舎者が名門六角に勝てると思うてか」と鼻で笑ったそうな。
「おのれ六角! 直ちに攻め滅ぼしましょう!」
激昂する権六さんたちだが、信長様は無言で目を閉じ、静かに佇んでいた。
「……? 信長様、どうしたの? いつもなら『死ね!』って即答するのに」
即断即決が売りなのに、何を迷ってるんだか。
信長様が目を開け、私と光秀さんを名指しする。
「……真昼、十兵衛。もう一度だけ説得に行け。俺の言葉を直接伝えてこい」
「ええっ⁉ 私、昨日の夜、お市ちゃんに検分されて、美しい脛コンテストで優勝してヘロヘロなんだけど!」
驚く私の隣で、光秀さんは信長様の瞳の奥にある個人的な情熱を読み取り頷いた。
「行きましょう、真昼殿。信長様の六角家への敬意を伝えるために」
敬意? 信長様にそんなのあるの?




