婚約①
夜の大広間は、まるで昼間のように明るかった。
天井の巨大なシャンデリアを始めとする、贅と趣向を凝らした数々の電燈が無駄なく四方に行き渡って、闇の帳を押し分ける光の力を生み出しているのだ。
一種の聖域とも思えるような明るさの中で、たくさんの人々が集まって楽しそうに歓談している。
誰も彼もが派手に着飾って、一目で裕福だと分かる。彼らは一様に笑顔を浮かべながら、大広間中に並べられた豪華な料理を口に運び、ワイングラスを傾けていた。
物心ついた時から見慣れた光景。今夜のそれも、何ひとつ変わらない。
二階の手すりから、吹き抜けになった階下の様子を見下ろして、マーガレットはため息を吐いた。
「はしたないですよ、マーガレット」
見咎めた母が叱ってくる。マーガレットはのろのろと振り返り、「ごめんなさいお母様」と気のない返事をした。
そんな心此処にあらずといった娘の様子を見て、今度は母がため息を吐く。
「私に注意した矢先に自分が同じことをやるってどうなんです?」
「おだまり。まったく、口ばかり達者になって……」
母は歯がゆそうにマーガレットを見ている。――どうしてあなたはそうやっていつも、由緒正しいウォレス家の娘として相応しく振る舞えないの? 目がそう言っている。これまで何度も向けられてきた目だ。
(私だって、お母様の期待に応えようと自分なりに頑張ってきたわよ)
心の中だけでぼやく。マーガレットとて、貴族の娘として生まれたことの意味は分かっているつもりだった。
豊かな暮らしを送ることが出来る分、課せられた義務を果たす。両親にも、執事にも、家庭教師達にも散々言われてきたことだし、筋が通っていることだとマーガレット自身も思う。
ただ、それでも時折どうしようもなくそんな自分の運命を嘆いてしまいたくなるのだ。そしてマーガレットは自制できているつもりでも、この母からはそうは見えないらしい。
舞踏会(という名目の懇親パーティ)の真っ最中とは言え、誰も見ていないのだからため息くらいは許してほしい。
「ほらマーガレット、下に降りますよ。あなたは主催側として、お客様達をおもてなしする責務があるのですから」
「はい、お母様。行ってまいります」
抗議を呑み込んで、マーガレットは丁寧なカーテシーで母に答えた。娘のそんな態度にようやく満足したのか、母はそれ以上何も言わず先に階下へ降りていった。
そんな母の背中に心の中だけで舌を出し、マーガレットは気乗りしない自分を懸命に励ましながら後へ続く。
「おお、メグ! やっと来たか! さあ、こちらへおいで!」
招待主として大広間で客達の相手をしていた父が、目ざとくこちらを見つけて手招きする。
マーガレットは言われるがまま、父の元へ歩いた。見苦しくならないよう、しゃなりしゃなりと。足運びひとつにも作法があり、此処ではあらゆる人がマーガレットの所作を目にするのだ。
「皆様に紹介します。こちらは娘のメグ……マーガレットです。ほら、ご挨拶なさい」
父の言葉が終わるのを待って、マーガレットは客達に向かって先程のようなカーテシーを披露する。
「お初にお目にかかります。ウォレス家の長女、マーガレット・ウォレスでございます。何卒、お見知りおきを」
マーガレットの挨拶を受けた客達から、感嘆の声が上がる。
「これは驚きましたな。ウォレス卿にこのような可憐な御息女がおられたとは」
「左様。まさに名前の通り、清らかなマーガレットの花を思わせるお方だ」
「レディ・マーガレット、お近づきになれて光栄ですぞ」
それらの言葉に込められた感情は、いずれも本当のものではあるのだろう。彼らはマーガレットの姿を見て、心を動かされたに違いない。
ただし、それが純粋な感動かどうかはまた別の話だろうが。