特攻①
マーガレットは走り回っている。
とにかく的を絞らせないように、この屋上の四方が広い石畳の床であることを最大限に利用して【堕天使】の放つ攻撃を躱していった。
「どうした!? 逃げ回っているだけか!?」
嘲笑を交えながら、【堕天使】が翳した手の平から黒い炎を放ってくる。それはマーガレットが駆け抜けた直後の石畳に当たり、勢いよく弾けて八方に黒い火花を飛ばした。
「熱っ! こ、このぉ……!」
咄嗟にロザリオを突き出し青いオーラで防御するが、それでも遮断できない熱波が肌を灼く。マーガレットは忌々しげに【堕天使】を睨みながらも、それ以上は何も出来ずにそのまま駆け続ける。
反撃しても無駄だと分かっているからだ。
悪魔の王としての実態を明かした【堕天使】は、文字通り自分なんか話にならない程に強い。今もこうやって、一息にマーガレットを仕留めようとはせずに遊んでいる。こんなドレスを着た女がいくら頑張って走ろうと、運良く二、三発の攻撃を躱すのが精一杯だ。まだ黒焦げになっていないのは、ひとえにあいつに当てる気が無いからに他ならない。少なくとも、今のところは。
もはや神の力を有するロザリオがあっても問題じゃない。その現実を、あいつはマーガレットに突きつけているのだ。
「そんなに余裕を見せていて良いの!? さっきそれで痛い目に遭ったくせに!」
「だからこそなんだよ、お嬢ちゃん。おイタが過ぎた子には、じわじわとゆっくり立場ってもんを教え込んで調子に乗ったことを反省させなきゃ気が収まらないんでな!」
マーガレットの挑発もまるで意に介さない。完全にペースを向こうに握られていた。
だが、これは逆にこっちが付け込むチャンスだ。
【堕天使】がこっちを玩具だと見くびれば見くびるほど、マーガレットが生き延びていられる時間は増える。その間に、どうにかアルテナが来てくれれば……!
「アルテナ……!」
マーガレットは祈りを込めてロザリオを握りしめる。そんな自分の内心を見透かしたかのように、【堕天使】の耳障りな笑い声が響く。
「おお、祈れ祈れ。人間風情が最後に出来ることは、神への祈りだけだ。どれだけ縋ったところで助けちゃくれない、無慈悲な神だけどな!」
【堕天使】は、まるでピアノの鍵盤に指を這わせるように両手を持ち上げた。その動きに呼応して屋上の両端から一直線に引かれた黒い炎の壁が立ち上り、じわじわとマーガレット目掛けて輪を狭めていく。
「ほれほれ、早くどうにかしないと黒焦げだぞ!」
「くっ……! えいっ!」
相手の煽りに乗せられて、マーガレットが迫りくる黒い炎に向かってロザリオを翳す。
だがあの青いオーラが出ても、黒い炎が衰える様子はない。まったく速度を落とさず、火力も変わらないまま今も向かってきている。
「う、嘘……!?」
「はっはっは! どうやら借り物の神の力もそこまでのようだな?」
勝ち誇ったように、【堕天使】が目を据えて舌なめずりしている。
万事休す。やっぱり自分では、この恐ろしい悪魔の手から逃れることは出来ないのか……。
「……え?」
絶望に心を塗りつぶされながら呆然と【堕天使】を見つめるマーガレットの視界に、妙なものが映り込んだ。
紅い月を背にして立っている【堕天使】、その後ろに、一本の黒い線が見える。
それは空中でのたうつように曲がりながら軌道を変え、先端をこちらへと向けた。そして見る見る大きくなって、マーガレットと【堕天使】を結ぶ延長線上にその姿を現した。
「なっ……!? き、汽車……!?」
正体が分かってマーガレットは仰天した。間違いなくあれは、天空を駆ける蒸気機関車そのものだ。
「あん?」
マーガレットの様子に不審を覚えたか、それとも近づいてくる気配に気付いたのかは定かではないが、【堕天使】が訝しげな表情をして背後を振り返る。
その時には既に、天翔ける陸蒸気は【堕天使】の目と鼻の先にまで迫ってきていた。
「ばっ!? なんでこいつが――!?」
その台詞を、【堕天使】が最後まで言い切ることは出来なかった。
瞬間、凄まじい汽笛と衝撃音が爆ぜる。
陸蒸気はまったく速度を落とさないまま、驚愕に立ち竦む【堕天使】を轢き潰した。