謎の街、リヴァーデン②
「ああもう! 本当に、なんでこんなことになってるのよ!」
苛立ちを隠そうともせず、マーガレットは艷やかな自分のブロンドヘアーをかきむしった。とてもレディのやることではないし、せっかくのセットも乱れてしまう行為だが、構わない。どうせ見ている人も居ないし、コルセットといいドレスといい好きで着ている衣服でもない。
「落ち着きなさい、私。順を追って思い出しましょう。まず、今日は朝から館で過ごしていたのは間違いないわ。メイドや執事と普段通りのやり取りをして、いつものように退屈な休日を送っていただけ……」
言葉にして整理してみると、徐々に記憶が鮮明になってきた。
毎日課される諸々の勉学も、時には息抜きさせてもらえる日がある。ただし、そんな日でも大抵は好きに外出も出来ないのだが。
両親が自分に何を求めているのか、マーガレットは嫌というほどに分かっていた。貴族階級の娘として生まれ、恵まれた環境で人生を送れていることにはどれだけ感謝してもしたりない。それと引き換えに自由が制限されるのも、ある意味では仕方ない部分はあると頭では理解している。
平民には平民の、貴族には貴族の役割がある。産業革命だ近代化だと近頃は技術の進歩が著しく、それに伴って人々の意識も変化していってるこのご時世、封建制度の名残である貴族階級は既に形骸化しつつある。だが、たとえ死にかけの古い価値観だとしても、今はまだそうした意識は根強く残っているのだ。自分も当然、その務めは果たさなければならない。
そして、マーガレットに求められた役割とは……。
「あーダメダメ、今はそんなことどうでも良いの」
脱線しかけた思考を、首を振って修正する。
自分はずっと館の中に居た、それは間違いない。自由に外出ができないだけで、館の中では特に行動が羈束されているわけではないから、何か暇を潰せるようなことを探してあちこちウロウロしていた覚えがある。
そして汽車の中で微かに浮かんだヴィジョン。ロウソクを片手に何かを抱えながら地下室へ降りていく自分の姿。
あれは一体なんだったか。館の中を探索して、何かを見つけたのだろうか。それを持って、人目を避けるように地下へ降りていったのが最後の記憶だ。
それから汽車の中で目覚め……後はこの通り。
「何よ、私は一体何をしていたの? こんな状況になっているのは、そのせいだとでも言うの?」
自分が見つけた『何か』、それが鍵なのだろうか。相変わらず記憶には欠落があり、それは埋まる気配がない。苛立ちと共に意識に浮上してくるのは、汽車の中で出会ったあの謎の青年だ。彼なら、マーガレットが失った記憶について何か知っていただろうか?
「……少なくとも、間違いなく私の現状に一枚噛んでるでしょうね。ああ、思い出したら腹が立ってきた」
癇癪をぶつけるように、傍に立っている街頭を足で蹴る。上質の革で作られたかかとの高いブーツが鉄柱にこすれて汚れたが、気にしない。此処にはマーガレットの粗相を咎める人間など誰も居ないのだから。
「誰だ?」
突然、街頭の後ろに広がる路地の闇の中からしわがれた声が飛んできて、マーガレットは仰天した。無人の街だと思い込んでいたが、それは間違いだったようだ。無作法を見られたという焦りと羞恥、そして得体のしれない謎の街で出会う最初の人間ということで、マーガレットはひどく緊張し心拍数が跳ね上がる。
「お前、見ない顔だな。新入りか?」
路地の暗がりからぬうっと現れたのは、見るからに困窮していると分かる男性だった。くたびれて所々がほつれた灰色のフロックコートを着て、頭には茶色に変色したカンカン帽を被っている。ひげだらけの顔には生気が乏しく、痩せこけた頬にはシミのようなものが浮き出ていて、見るからにやつれて不健康だ。だがそんな弱々しい佇まいとは対照的に、目だけがやたらと血走っていて底知れない光を瞳に宿していた。