隠れ家にて①
アルテナの言っていたアジトには、思いの外スムーズに移動することができた。
運良くあの“サーヴス”というこの街の亡者達と遭遇しなかったことと、アジトまでの道程がそこまで複雑ではなかったことが大きい。
目抜き通りの喧騒から逃れるように地区の外れに建てられた、前時代的な石造りの粗末な住宅地の一角にアルテナのアジトはあった。
「着いたわ、此処よ」
アルテナがそう言って立ち止まったとき、マーガレットは最初困惑した。
二人の目の前にあるのは、家と家の間に出来た僅かな溝に過ぎない。人ひとりがやっと通り抜けられそうな狭さの隙間を見ながら、もしかしたら此処を通り抜けた先が隠れ家と、そういう意味で言ったのだろうかとアルテナの顔を見やった。
「待ってて、今開ける」
アルテナはゴソゴソとシフォンスカートのポケットを探り、そこから純銀製のロザリオを取り出す。そしてそれを胸の前に掲げると、何やら文言を唱え始めた。
「月の女神にして魔術の祖、ヘカテーの御名において命ずる。隠された扉を見出し、我が前にて開きたまえ」
するとどうしたことだろう、ロザリオが周囲の乏しい光をかき集めたかのように輝きだしたではないか。
鈍い金属の光沢をまとっていただけだったロザリオが、白銀の雪化粧もかくやとばかりに精彩を放つ姿にマーガレットは目を奪われる。
その輝きに照らされるのを嫌うかのように、目の前の風景がぐにゃりと歪んで闇を蓄えた溝がその口を大きく開いた。
「わっ!?」
「さ、中へどうぞ」
「へっ? きゃあっ――!?」
突然の変化に驚くマーガレットの背中を、アルテナが無造作に押す。いきなり過ぎて踏みとどまることもできず、マーガレットはたたらを踏みながら大口を開けている闇の中へ突っ込んだ。
巨大な綿の中に落ちたような、柔らかいものが全身を軽く圧迫する感覚があった。だがそれも一瞬のことで、次の瞬間には視界が開けて圧迫感も消える。
マーガレットの前に広がるのは、簡素な机と寝台に大きめの棚、それに何脚かのスツール式椅子が置かれているだけの、粗末な部屋だった。
「ようこそ、わたしのアジトへ。生憎お茶は切らしてるけど」
すぐ後にアルテナも此処へ入ってきた。マーガレットは物珍しそうに室内を見渡しながら感嘆の溜息を吐く。
「あんなところにこんな隠し部屋があるなんてね。これなら確かに誰にも見つからないわ」
「お嬢様が暮らす部屋とは比べ物にならないでしょう?」
マーガレットの前にスツールを運んできたアルテナの口調には皮肉が混じっている。彼女の言葉通り、この部屋はマーガレットが普段寝起きしている実家のマイルームとはかなり異なる趣をしていた。
調度品のひとつも置かれておらず、壁は剥き出しでおよそ飾り気というものがまったく無い。文字通りただ身を隠す為だけの場所という印象である。
提供された椅子にゆっくり腰を下ろしたマーガレットは、アルテナの言葉に苦笑い混じりで答えた。
「まあね。でも、こういう雰囲気も嫌いじゃないわ」
「それはまた、随分と庶民派だこと。まあ、その方が気を遣わなくてこっちも助かるけど」
椅子ではなく机の上にどっかりと尻を乗せたアルテナは、そのまま背中の大鎌を手に取り、刃や柄を広げたりして点検し始めた。
マーガレットはもう一度室内を見渡す。改めて見ても、此処には二人だけしか居ない。
「先輩っていう人は、まだ帰ってきてないみたいね」
「調査を続けているか、もしくは他のアジトに行っているかでしょうね」
顔を上げずにアルテナが答える。鎌の刃が欠けていないか、特に入念に調べているようだ。
「これからどうするの?」
「先輩が帰ってくるのを待つ、と言いたいところだけど」
刃の両面を確認し終えたアルテナが顔を上げる。意味深な色を宿した碧色の瞳が、マーガレットの視線と交錯する。
「ちょっと気になることがあったから、わたしはわたしで動こうと思ってるの」
すぐに、マーガレットは思い当たった。
「それって、さっきあのバイオリン職人が呟いていたこと?」
アルテナが頷く。その表情は心なしか少し固くなっているように見えた。