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黒い竜①

 階段に足がついた瞬間、背後でまたもや爆音が上がった。


「走って!」


 アルテナに促されるまでもなく、マーガレットは全力で階段を駆け下る。あいも変わらず両手でドレスの裾を持ち上げないといけないので、願ったほどの速さは得られないのがもどかしい。


「よそ見をせずにまっすぐ行って! 後ろはわたしが守るから!」


 背中に掛かるアルテナの断固とした言葉が救いだった。その声を押し潰すように怪物の咆哮と無情な破壊音が続くが、アルテナを信じて前だけを見続ける。

 階段は、時計塔の内壁を這うように伸びている螺旋状の造りをしていた。角を曲がるたびに、視界の端で降り注ぐ瓦礫とそれを大鎌で跳ね除けるアルテナの姿が映る。その上方から何か巨大でおぞましい影が見えた気がするが、詳しく確かめるゆとりはない。


「シャアアッ!」


 この世のものとは思えない金切り声をそいつが発し、黒い炎が空中でいくつも燃え上がる。それはマーガレットと同じ高さまで降りてきており、嫌でも目に入った。


「月の女神よ、悪しき力を祓いたまえ!」


 アルテナの掛け声がしたかと思うと、マーガレットの周囲に青く光る薄いドーム状の膜みたいなものが張られる。黒い炎がうねりを上げて自分達に襲いかからんとしてきたが、その青い膜に触れた瞬間に次々と消滅していく。


「アルテナ……!」


「言ったでしょ! わたしが守るから、足を止めないで!」


 思わず振り返った先で、アルテナが例のロザリオを手にしているのが見えた。

 黒い炎のいくつかはまだ残っている。それらは軌道を変えて、自分達が降りようとしている階段の下に向かっていった。

 そのうちの一発が傍の壁に着弾し、硬い石部分が砕ける。同じ破壊力が階段に加われば、自分達の退路はなすすべなく断たれるだろう。


「しまった! すぐそっちに……!」


「ううんアルテナ、あっちは私に任せて!」


 言うなり、マーガレットは自分に預けられたロザリオを手に掲げる。すると二人を守る青いオーラが更に広がり、搦手となった他の黒い炎をすべて受け止めた。


「マーガレット!? あなた、それを使えるの!?」


「なんかそうみたい! ありがとうアルテナ! 貴女がこれを預けてくれたお陰で助かったわ!」


 ロザリオを構えたまま、マーガレットはどんどん階段を降ってゆく。黒い炎は次々と現れて行く手を阻もうとしてきたが、アルテナとの合せ技によって強化されたオーラの前では為すすべなく当たったそばから消えていった。


「やるわねマーガレット! あなた、案外こっちの才能あるんじゃない?」


「あははっ! 本気で言ってるの、アルテナ!」


「もちろん本気よ! お嬢様の生活に嫌気が差したら、わたし達の仲間に加わるってのはどう!?」


「悪くないわね! 考えておくわ!」


 ハイになりながら、マーガレットとアルテナは順調に敵の攻撃をいなして時計塔を駆け下る。さっきまで絶望していたのが嘘みたいだ。やはりアルテナは、自分を守るという約束を忘れていなかった。彼女が来てくれたことで、マーガレットの方も勇気を取り戻せたのだ。

 最高の相棒――。そんな言葉が頭に浮かぶ。出会って間もないのに、マーガレットは既に十年来の付き合いを続けたかのような信頼をアルテナに感じていた。彼女も、きっと自分と同じ気持ちだろう。なんとなくだが、そんな気がする。

 二人一緒なら無敵である、とすら思えてきた。しかし現実は、自分達が想像するほど甘くはないようだ。


 程なく、けたたましい咆哮が再び轟いた。と同時に辺りの壁一面にヒビが入り、ボロボロと崩れ始める。


「マーガレット! 奴はこの時計塔ごとわたし達を押し潰す気よ!」


 アルテナの叫びに釣られるように上を見上げると、あの巨大な黒い影はますますその大きさを増し、時計塔全体の壁を削り取りながら下降してきているのが見えた。丸まった体躯の中央に赤く光る眼と尖った角、そして背中に一対の翼が確認できる。

 一瞬、あの教会に居た牧師と似ていると思ったが、違う。あれよりもずっと巨大でずっと禍々しく、ずっとシャープな造形をしていた。


「急いで! 追いつかれるわ!」


「分かってる! 出口まであと少しよ!」


 既に最下層は見えている。マーガレットとアルテナは残りの段を一気に駆け下り、そのまま脇目も振らず時計塔の外へ転がり出た。

 入口から距離を稼ぎ、振り返る。その瞬間、時計塔の壁が大破して中からあの黒い影が飛び出してきた。窮屈な屋内から解放されて、そいつが空中で四肢と翼を目一杯広げる。

 その造形は、想像していたような悪魔のそれではなかった。

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