第34話 長谷川真昼、竹中半兵衛に大敗する
「美濃獲り、いっくぞおおおおお!」
どんよりとした曇り空の下、新加納の地で私の絶叫が響き渡る。
三河の元康さんとの同盟が成立し、東の憂いがなくなった織田軍は、破竹の勢いで美濃へ侵攻していた。
兵力は5000。対する斎藤軍は寄せ集め。
これはもう、コールドゲーム確定でしょ!
「おう! 稲葉山城まで一直線よ! 俺のフルスイングでスタンドまで叩き込んでやるわ!」
先頭を駆ける信長様も、金属バットをブンブン振り回してご満悦だ。
勝三郎さんや成政さんたち若手ナインも、意気揚々と進軍している。
……そう、この時までは、誰もが勝利を疑わなかったんだ。
ジャァァァァァァァン!
不意に銅鑼の音が大気を震わせ、次の瞬間。
「えっ? 何これ、囲まれてる?」
私たちの四方八方、草むらから、木陰から、岩陰から、わらわらと斎藤兵が湧き出てきたのだ。
伏兵? いや、ただの伏兵じゃない。
信長様が先頭の敵兵に向かって手頃な岩を剛速球で投げつける!
「邪魔だ退けぇ!」
ドゴォッ! と当たるはずだった岩は――。
敵兵がヒョイッと背後に手を回し、ノールックでグラブトスしたのだ!
えっ? 見てないのに⁉
「なっ……バックトスだと⁉」
信長様が驚愕する中、トスされた岩を隣の兵が素手でキャッチし、さらに流れるような動きで次の兵へ転送。
斎藤兵一人ひとりが、鉄壁の守備職人と化している!
『いかん! これは十面埋伏の計……半兵衛とモリミチによる鉄壁の守備シフトじゃ!』
懐のセンイチが悲鳴を上げる。
「守備シフトぉ⁉」
『モリミチの野郎め! 進軍ルートの傾向を完全に読んで、野手を配置してきおった! どこへ打っても野手の正面じゃ!』
「くそっ! 槍が届かねえ! 攻めようとすると横から華麗に捌かれる!」
「前に出られぬ! まるで蜘蛛の巣の中に閉じ込められたようだ!」
又左さんと勝三郎さんが焦りの声を上げる。
強い。個々の兵は弱いはずなのに、集団としての守備力が異常に高い。
職人芸のようなバックトスで攻撃を受け流され、ジリジリと包囲網が縮まっていく。
指揮官は美濃の美少年、竹中半兵衛君だ!
「チッ! 完全にハマったな。……没収試合だ! 全軍退却! 命あっての物種よ!」
信長様の判断は早かった。
プライドよりも実利。負け戦と見たら即座に引く。これが信長様の強さだ。
「退けぇ! 清洲へ走れぇ!」
織田軍が一斉に反転する。
でも、敵の守備網はしつこく食らいついてくる。このままじゃ背中を撃たれて壊滅する!
「信長様! 先に行ってくだされ! ここは私がしんがりを務めます!」
秀吉さんが足を止め、バットを構え直した。
「私もしんがりを務めます! 秀吉さん、いいですね!」
「かたじけない、真昼!」
「秀吉と真昼を死なせるわけにはいかん! 俺も残るぜ!」
又左さんも覚悟を決めて合流してくる。
「いくよ秀吉さん! 又左さん、死ぬ気の千本ノックだ! ボール出しお願い!」
秀吉さんと又左さんがボールを次々とトスする。
私は迫りくる斎藤兵に向かって、フルスイングで打ち込む!
カキーン! カキーン! カキーン!
私の放つ高速のイレギュラーバウンドするノックの乱れ打ちには、さすがのモリミチシフトも対応しきれない!
