堕天使③
「ど、どこ行くの?」
「この老牧師がこの教会で起居していたなら、何処かに生活する為の部屋がある筈よ。そこを探してみるわ。【堕天使】の所在地に関する手がかりがあるかも知れない」
「待って、私も一緒に探す!」
マーガレットはさっさと進んでいくアルテナの背中を慌てて追った。現実に心が追いつけないからといって、ここで置き去りにされては困る。
一直線に伸びる翼廊の通路は、思っていたよりも細長かった。窓も宗教画も無い無情緒な壁がずっと奥まで伸びている。その代わり、左側の壁には簡素な扉が数枚見える。
「外から見た翼廊の太さからして、やっぱり此処は生活空間に割り当てていたようね。神を棄てた人間が管理する教会だから、従来の構造と違うのも当たり前か」
アルテナは無造作に一番前の扉を開けた。埃っぽい空気と黴のような匂いが鼻を衝く。
「……こっちは使われてないわね。次よ」
素早く中を確認して用無しと判断したアルテナは、ためらうことなく次の扉へと向かう。
二番目に開けた扉の先は、ひと目で居住空間と分かる造りになっていた。
簡易な木製のベットに小型の書架、それに小さな机がポツンと置かれているだけの質素な部屋。さっきのような埃っぽさもほとんどなく、明らかに使用感がある。
「ここね。私は本棚を探すから、マーガレットは机の方を調べてくれる?」
一方的に告げて、アルテナはさっさと書架に手を伸ばしてまばらに収められている本をかき分けていく。
「【堕天使】の手がかり、あるかな……?」
仕方なく、マーガレットは言われた通り机を調べることにした。
台の上、椅子の下、抽斗の中、ぱっと思いつくところは探ってみたが、それらしいものは見つからない。物自体が少ないから、おかしなものがあればすぐに気付くのだが。
「うーん、何にも見当たらないわ。そっちはどう?」
「反神論や悪魔学に関する本が多くて彼の思想を裏付けることは出来そうだけど、残念ながら期待したものではないわね」
パラパラとめくっていた本を溜息と共に閉じて、アルテナは乱暴な手つきでそれを書架に戻す。
「あの牧師が何に絶望して神を見限り、【堕天使】に縋るようになったのか。せめてそれだけでも分かれば良いんだけど」
「理由が、何か関係あるの?」
「【堕天使】は人々の心に秘められた欲望を的確に刺激して誘惑するの。今後、本人と対決する機会を得た時に相手の情報はできるだけ把握しておいた方が良いでしょ? 万が一にも、わたし自身が誘惑されることがあってはならないわ」
「確かに……」
牧師という肩書を持っていたということは、あの人はかつては敬虔な神の信徒だったのだ。そんな聖職者さえも、このリヴァーデンの支配者は容易く配下に収めている。【堕天使】の持つ力の強大さは、それだけでも明白だ。
アルテナはやがてそいつと対峙しなくてはいけないだろう。その時のことを思うと、マーガレットですら身震いがする。果たして、勝てる相手なんだろうか?
「あのさ、アルテナは怖くないの? こんな、いつやられちゃうかも分からない仕事を続けてて……」
アルテナの目がマーガレットの方を向く。一点の曇りも無い、澄んだ眼差しだった。
「まったく怖くないと言ったら嘘になるわね。でも、わたしに迷いは無いわ。これが、自分の歩む道だって固く信じているから」
「どうして……」
と、マーガレットが更に追求しようとした時だ。
アルテナが新しく書架から抜き出した本と一緒に、一枚の折り畳まれた紙片がはらりと落ちてきた。
「……!」
ある種の直感が、マーガレットにもアルテナにも走る。
二人は無言で目を合わせ、床に落ちた紙片を見つめた。