第32話 長谷川真昼、信長の打席を見守る
「10打席勝負、残り2打席で1安打が必要か。……フッ、是非もなし」
私が三振してベンチに戻ると、信長様はバットを肩に担ぎ、ゆっくりとバッターボックスへ向かった。
極限のクライマックスだというのに、足取りは散歩でもするかのように軽い。
打席に入った信長様はバットを構えることすらせず、キャッチャーの元康さんを見下ろして不敵に笑った。
「久しいな、竹千代。随分と楽しそうじゃねえか」
元康さんの肩がビクッと跳ねる。
さっきまで私に日の本一の美少女と笑顔で言ってたのに、信長様と目が合うと視線を逸らして冷や汗をダラダラ流し始めた。
「な、何を仰いますやら吉法師様。儂は人質として無理やりやらされているだけで……ほら、目も泳いでおるでしょう?」
「白々しいぞ竹千代。……泰朝と手を組んだな?」
「へっ⁉」
元康さんが素っ頓狂な声を上げて固まる。
えっ? 手を組んだ? どういうこと? 敵同士でしょ?
「それとも、懐のノムサンとかいう狸ボールと、スギウラとかいうボールの入れ知恵か?」
信長様の言葉に、球審をしていたセンイチが飛び上がった。
『なぬっ⁉ ノムサンじゃと⁉ たしかにこのタヌキ、泰朝の変幻自在の速球と変化球を見事に捕球しておると思ったが……! 勝負に敗れ、眠ったフリをしていたか、ノムサン!』
センイチの指摘に、マウンドの泰朝の手元で青白く光るスギウラがため息吐いてから答える。
『……ふう、見破られたようじゃの、ノムサン』
すると観念したのか元康さんのミットの中から、ジジイ声が聞こえてきた。
『これスギウラ、黙っておけばいいものを。これだからお主は優しすぎる。儂もシゲオもお主を裏切った過去があるのに、あっさり許しおって……』
「ひいいっ! ノムサン、喋っちゃダメじゃあ!」
元康さんが慌ててミットを押さえるけどもう遅い。
ノムサンボール、そこにいて起きてたんかい! しかも狸寝入りして様子を窺っていたとは、さすがタヌキの持ちボール!
『シゲオはツルオカ親分の前で土下座して号泣したからのう……。ノムサンも……儂に取って最高の恋女房じゃったし……』
『クッ……スギウラ……』
『グスン……ええ話じゃ』
感極まって英霊ボールどもが涙声になってるんだけど、てか、裏切り? 親分? なんか英霊ボール界隈もドロドロしてんのね。
あんたら絶対、任侠の世界の住人だったろ。
『……まあ、裏切りは裏切りじゃけどな。栄養費や愛人は令和じゃあかんで』
『ゴホンゴホン! 黙らんかいセンイチ! お前の罰金鉄拳罰金も令和じゃ炎上案件じゃい!』
『命を賭けんでやる野球なんぞ野球じゃないわ! 野球のセーフアウトに命と金を差し出すのは当たり前じゃああああ!』
「おう! おれも同意だ。一球入魂に命を賭ける。これ以上にゾクゾクすることはねえぜ」
「ノムサン、吉法師様……それにセンイチとやら。話が変わってるから抑えて抑えて」
元康さんの仲裁に、2つの英霊ボールは「フンッ!」と叫んだあと、気を取り直したノムサンが感心したように呟く。
『しかしこの信長という男、義元を破っただけはあるのう。洞察力が化け物じゃ。ただのうつけではない』
信長様は「おう、認めてくれて嬉しいぜ」とニヤリと笑い、バットの先を元康さんに突きつけた。
「図星だろ? 筋書きはこうだ。竹千代、てめえは三河独立が悲願。泰朝は竹千代の独立を認める代わりに今川に与し、英霊ボール集めにも共同体制を結んだ。利害の一致ってやつだ」
元康さんの顔色が土色になり、泰朝は「クックック」と喉を鳴らして笑う。
ベンチの秀吉さんもハッとして叫んだ。
「そうか! 信長様をここへ誘き出したのは、信長様の持つ3つの英霊ボール、センイチ、ミズハラ、コウジをまとめて奪うためか!」
私たち、まんまと誘き出されたってわけか。
「わざわざ10打席与えて3安打すれば勝ちの条件を提示したのも、敗北した時の衝撃が大きいからだ。戦ってのは相手の心を徹底的に折ってこその勝利だしな」
信長様の言葉に、泰朝は悪びれもせず肯定する。
「その通り。だが、誤算が生じた」
信長様がバットの先を泰朝に向ける。
「一益にヒットを打たれたことだろ? 真昼に1本打たれるのは想定済み。残り2打席、俺との直接対決で圧倒的な力量差で打ち取りセンイチたちを奪い、戦意喪失した俺から尾張をも奪う……そんな筋書きだったはずだ」
泰朝の顔から笑みが消えた。
「……チッ。忍者の小技にしてやられたわ。だが、貴様を抑えれば問題ない! 俺の目的は貴様だ! 信長! 今川義元公の仇、完膚なきまでに叩き潰すことで完遂する!」
泰朝の全身から凄まじい闘気が立ち上る。
スギウラボールが青白い炎のように燃え上がり、泰朝を包み込んでいく。
「……食らえ信長。これがスギウラとノムサンによって引き出された、俺の最高のストレートだ!」
泰朝が大きく振りかぶる。
フォームは美しく力強いアンダースロー。
地面スレスレから放たれたボールは、まるで重力を無視して浮き上がるかのような軌道を描く!
速い! さっき私が見た球より数段速い!
信長様は一歩も引かない。
むしろ、嬉しそうに目を細めて踏み込んだ。
「悪いが俺は、味方が繋いでくれた好機を逃す趣味はねえんだよ!」
フルスイング一閃。
カキーン!!
金属バットとスギウラボールが衝突して火花が散る。
打球は夜空を引き裂き、一直線にバックスクリーン代わりの森の奥へと吸い込まれていく。
文句なし。完璧な特大ホームランだ。
「……」
静寂一瞬、すぐに爆発するような歓声があがる。
「やったああああ! 信長様ぁぁぁ!」
「ウキー! ウッキー!」
私と秀長が飛び跳ねて喜び、一益さんもグッとガッツポーズして、秀吉さんも微笑んでいる。
信長様はバットを放り投げ、ゆっくりとダイヤモンドを一周し始めた。
「勝負あったな。泰朝、竹千代」
泰朝は膝をつき、自分の手を見つめている。そこにもうスギウラボールはない。
元康さんはへたり込み、天を仰いだ。
「……負けた。完敗じゃ……吉法師様……いや、織田上総介信長様よ」
元康さんは、悔しさよりもどこか憑き物が落ちたように晴れやかだった。
私は信長様の背中を見つめながら、ゾクッとした震えが止まらなかった。
この人、全部わかってて乗っかったんだ。
敵の策も、裏切りも、全て飲み込んで力でねじ伏せる。
これが織田信長の……野球なのだ!
「さあて、約束通り竹千代と、飛んでったボールは貰うぞ」
ホームベースを踏んだ信長様が、高らかに宣言した。




