汚濁の河②
「さあ、呑気に川なんて眺めている場合じゃないわ。とっとと橋を渡ってしまいましょう」
「そうだね、いつまでもこの近くには居たくないし」
黒い川に架かっている橋は、石造りの巨大で頑丈そうな建築物だ。もしこれが木の吊橋とかだったらマーガレットも尻込みするだろうが、この橋ならば下がおぞましい水たまりでも恐れることはない。
とにかく一刻も早くこの場を通り過ぎてしまいたくて、マーガレットは勇み足で橋へ進もうとする。
「待って」
突然、後ろから襟を引っ張られて大きく体勢を崩す。抗議したくても、同時に首元が締まり「きゅぇっ!?」などという変な音しか出ない。
犯人であるアルテナはそんなことにはお構いなく、そのまま力任せにマーガレットを引っ張って橋の傍にある監視所のような小さい四角形の建物の陰に押し込んだ。
「うっ、げほっ、げほっ! ……い、いきなり何するのアルテナ!?」
「しっ! 静かに!」
危うく窒息しかけた怒りをぶつけるも、アルテナは取り合わずに険しい表情でマーガレットを制した。
一体何だと訝しみながらその視線を追って、ようやく理解する。
通りの彼方から、たくさんのサーヴス達が橋へと向かって来ていた。
「あれ、メインストリートに居た連中だよね? 私達を追って来たのかな?」
「ロザリオの加護は切れていないわ。それはない筈よ」
銀のロザリオとサファイアのピースをなぞりながら、アルテナはなおも表情を緩めない。
「それじゃあ、慌てて隠れなくても良かったんじゃない? むしろあいつらが来る前に私達が渡ってた方が」
「少し確かめておきたいことがあってね。あのサーヴス達が橋に向かっているなら丁度良いと思ったのよ」
「どういうこと?」
「まあ、しばらく見ていなさい」
アルテナは多くを告げず、そのまま真剣な目でサーヴス達の行進を見守っている。マーガレットも仕方なくそれに倣うしかなかった。
相変わらず虚ろな目をしたサーヴス達は、ふらふらと幽鬼のように橋へ差し掛かろうとしている。欲望を刺激されていない時の彼らは、本当に生気がない抜け殻のようだ。
その哀れな亡者達は、一体何を目的にこんな大移動をしているのだろう?
それとも、何かに呼び寄せられているのだろうか? ああして中央区に行くように……。
あれこれと想念を巡らすマーガレットであったが、直後に彼女の理解を越えた現実を目の当たりにする。
「えっ!?」
先頭のサーヴスが橋の半ばまで至った時だった。
それまで変化の無かった黒い水面が突如して膨張し、中から巨大な何かが飛び出してくる。
それは、黒くぬめぬめした一本の太い触手だった。
「な、何あれ!?」
「やっぱり、あの川には主が居たようね。橋を渡ろうとする者の前に、ああして現れて……」
アルテナのセリフが終わるまでもなく、その答えが目の前に用意される。
黒い触手の先端が真っ二つに割れる。両開きになったそこに生えているのは、無数の牙だ。
「っ――!?」
マーガレットが驚きの声を発する間もなく、黒い触手は踊るように身をくねらせて橋の上を渡っている最中のサーヴス達にその牙を叩きつけた。
まるで風に吹かれる落ち葉のように、サーヴス達が蹴散らされる。そして再び鎌首をもたげた黒い触手の牙の間には、無数のサーヴス達がぎゅうぎゅうに押し込められてもがいていた。
黒い触手に捕らわれたサーヴス達は、牙の隙間からはみ出した四肢を懸命に動かして逃れようとする。
だがそんな彼らの抵抗をものともせずに、黒い触手は割れた先端をピタリと閉じて全てのサーヴスを飲み込んでしまった。