マーガレットの覚悟①
マーガレットは思わずアルテナと顔を見合わせた。
「今のって……」
「思いっきり玄関ドアを開けたような音だったわね」
小声を交わす二人に被せるように、ドンドンという重い足音が続いた。誰かが入ってきたのは明白だ。
「この家の主人が帰ってきたのかな?」
「でしょうね。此処で待ってて、様子を探ってくる」
アルテナは慎重に階段に近付き、階下を覗き込んでいる。その様子を、マーガレットは固唾をのんで見つめた。
やがて足音はしなくなり、代わりに刃物か何かで木を削るような音が始まった。
「奥の部屋に入ってったみたい。どうやらこの家の持ち主で間違いなさそうね」
マーガレットはたくさんのバイオリンが飾られた一階の壁と、その端に設けられた工房を思い出した。
「ど、どうしよう!? 勝手に入ったのがバレたらまずいわよね!?」
「ええ、見つかったら面倒なことになるでしょうね。このまま二階に隠れているか、いっそ不意をついて排除するか……」
礼儀礼節を踏まえた常識的に、という意味で言ったのだが、アルテナの認識は思い切りそれとはずれている。
マーガレットは苛立ちで声が大きくならないよう細心の注意を払いながら、その間違いを訂正する。
「違うわよ! 家主の不在中に勝手に上がり込んでいたのがバレたらまずい、って言ってるの!」
「お嬢様らしい理由ね」
アルテナは呆れたように鼻を鳴らす。
「さっき窓から見えたでしょう? この街の住民は全員まともじゃないのよ。人間の礼節を守ろうと考えるだけ無駄、バカを見るだけよ」
「私はまともよ! あの人もそうかも知れない!」
さっき、自分を襲ったあの男は『この街に来て三年』とか言っていた。悪意に満ちていたとはいえ、それでもある程度の意思疎通はできた。一方で街に来たばかりの自分は、まだ全然正気を保っている。この家の主もまだ此処に来て日が浅く、街の毒気に当てられていない可能性は否定しきれないだろう。
「とにかく、まともだろうと狂っていようと家主に私達の存在を知られるのはまずいわ。気付かれない内に退散しましょう!」
「それで、あの“サーヴス”共で溢れかえる街中へ出るって? あなた、見た目と違って随分と勇敢なのね」
こちらを小馬鹿にするようなアルテナの物言いにマーガレットもだんだん腹が立ってくる。だがふと思い至り、アルテナに訊いた。
「待って。アルテナ、貴女は自分からこの街に入ってきたのよね?」
「そうよ。街を生み出している元凶を見つけ出して退治するために、先輩と二人でね。今は、はぐれちゃってるけど」
「それなら、身を隠せる拠点のひとつやふたつ、用意している筈よね? こんな街で動こうっていうんだもの、戦いや調査の準備を整える場所は必要だわ」
アルテナが僅かに目を見開いた。
「驚いた。あなた、世間知らずのお嬢様に見えて中々どうして鋭いわね」
「それじゃあ、やっぱり……!」
「ご推察の通り、いくつか拠点は確保してあるわ。実を言うと、この近辺にもそのひとつがあるの」
じゃあそれを早く言え、と文句をぶつけたくなるのを我慢してマーガレットはアルテナに顔を寄せた。
「どうにかしてそこに行きましょう。貴女の先輩とやらもそこへ戻っているかも知れないんでしょう?」
「可能性は高いわ。ただし、あなたを守りながら辿り着けるかどうか、そこは保証できないけどね」
マーガレットはごくりと唾を飲み込んだ。アルテナがこの家に身を潜めようと言ったのは、足手まといの自分の存在もきちんと計算に入れてのことだった。
またあんな目に遭ったら……。そう考えると恐ろしさで身が竦みそうだ。しかし、マーガレットはぐっと顎を引き、震える舌を無理やり動かして勇気を絞り出した。
「もしもの時は、見捨ててちょうだい」
アルテナの顔にまたも意外そうな色が浮かぶ。何かを言おうと口を開くが、出てきたのは「へぇ~」とかいう呆れなのか感心なのか分からない溜息まじりの言葉だけだ。