婚約②
マーガレットは微笑を振りまきながら、それとなく招待客たちの表情を観察した。
……やはり、柔らかい口元に反してどれもこれも目の奥で冷たい値踏みの光が灯っている。マーガレット・ウォレスという娘が、自分にとってどのような利益を生むのか計っている目だ。
「それでは、当家のパーティを心ゆくまでお楽しみくださいませ」
父が、絶妙なタイミングで挨拶を切り上げた。マーガレットは救われた思いだったが、案の定父は自分を促し次の席へと行こうとしている。まだまだ、これは終わらなさそうだ。
心に蓋をし、顔に完璧な笑顔を貼り付けたままで残りの行程もこなしてゆく。数々の重役と顔を合わせ、非の打ち所のない礼儀作法を披露して彼らの歓心を買う。
これが、自分の役目。マーガレットは、こうした振る舞いが父の仕事を助けると理解していた。今日のようなパーティは、有力者との繋がりを維持するために必要なものなのだ。貴族の娘として生まれた以上、マーガレットはそこに参加しなければならない。
拒みはしないが、疲れる役目だった。それでもいつものように、つつがなく全員に挨拶を済ませればそれで終わる。マーガレットは愚痴を心の奥に押し込み、ひたすら自分の仕事に専念していれば良い。
だけど、その日はどこかいつもとは違っていた。
会場を一巡りした後に、父は「最後のお客様はひときわ特別だ。これまで以上に、粗相には気をつけなさい」と言い添えて最奥のテーブルへと向かっていく。
なんだろうと思いつつもマーガレットは黙って父に従った。
「ファルティーニ様、ようこそお越しくださいました」
「おお、これはウォレス卿。この度は我々をお招き下さり恐悦至極です」
最奥のテーブルに居たのは二人、どちらも肥えた客だ。年嵩の男と、その息子らしき若い男。どちらも身綺麗にしているが、顔には朱が差しており締まりがない。初見で決めつけるのは良くないと分かっているが、どうにも卑しい雰囲気が拭えない連中だった。
「そちらが、例の?」
ファルティーニと呼ばれた年嵩の男の目がマーガレットに向けられた。余人のそれと変わらない値踏みをする目、しかし今度はどこか意味合いが違っているように思える。
「はい。……マーガレット、こちらは私が最近懇意にさせて頂いているファルティーニ商会の会長様だ」
父の説明によるとこうだ。このファルティーニという男は、南方の半島出身の大商人で大陸の各地に影響力を及ぼしており、近年になってマーガレットの住むこの国にも商売の手を広げようとしているらしい。その資産は、かろうじて時代の変化に喰らいついているウォレス家とは比較にならない程に豊かである。
なんとかして知己を得た父は、これを機会に先方と深い交わりを結びたいと考えたようだ。
「そして何よりも、お前の嫁ぎ先となられる御方だ。今日は顔合わせだけだが、しっかりと覚えてもらいなさい」
「……は?」
最後に父が付け加えた言葉に、マーガレットは頭の中が真っ白になった。
「いやはや、本当にお美しいお嬢さんだ。このような良縁に恵まれるとは、うちの愚息もつくづく果報者ですな。はっはっは!」
ファルティーニの笑い声に誘われるように、マーガレットは隣の若い男を見た。
父親に負けず劣らず大きな腹をした息子は、こちらの話にまるで興味を示さずに料理を貪っている。その姿が醜い豚に重なって、マーガレットの頬は引きつった。
(私が? 嫁ぐ? この男に?)
聴き間違いであってくれと願った。しかし無情にも、父とファルティーニのやり取りは続く。
「このようなお話を頂けるなんて、当家としては実に喜ばしい限りです」
「いえいえ、当商会と致しましても、伝統と格式のあるウォレス家の方々とは今後も変わらずお付き合いをさせて頂きたいと思っておりますからな。この度の御縁は、その重大な布石となりましょう。私個人と致しましても、誠にもって光栄の至りでございますよ、はっはっは」
目の前が暗くなっていくようだった。父は南方の大商家と組む為に、自分を差し出そうとしている。このファルティーニという男と縁者になれば、今後もウォレス家は末永く安泰というわけだ。