マーガレットの覚悟②
「この街の恐ろしさは充分に分かったわ。貴女も見た通り、私は戦えない。でもね、確かに私は争い事から縁遠い貴族の娘だけど、それでもプライドの欠片くらいはあるのよ。他人の、それも自分と同年代の女の子の前で、あんまり見苦しい振る舞いはできないわ」
ノーブレス・オブリージュ。貴族は平民から税を収めてもらう代わりに平民を守るべし。
国民主権の意識が高まり、議会にも平民出身の議員が数多く輩出される昨今、従来の貴族精神は既に過去のものになりつつある。それでもマーガレットの家は、この教えを疎かにすることは決してなかった。
マーガレット自身にも、その考え方は受け継がれている。
「アルテナの足手まといにはなりたくないの。この街をどうにかするというのが貴女の使命なら、そっちを優先してほしい」
「……マーガレットは、本当にそれで良いの?」
「……本音を言えば、やっぱり怖いわ」
「なにそれ」
ぷっ、と思わずアルテナは吹き出した。その毒気の抜けた表情にマーガレットは一瞬見とれたが、すぐに気を取り直して補足をいれる。
「私自身の感情と、大義名分はまったく別のものよ。本当は嫌だけど……怖くて怖くて仕方ないけど……アルテナが公の為に戦っているというなら、私にそれを留める権利は無い。だから……」
「分かった」
アルテナは手の平を差し向けてそれ以上の言葉を遮る。緊張の和らいだ表情に、若干の親しみが加わっているような気がした。
「色々と言ったけど、わたしも途中であなたを見捨てるのは本意じゃない。貴重な、街の闇に染まる前の生存者だからね。出来れば無事に帰してあげたいって思ってる」
「アルテナ……」
マーガレットは、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。アルテナと少しだけ打ち解けたと実感できて、嬉しさが全身にこみ上げる。
「約束するわ、マーガレット。わたしとあなたは一蓮托生。わたしの手でどうにかできる内は、決してあなたを見捨てない。あなたを此処から生還させる為に尽力する。だから必ず、二人で生き延びましょうね」
「……ええ!」
二人はそっと小指を絡め、指切りの約束を交わす。アルテナの申し出はやや控えめな内容に留まり、決して何があってもマーガレットを助けると言ったわけではない。
だがその慎重な物言いに却って誠意を感じられ、マーガレットは心から安堵を覚えた。
出会ってまだほんの僅かだけど、それでもいくらか心を許せる。お互いにそんな相手を見つけたことで、二人の間に笑顔が咲いた。
「さて、そうと決まればここの家主に気取られる前に出ましょ。わたしに付いてきて」
そう言って、アルテナはゆっくりと足を伸ばして階段を下ってゆく。マーガレットも足音を軋ませないよう、細心の注意を払いながら一歩一歩慎重に階下を目指す。
一階の工房からはいまだにシャッ、シャッ、という切削らしき音が続いている。どうやら作業に没頭しているようだ。そっちに意識が集中しているなら、自分達には気付かないかも知れない。
マーガレットの予想は的中し、二人共問題なく一階の玄関前まで辿り着いた。アルテナが一度振り返り、マーガレットに目で合図をしてからそろそろとドアノブに手を伸ばす。
「うへへ……。いひひひひ……!」
突如飛んできた声に心臓が跳ねた。恐る恐る工房の入口を見やるが、そこには大きな影が浮かび上がっているだけで人の姿はない。どうやら家主の独り言のようだ。
「ああ、良い木材だ……! 実に加工のし甲斐がある……! これなら今度こそ、最高の作品が造れるかも知れない……!」
恍惚とした響きを含ませた独り言が続く。悦に入った表情が見えてくるような、妖しい声音だった。
「本当に、この街に来れて良かったなぁ……! 三流以下のバイオリン職人とバカにされた僕でも、こんな良い仕事ができるんだから……! いつもいつも材料を恵んで下さる、教会にはもっと感謝しないとなぁ……! うへへへ……!」
マーガレットはアルテナと顔を見合わせた。アルテナは今の言葉を咀嚼するように眉根を寄せ、二度三度と視線を床に走らせる。
やがて彼女は肚を固めたと言わんばかりに強い眼差しを上げ、マーガレットに頷いてみせてから今度こそドアノブを捻る。
そして二人は、家主に気付かれることなくその家を後にしたのだった。