汚濁の河③
「へ、蛇……!? あれは、蛇なの……!?」
「そう形容するのが一番近いでしょうね。死の川に潜む、巨大な蛇の化け物よ」
慄きながら黒い触手を蛇と定義するマーガレットと、冷静にそれを肯定するアルテナの前で、黒い大蛇がまたもや橋の上のサーヴス達に襲いかかっている。喰らっても喰らっても飢えが満たされないのか、動きが収まるどころか荒ぶる様が激しくなるばかりだ。
「どうするのアルテナ!? あんな怪物が居たんじゃ、とても橋は渡れないわよ!? いくらロザリオがあるっていっても、蛇って確か視力以外の方法で獲物を見つけるって聴いた覚えがあるし……!」
「けど、先輩のメモはあの先を示している。少なくとも、先輩は無事にここを何度か往復した筈よ」
「別の場所から中央区に行ったんじゃない? あんな怪物が居るなら、メモにそう残すでしょ?」
「その可能性もあるんだけどね……」
と、アルテナは少し考えるように言い淀む。しばらく言葉を探しあぐねていたようだが、やがてひとつ頷いて言った。
「多分だけど、あの怪物はサーヴスにしか反応しないんだと思う。先輩がここを渡っても、あいつは知らんぷりしてたのよ」
「な、なんでそう言い切れるの?」
「別の道を使ったなら、それこそ先輩はメモに残すからよ。わたし達が知っている中央区に繋がる道は、あの橋一本だわ。やっぱり、ここを通ったというのが一番可能性が高い」
「で、でもなんで、アイツはサーヴスだけを?」
「分からない。けど、【堕天使】の意図が絡んでいるのは間違いないわ。この世界を創ったのはそいつだもの。あの怪物も、眷属の一体なのよ」
眷属と聴くと、あの教会で出くわした牧師を思い出す。サーヴスとは違う、人としての思考を保ったまま異形の怪物と化した彼だが、やはり【堕天使】の下僕としてその意志に従っていたのだろうか。
アルテナは鋭い眼差しを橋の上に向けた。橋を渡ろうとしていたサーヴス達の姿は、既にどこにもない。
全てのサーヴスを喰らい尽くしてようやく満足したのか、黒い大蛇は空気を震わせるような重い息を吐くと、再び黒い川の中へ潜っていった。
「マーガレットはここで待ってて。わたしがまずあの橋を渡って確かめてくる」
「で、でも……!」
やめて、とは言えなかった。他の道を探そうにも、サーヴス達がひしめくこの異界を当てもなく彷徨うことは、マーガレットだって気力が保たない。あの橋を渡れるならそれに越したことはない。
しかし本当に、あの黒い大蛇はサーヴスにしか反応しないのか? それが気がかりだった。川中から奇襲されれば、いくらアルテナでも危ないのではないだろうか?
「心配しないで。相手が川に潜んでいると分かっていれば、奇襲を受けても対処できるから」
マーガレットを安心させるように口元に僅かな笑みを浮かべ、アルテナは気負う様子もなく橋へと足を進めた。
こうなればもう見守るしかない。あの黒い大蛇が反応しないよう祈りつつ、マーガレットはアルテナの動きを見守った。
左右どちらから現れても良いように、アルテナは橋の真ん中を真っ直ぐ進む。先ほどとは違い、黒い川面は静まったままだ。このまま無事に行けるか、とマーガレットの胸に微かな希望が灯った。
が、やはりそう簡単にはいかなかったようだ。
「――!? アルテナ!」
橋の三分の一まで渡り終えた頃、再び水面が盛り上がった。