二人の影①
辺り一面が闇に飲み込まれていく。
空も、周囲の建物も、自分達の立つ道路も、全てが侵食されて無に帰す。
「きゃああ!?」
マーガレットは自分も闇に取り込まれると思って咄嗟に身体を丸めたが、頭の上から押し潰される感覚も足元が崩れ去って落ちる感覚も襲ってこない。
恐る恐る顔を上げると、自分とアルテナは黒一色となった世界に変わらず立っていた。
「こ、これは……!?」
マーガレットは急いで辺りを見回す。アルテナの姿は見える。自分の身体も、問題なく視認することが出来る。
上を見上げると、空には唯一あの紅い月だけが残っていて自分達を照らしていることが分かった。闇に支配された世界の中で、自分とアルテナとあの紅い月だけが取り残されたかのように存在し続けている。
「アルテナ、大丈夫!?」
異常に異常を重ねた状況に恐慌を来しそうになるも、マーガレットはすんでのところで自分を保ち得た。それはひとえに、アルテナが一緒に居てくれるからだ。彼女の存在こそが、今のマーガレットに勇気を与えてくれる。
だが一方で、そのアルテナはどうなのか?
「…………」
彼女は青ざめた顔で立ち尽くし、呆然とただ紅い月を見上げている。
先程の【堕天使】の言葉に呑まれてしまったのか。このままではいけない、そうマーガレットは直感した。
「アルテナ!」
パァン、と乾いた音が闇の中に響き渡る。アルテナの碧色の瞳が、パチクリと瞬きを繰り返しながらマーガレットを見ていた。
「しっかりしてよ! このままじゃあいつの思う壺じゃない!」
両手でアルテナの顔を挟み込み、無理やり自分の方へ向けさせながらマーガレットは強く叱咤する。その言葉に動かされたか、あるいは押し潰す勢いで挟まれた両頬の痛みが気付けになったかは定かではないが、アルテナの意識は確実に引き戻されてきたようだ。
「……そうね、マーガレット。ごめん、もう平気よ」
不器用ながらも気丈な微笑みを浮かべるアルテナを見て、マーガレットもようやく胸をなでおろした。
「それで、あいつは何処へ消えたのかしら?」
「分からない……」
黒い竜へと姿を変えた【堕天使】の姿は、忽然と消えてしまっていた。何処から襲ってくるのか分からず、マーガレットは恐々としながら辺りを見回す。
自分達を闇の中に捕らえて終わり、というわけにはいかないだろう。
『ふふふ、心配せずとも俺はお前達のすぐ傍に居る。これから始まる余興を、特等席で見物させてもらおうではないか』
内心の疑問に答えるかのように、闇の中から声が響き渡った。それはあらゆるところから聴こえてくるようであり、自分達があの竜の胃に収まってしまったのではと錯覚すらさせた。
「こんな暗がりに閉じ込める余興なんて、随分と良い趣味をしてるのね」
自分を取り戻したアルテナが、さっきまでと変わらず皮肉を言い放つ。八方からコールするせせら笑いがそれに応えた。
『これを目の当たりにしても、そのふてぶてしい態度が続けられるかな?』
【堕天使】の言葉が終わると同時に、闇の中が変化を始めた。
ぐにゃり、と空間が歪み黒一色の世界が渦を巻く。それは次第に凝縮していき、二つの塊を形作ってゆく。闇の剥がれた後からは、灰色の世界が顔を覗かせて周囲に僅かながら色彩が戻って来た。
やがて灰色の大地に、二つの長く伸びる闇の塊が出来上がる。それは紅い月を背にしたマーガレット達の足元から長く伸びており、その有り様はさながら――
「か、影? あれは私達の、影なの!?」