謎の街、リヴァーデン③
「あ、し、失礼したわ。私はマーガレット、ウォレス家のマーガレット・ウォレスという者よ。王都に住んでいたんだけど、何の因果か自分の知らない内にこの街にやって来ちゃっていてね。途方に暮れていたところなのよ」
男の持つ不穏な雰囲気に気圧されつつも、淑女の嗜みとしてマーガレットは軽く自己紹介と現状の説明をした。言い方が多少居丈高で淑やかさに欠けるのは、この際仕方がない。目の前の男がどういう人間かは知らないが、貴族らしい畏まった挨拶なんぞ別に求めていないと思われたのだ。
果たして、男はマーガレットの言葉遣いに大して感情を表さず、値踏みするようにジロジロと見てきた。
「女か、それも若い。しかもどうやら、良いところのご令嬢みたいじゃないか」
上から下まで、舐めるように何度も視線を這わせる。その粘っこい目線に本能的な嫌悪感が掻き立てられるが、マーガレットは努めて平静を装い男に言った。
「ねえ、不躾で悪いんだけど、助けてくれないかしら? 今はちょっと、お金の持ち合わせが無いけど、無事に家へ帰ることが出来た暁には充分にお礼をさせてもらうわ。ウォレス家は良くも悪くも義理堅いことで有名なの。危害を加えられれば必ず報いを受けさせるけど、親切にしてもらったら必ず恩返しする、といった具合にね。私を助けてくれるなら、きっと一族をあげてその恩義に報いるわ」
言外に、自分に手出ししてもろくなことにならないぞ、と警告を込める。だがしかし、男はそれを聞いても下卑た笑みを浮かべて怯む様子がない。
「くくっ、なんだそりゃ。脅しているつもりか? お嬢ちゃん、どうやら来たばっかで右も左も分からねえってところだろうが、残念だったな。どれだけ凄い後ろ盾があろうと関係ねえのさ、このリヴァーデンではな」
「この街のことを良くご存知のようね。その様子じゃ随分長く此処に住んでいるみたいだけど、そんなに素敵なところなのかしら?」
マーガレットは余裕のある態度を維持しようと、肩にかかった髪を手で掻き上げる。内心の動揺を悟られまいと、声にも仕草にも全神経を総動員して悠然と構えてみせた。この男に決して弱味を見せてはならないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
助けを得られないのなら、せめて少しでも情報を引き出さないと。
「ああ、とても良いところだぜ。此処はな、俺達のような人間を取り込む代わりに、何でも望みに応えてくれるんだ。したいことを、させてくれるんだ。欲しいものを、与えてくれるんだ」
男の目に狂気じみた光が宿る。その異様さに、マーガレットは思わず一歩引いてしまった。
まずい。これは、欲望の目だ。
「まだ今日の宴には早いが、かまうこたねえ。夢魔ばかりで、ちっとばかし飽きがきていたところなんだ。たまにはちゃんと、人間の女を抱いてみないとなあ」
「な、何を考えているのよ!? それ以上近寄らないで!」
ゆらりとこちらに一歩踏み出す男に、マーガレットははっきりと恐怖を覚えた。飢えた猛禽類のようなギラギラした目が、マーガレットの一挙手一投足を捉えて離さない。猛牛のように荒くなった鼻息が、今にも顔にかかりそうだった。
「難しく考えるなよ、お嬢ちゃん。あんただって、この街にこうして流れてきたんだ。うっとおしいことは忘れて、あんたも楽しめば良い。俺と一緒にな……」
男の手がたどたどしくマーガレットに伸びてくる。極度の興奮に酔いしれているせいか、その動きはひどく緩慢で、それが逆に威圧感を醸し出す。
「い、いやあああっ!」
マーガレットはたまらず逃げ出した。胸元に伸びてきた男の指先から飛び退くように後ずさると、そのまま踵を返し全力で駆け出す。
「ははっ、追いかけっこってわけか! 良いぜ、逃げてみな! そっちの方が逆に燃えるってもんだぜ!」
赤黒い空に、男の哄笑が響き渡った。