魔の陸蒸気②
「え? この音は……?」
立ち止まって耳を澄ます。音はだんだんとこちらへ近づいてくるようだ。
シュッ、シュッ、と断続的に重い空気を吐き出すような圧縮された音と、ガラガラガラと何かが軋みながら回転するような音。時折そこに、ポーッという喉を絞ったような甲高い音が混じる。
これは……聞き覚えがある音だ。アルテナが産まれた頃はまだまだ珍しさが勝っていて全体数も少なかったが、近年ではすっかり各地に普及してその需要を遺憾なく満たしている画期的な輸送機……。
フッ、と足元に影が落ちた。
「……!?」
目を上げると、紅い月を背景に巨大なイモムシのような造形をした何かが空中を走っている。
黒いイモムシが軌道を変え、頭の部分をこちらへ向ける。角度が変わったことによって、紅い月の光がその全容を明らかにした。
「うそ、でしょ……!?」
アルテナは思わず目を疑った。巨大なイモムシに見えたそれは、いくつもの車輌を牽引した蒸気機関車だったのだ。
線路の上ではなく、空を駆ける鉄の陸蒸気である。一体これは何の冗談なのか。
だがいくら目を疑う光景だったとしても、迫りくる脅威は現実だ。
我に返ったアルテナは、急いでその場から離れた。
丘の上から駆け下るように陸蒸気が空中を滑り降りてきて、さっきまでアルテナが居た道路の上を浚っていった。コンクリートの地面も、間にある建物も全て砕いて削り轢き潰してゆく。
圧倒的なパワーで走った後を更地にして、陸蒸気は再び空へと昇り始めた。
「何よ、あれ! 冗談も大概にしてほしいわ!」
ぼやくアルテナだが、状況は変わらない。陸蒸気は一旦街を離れるように上へ上へと昇っていき、しばらくすると大きく旋回して再びこちらへ向きを変える。線路の上から解放されているので、その軌道は自由自在だ。
「もしかして、あれがマーガレットをこの街まで乗せてきたの!?」
でたらめな性能を見せつけてくる魔の陸蒸気を睨みながら、アルテナはそこに思い至った。だとするなら、あれもまた【堕天使】の用意したリヴァーデンの主要機構なのだろう。犠牲者の輸送に加え、防衛能力まで持っているというわけだ。
いずれにせよ、あれをなんとかしない限り時計塔へは近づけない。アルテナは辺りを見回し、地形を確認した。
「……! あそこ!」
砕かれた道路の上をまたぎ、急いで向かい側の小道に駆け込む。直後に、空飛ぶ陸蒸気がアルテナの居た場所に轟音を奏でながら突っ込んできた。
すれ違いざまに首だけで振り返り、通り過ぎてゆく車体を確認する。すると案の定、ボイラーの側に数体のグレムリンが居た。一瞬だけだが、彼らがスコップを手に代わる代わる石炭を焚べて速力を確保している様子が確かに見えたのだ。
「やっぱりあいつらね! それなら……!」
アルテナは小道の奥へと身を沈めていき、視線を切ろうとする。幸い、この入り組んだ街中ならいくらでも死角は確保できる。あの陸蒸気のパワーなら何処に隠れようと関係なく建物ごと破壊してしまえるだろうが、逆にそこが狙い目だ。
まもなく、アルテナの姿は完全に物陰と同化した。