第28話 長谷川真昼、忍者に疑問を抱く
三河東条城。
三河湾を一望できる高台にあるこの城は今、不気味な静寂に包まれている。
月明かりだけが差し込む天守閣の最上階。
欄干に腰掛け、夜風に吹かれている一つのボールがあった。
ヒロミツだ。
義龍の死後、主を持たずに旅を続ける孤高のボール。
『ヒロミツか。勝負よ、と言いたいが、お主、今は主なしか。わざわざ会いに来るとは相変わらず律儀な男よ』
ヒロミツの背後、床の間の掛け軸の前に鎮座している白いボールが声をかけた。
朝比奈泰朝が新たに手に入れた英霊ボール、スギウラだ。
冷静で品格のある、透き通った声色。
『スギウラさんがノムサンを倒したと耳にして訪ねたまで。……あのID野球の申し子をどうやって屈服させたのか、興味があった』
ヒロミツは振り返りもせず、夜景を見つめたまま淡々と返す。
『力でねじ伏せたまで。泰朝という男の執念と、儂の右腕があれば造作もない』
スギウラが静かに答える。右腕と言ってもボールだから腕はないが、自信が漲っていた。
『どうよ? 泰朝に仕えぬか? ノムサンも手に入れた今、我らは無敵ぞ』
スギウラが勧誘するが、ヒロミツはフッと自嘲気味に笑った。
『ありがたい申し出だがお断りする。しばらく旅をして戦国の世を楽しむわ。……俺は縛られるのが嫌いなんでね』
『相も変わらぬ異端児よ。名球会を儂の名前を出して拒否しおった頃のままか』
スギウラが苦笑する。
『スギウラさんが入会できない名球会に意味なんぞない。ただ、それだけよ。記録より記憶、俺は俺の道を行く』
ヒロミツの言葉にスギウラは一瞬沈黙し、哀愁を漂わせた。
『……旅してツルオカの親分の噂を耳にしたら知らせてくれ。裏切り者のノムサンの処遇は親分に任せたいからな』
『ま、気が向いたらな。……じゃあな、伝説のアンダースロー』
ヒロミツは欄干を飛び、夜の闇へと消えていった。
***
さて、こちらは三河への旅路を進む私たち救出部隊。
案内役の保長さんの先導で、街道を外れた獣道を進んでいるんだけど……。
「保長さん、おじいちゃんなのに速すぎない⁉」
私がゼエゼエ言いながら文句を言う。
だって、腰の曲がった白髪のお爺さんだよ?
なのに山道を飛ぶように進んでいくんだもん。
私が「おじいちゃん、足腰大丈夫?」って手を貸そうとしたら、残像を残して数メートル先に移動して「お気遣い無用でござる」なんて言われちゃったし。
「伊賀の抜け忍か。甲賀とは勝手が違うな」
一益さんが対抗意識を燃やして、木々の枝を軽やかに飛び移っていく。
忍者ってすごいなあ。
「ねえ、保長さんも一益さんも凄腕の忍者なのに、どうして伊賀や甲賀の地元から尾張や三河に来たんですか?」
休憩中、おにぎりを頬張りながら私は素朴な疑問をぶつけてみた。
だって地元愛とかないのかなって。
すると2人は顔を見合わせ、全く同時に口を開いた。
「「飯を食うため」」
……ハモった。しかも即答。
あまりの即物的な答えに私がポカンとしていると、隣で秀吉さんが苦笑いしながら教えてくれた。
「真昼、伊賀も甲賀も山奥で土地が痩せているのだよ。多くの人を養うだけの作物が採れん。だから彼らは腕を磨き、傭兵として他国へ出稼ぎに出るしかないのだ」
「なるほど……切実な就職事情があったんですね」
忍者も生活かかってるんだね。なんか夢が壊れたような、逆に親近感が湧いたような。
「さて、休憩は終わりだ。行くぞ」
信長様が立ち上がる。
背中にはバットとボールが入った袋を背負い、ピクニック気分で鼻歌交じりだ。
『人間50年~♪』って敦盛をロック調にアレンジして歌ってるけど、音程が微妙にズレてるのが気になる。
「信長様、救出作戦ですよ? もうちょっと緊張感を……」
「ハハハ! 竹千代の奴、泣いてるかなあ。それともタヌキ寝入りか? 想像するだけで笑えてくるわ」
楽しそうだなあ、もう。
秀吉さんと秀長が「いつものことだ」と諦め顔でおにぎりを食べているのがシュールだ。
そして私たちは三河と尾張の国境、矢作川のほとりに到着した。
対岸は三河国。ここを渡れば敵地・吉良の勢力圏だ。
「……川向こう、警備が厳重です。泰朝の兵に加え、吉良の兵も巡回しています」
偵察から戻った一益さんが報告する。
すると私の懐で、センイチがブルブルと震えだした。
『微かだが……スギウラの気配がする。この川を越えさせまいとする結界のようなプレッシャーじゃ』
ボールが気配だけで結界を張るって、どんなオカルトだよ。
「ねえ、忍者さんたちの術でドロンと消えて渡れないの?」
私が提案すると、保長さんが首を横に振った。
「相手に強力な術者がいる場合、術は通りにくいのでござる。スギウラ殿と申す英霊ボール、百地のクソジジイと同じ格がありますな」
英霊ボール、忍者キラーの性能まであるの? 万能すぎでしょ。
「なら、正面突破……と言いたいが、竹千代が人質だ。策を用いるぞ」
信長様が珍しく慎重なことを言う。
「この辺りの漁師に変装して紛れ込むのはどうでしょう? 私、網打ちは得意でございます」
秀吉さんが機転を利かせた提案をする。
なるほど、漁師なら川を行き来しても怪しまれないかも?
「秀吉さんはいいけど、信長様のオーラ、変装で隠せる?」
私がもっともな不安を口にすると、信長様はニヤリと笑った。
「俺は漁師の息子役か。悪くない。真昼、お前は獲れたての魚役だ」
「はい⁉ なんで私が魚⁉」
人間としての尊厳を無視する配役に私が抗議したけど、結局、魚の臭いを誤魔化すために魚籠を背負わされる羽目になった。
臭い! 磯臭いよ!
夜闇に紛れ、小舟でこっそり川を渡る私たち。
対岸に到着すると、闇の中から無数の光る目が見えた。
松明じゃない。何か、もっと異質な……。
「……出ましたな。三河名物、三河武士の頑固な兵たちじゃ」
保長さんが低く呟く。
頑固そうな兵士たちの向こう、東条城の方角から、空に向かって青白い光が立ち昇るのが見えた。
『来るぞ……伝説が』
センイチの声が震えている。
伝説のアンダースロー、スギウラ。
そして捕らわれのタヌキ、元康さん。
私は魚籠の臭いに耐えながら、隠し持ったバットを握りしめた。
「上等じゃない! 伝説だろうがなんだろうが、打ち砕いてやる!」
待ってろよ、伝説! 私のフルスイングをお見舞いしてやるからな!




