貴族令嬢、マーガレット・ウォレス②
「あ、あ、あなた、だれ……!?」
恐怖と警戒を全面に押し出しながら、マーガレットはまじまじと相手を見る。
端正な顔立ちをした青年だった。スラリとした長身を紺を基調としたスーツで包み、同色のトリルビーハットで頭を飾っている。つばの下から覗く目には、珍しい真紅の瞳が宿っている。青年は組んだ脚に両手を乗せて、微笑みを浮かべながらじっとマーガレットを見ていた。
「俺のことはどうでも良いんだ。大切なのは、これからの君さ」
「は……? 意味が、分からないんだけど……。急に現れて、何を言うのよ」
得体のしれない青年を前に、マーガレットの警戒心は限界まで膨れ上がる。誰か、大声を上げれば助けに来てくれるだろうか?
「大声で助けを呼ぼうとしても無駄だよ。第一、俺は君に何もしない」
マーガレットの心中を読んだみたいに、スーツの青年は余裕たっぷりに言った。
「俺が此処に来たのは、まあいわば最後の親切ってやつだ。この汽車が目的地に着いたら、あとは君が自力で頑張るしかないんだからな」
「あなた、私がどうして此処に居るのか、この汽車がどこに向かっているのか、全部知ってるの!?」
まさかこの男が、自分をこの汽車に乗せたのか? マーガレットの中で、恐怖よりも怒りの感情が勝りつつある。
「知ってるのなら、全部話して頂戴! 事と次第によっては、誘拐と見なしますからね!」
「ははは、本当に気の強い女だな。まあ、跳ねっ返りでいた方がこの先やりやすいだろうしな」
マーガレットの憤慨などまるで意に介さず、青年は声を上げて笑った。どことなく人を見下したような、悪意の込もった笑み。マーガレットは背筋に毛虫が這うような嫌悪感を覚えた。
スーツの青年は笑いを収めると、組んでいた脚を下ろして上半身を前に傾ける。そして、紅い瞳から光を消してマーガレットの顔をじっと見上げた。
「良いか、肝に銘じておけ。たとえ覚えていなくても関係ない。既に汽車は動き出し、目的地まで一直線だ。もう引き返すことも、途中で投げ出すこともできない。死んだとしても、すべて自己責任となる。これは、そういう契約だ」
「は!? な、何よそれ! 私、そんなの知らない! 一方的にわけの分からないことを言わないで! ちゃんと理解できることを話してよ!」
詳細は不明ながら、物騒なことをのたまう青年にマーガレットの怒りのボルテージはついに最高潮を迎える。我を忘れ、感情に任せるまま青年に掴みかかろうと腰を浮かせたところに、彼が「待った」というように手の平を向けた。
「おっと、力に訴える前に窓の外を見てみな。君がこれから行く場所が丁度大写しになってるぜ」
「え?」
マーガレットは思わず彼の言葉に釣られて視線を外へ向けた。
大きな湖を挟んだ彼方に、赤煉瓦の豊かな街並みが見える。夕暮れ時の斜陽に照らされて、街全体が血のように赤く映えていた。
「栄耀栄華の街、リヴァーデン。彼処で、君の望みが叶うと良いな」
再び耳に飛び込んできた青年の呟きでマーガレットは我に返り、視線を客室の中へ戻すが、その時にはもう対面のソファーの上に青年の姿は無かった。