「ウキー!」
秀長も煙玉、撒菱、目潰し、なんでもありで敵の足を止める。
私たちの必死の抵抗で、敵の追撃が一瞬だけ緩んだ。
「今だ! 追いつかれる前に走れぇぇぇぇ!」
秀吉さんの撤退判断と同時に猛ダッシュ。
なんとか清洲城に帰り着いた頃には、私は泥だらけのボロ雑巾みたいになっていた。
人的被害は最小限に抑えられたけど、精神的ダメージはデカい。
「はぁ、はぁ……あああああ! また半兵衛君に負けたあああああ!」
私は大広間の畳に大の字になって天井を見上げた。
せっかく東は安定化したのに、半兵衛君とモリミチボールによって全く進展しない状況になってしまった。
***
数日後の美濃国稲葉山城。
織田軍を撃退したというのに、城内の空気は淀んでいた。
「殿、今こそ好機です。敗走する織田軍を追撃し、尾張へ逆侵攻すべきです。僕なら信長を討てます」
大広間の中央で、竹中半兵衛が進言していた。
手には鈍く光るモリミチボールが握られている。
『半兵衛の言う通りだ。今の信長軍はリリーフを使い果たしている。完封できるぞ』
しかし上座に座る美濃国主・斎藤龍興は、気だるげにあくびをした。
その手には酒杯、両脇には派手な着物を着た美女たち。
「うい~、半兵衛よ、ご苦労。……まあ、織田が弱かっただけじゃろ? 追撃なぞ面倒じゃ」
「殿! これは美濃の未来に関わることです! 亡き義龍様が築き上げたこの国を、安んじてはなりません!」
「うるさいのう! 今日は新しい側室が来る日なんじゃ。戦なんぞやっとられんわ」
龍興は半兵衛を一瞥もせず、女たちと戯れ始めた。
さらに周囲に控えていた龍興の寵臣たちからも嘲笑が飛ぶ。
「おいおい半兵衛。運良く勝ったくせに増長するなよ」
「田舎侍が軍略を語るとは片腹痛い」
「その汚い球体も目障りじゃ。捨ててしまえ」
近習の一人が、半兵衛の手にあるモリミチボールを蹴り飛ばそうと足を上げた。
半兵衛はサッと身を引いてかわしたが、瞳から感情が消え失せた。
『……半兵衛。ここには守るべきものはないようじゃな』
モリミチの静かな怒りが、半兵衛の脳内に響く。
『儂のバックトスは、信頼できる相棒がいてこそ輝く。……こんなチームで鉄壁は築けんぞ』
「……ええ。守備位置の変更が必要です。この城には、まともな監督が不在のようですから」
半兵衛は龍興たちに背を向け、大広間を去っていった。
背中は、かつてない冷徹な決意に満ちていた。
美濃を守るため。道三と義龍、偉大な先人たちの誇りを貫くため。
それから数日後。
稲葉山城の正門に、半兵衛は少数の従者たちと立っていた。総勢わずか16名。
手にはそれぞれ、大きな風呂敷包みを抱えている。
「人質の弟・重矩が城内で療養中ですので、見舞いに参りました」
門番は疑いもせず通した。
城内の一室に入った半兵衛たちは風呂敷を解き、金属バット、グローブ、白球を取り出す。
「プレイボール。……これより、全員アウトにします」
半兵衛の号令と共に、16人が動き出した。
モリミチボールの力が解放され、彼らの守備範囲が城全体に拡大する。
襲いかかる警備兵の槍を、先頭の従者がグラブで掴む!
すかさず半兵衛へグラブトス!
半兵衛が素手でキャッチし、そのまま弟の重矩へ転送!
バシッ! バシッ! ドカッ!
6-4-3のダブルプレーならぬ、人間ダブルプレー!
16人全員がいぶし銀の守備職人と化している。
警備兵たちはボールのように扱われ、きりきり舞いさせられた挙句、最後は城壁の外へ放り投げられていく。
それは制圧というより、美しい守備練習を見ているようだった。
そして半兵衛は、龍興の寝所へ土足で踏み込んだ。
「な、なんじゃ貴様ら! 謀叛か⁉」
寝間着姿で飛び起きた龍興に半兵衛は冷ややかな目を向け、右手の親指を立て、高らかに背後の出口を指差した。
「退場処分です。即刻、稲葉山城から出ていっていただきましょう」
半兵衛たちは抵抗する龍興と側近たちを捕縛し、そのまま城外へと放り出した。
難攻不落と言われた稲葉山城は、たった半刻で竹中半兵衛率いるわずか16人の手によって落城したのだった。




