第19話 長谷川真昼、今生の別れを目に焼き付ける
「センイチ! どうなんだ!」
「ヒロミツ! 貴様の目にはどう映った!」
砂煙が晴れても、審判の光秀さんは困った顔で腕を組んだままだ。
信長様と義龍が吠え、それに応じるようにヒロミツとセンイチが同時に口を開いた。
『我らどっちも眠りについておらん。……が』
『これは打者側でアウトにされたらベンチを飛び出し、守備側でセーフにされたらベンチから飛び出すやつじゃ』
英霊ボールたちまでもが唸って答えを出さない。
「つまり、審判次第ってこと⁉」
『『戦国の世ではリクエスト判定もできぬ』』
センイチとヒロミツの声が綺麗にハモった。
リクエスト? ビデオ判定ってやつ?
ないよそんなハイテク機器! ここは戦国時代だぞ!
「ウキー! ウキー!」
小一郎が地面に引かれた線のベースの上で地団駄を踏んで、「アウトだ!」と主張している。
可愛いけど、猿の証言は採用されるのかな?
信長様がツカツカと義龍に歩み寄る。
「もう一度だ。もう一度勝負だ。きっちり白黒つけようじゃねえか」
信長様が義龍の胸ぐらを掴まんばかりの勢いでメンチを切る。
あーあ、負けず嫌い発動しちゃったよ。
でも、義龍はフッと自嘲気味に笑っただけだった。
「……あ? 舐めてんのかテメエ」
「いや、残念だが次はない」
そう言うと義龍の巨体が……ゆっくりと、大木が折れるように傾いた。
ドサッ。
「義龍……兄様?」
藤吉郎さんが絶句して駆け寄る。
私たちの誰もが、まさかの幕切れに呆然としていた。
***
すぐに又左さんが義龍の巨体を担ぎ上げ、奥の寝所へと運ぶ。
氏家直元のおっさんが、神妙な顔で布団に横たわる主君の汗を拭っていた。
「いつからだ? 義龍の病は?」
信長様が部屋の隅で腕組みをしながら、苛立ちを含んだ声で訊ねる。
「……だいぶ前からでございます。もう、長くはないでしょう」
「そんな……兄様……」
藤吉郎さんも手を口に当てて涙ぐんでいる。
父親を殺し、国を奪った憎い兄。でも、やっぱり血の繋がった兄妹なんだもんね。
私には計り知れない、複雑な感情が渦巻いているんだろうな。
「チッ! 俺は病人相手に美濃獲りてこずっていたのかよ」
信長様が舌打ちをして壁を蹴る。
イライラしてる原因はそれかい!
でも、その気持ちもちょっと分かるかも。
私も昔、お姉ちゃんと喧嘩で初めて引き分けた時、お姉ちゃんが40℃の熱出してて、慌てて病院に連れてったことがある。
翌日にはケロッとして私をボコボコにしてきたけど、やっぱりライバルが本調子じゃないって、勝っても負けてもモヤモヤするよね。
『おいヒロミツ、義龍は長くないのだろ? ……儂のところへ来い。お前を強引に1対4のトレードで獲得した時のことを思い出せ。儂が監督復帰する前にFA宣言しおってからに』
しんみりした空気の中、センイチがヒロミツに語りかけた。
え、センイチとヒロミツってそんな関係だったの?
強引なトレード? FA宣言?
専門用語多すぎて分かんないけど、なんか昼ドラみたいにドロドロしてそう。
『フン。……センイチさん、あんたのことは嫌いじゃない。だが、俺が心底尊敬して、男として惚れた監督はイナオさんだけよ』
ヒロミツボールが淡々と、でも芯のある声で返す。
イナオさん? また新しい名前が出てきた。
『日本第一号のFA宣言も、誰にも歓迎されなかった記憶しかないな。ウサギ小屋の一匹狼か。小娘の話、いい得て妙だったぞ。……ドラゴンズは居心地が良かった。良すぎたんだ』
ヒロミツボールの言葉に、私たちはしんみりしていく。
『だから俺は出て行った。馴れ合いは俺の性分じゃない。反骨こそ我が人生。……義龍も同じだ。コイツも道三という居心地の良い檻を出て、孤独を選んだ。だから俺は義龍があの世へ行くまで側にいる』
うわあ。かっこいい。
孤独を愛するアウトロー同士ってことか。
センイチも、なんか言葉に詰まってるし。
男の友情ってやつだね。ボールと人間だけど。
「……であるか」
信長様も神妙な顔をして天井を仰いだ。
「眠ってる奴に用はねえ。小谷に向かうぞ」
え? 今から出発すんの?
私はいいけど、廊下でお市ちゃんとねねちゃん、疲れてスヤスヤ眠ってるんだけど。
「前田殿、姫たちのおんぶ、任せました」
光秀さんが爽やかに言ってるけど、自分はやらない気満々だよね?
「え? 俺だけで2人を運ぶの? さすがにキツくね?」
又左さんが抗議するけど、光秀さんは「私は警戒がありますから」とスルー。
結局、両手で米俵みたいに2人を抱え上げる又左さん。
さらに背中に小一郎が乗る。
いつもご苦労さまです。
「待て、信長、帰蝶」
私たちが部屋を出ようとした時、義龍が上半身を強引に起こした。
「持っていけ」
義龍が枕元にあったヒロミツボールを投げた。
ボールは放物線を描いて信長様の手元へ。
だけど、さっきのヒロミツの話を聞いてるから私の心は決まっている。
信長様も、やっぱりおんなじ気持ちのようだ。
バシッ!
信長様は剛速球で、義龍の手のひらにヒロミツを返した。
「世の中、いい時も悪い時も変わらず接してくれる奴なんざそうそういねえんだ。俺はそういう奴と一生つきあいたいんでな」
「信長……」
『……』
「ヒロミツは預けておく。俺が稲葉山を落とすまでな。病気が治ったらまた勝負してやる。それまでくたばるんじゃねえぞ」
そう言い残し、信長様は踵を返してスタスタ歩いて行っちゃった。
不器用だなあ、もう。
「兄様、私は父を弑した兄様を恨む気持ちは無論ございます。……ですが、私たちが兄妹であることもまた事実。どうか、病に打ち勝ってくださいませ」
「帰蝶……いや、織田家家臣木下藤吉郎よ。その時は戦場で会おうぞ」
「……はい」
藤吉郎さんも、義龍もわかってる。
これが今生の別れになることを。
戦国の世の非情さってやつが。
私も一礼して部屋を出ようとしたんだけど。
「おい、ウサギ小屋の小娘」
義龍の声が背中に届く。
ん? それ、私のことか?
ウサギ小屋の話をした小娘ってのを略すなよ。私がウサギ小屋に住んでたみたいじゃん。
お父さんは子供の頃、住んでたことあったみたいだけどさ。
病人じゃなかったら噛みついてたぞ。
「なんです?」
「帰蝶を頼んだぞ」
義龍の澄んだ目を見てしまい、私は文句を飲み込んだ。
彼の瞳は孤独な猛将のものではなく、ただ妹を心配する兄の目だったから。
私は込み上げそうな気持ちを抑え込み、力強く返事をした。
「はい! 任せてください!」
こうして私たちは大垣城を後にした。
背中で聞こえる、又左さんの「重てぇ……」というぼやきを聞き流しながら私は夜空を見上げた。
ヒロミツボールは手に入らなかったけど、もっと大事なものを見た気がする。
さあ、いよいよ近江に侵入だ!




