マーガレットとアルテナ②
「ハァ…! ハァ…! ハァ…! ハァ……!」
「一階にアイツらの気配は無し。後は上ね」
息ひとつ切らさずに辺りの安全確認を済ませたアルテナは、その足で二階に続く階段を上がってゆく。
「ちょっと確認してくるわ、マーガレットは此処に居て」
そしてマーガレットの返事も待たず、そのまま上に行ってしまった。
「あ、アルテナ……! あの子の体力、どうなってるの……!?」
膝に手を当てながら呼吸を整えていたマーガレットは、改めてアルテナの驚異的な身体能力に舌を巻く。しばらく走っただけでこんなに消耗する自分とはまるで比較にならない。
一体いつから彼女はこの街に居るんだろう? どれくらいあんな化け物と戦ってきたというのだろう?
しばらくは顔を上げるのも億劫だったが、それでも次第に苦しさも収まってきて、マーガレットは自分の身体を叱咤して屋内を見渡した。
「……バイオリン?」
すぐに目についたのは、壁一面に飾られてあった大量のバイオリンだ。その前にはカウンターがあり、幅広の長机の上には呼び鈴がひとつ無造作に置かれていた。
「此処って、バイオリン職人の家?」
あちこちに視線を走らせる。薄暗くて完全には見通せないものの、屋内は狭く無骨な造りでバイオリン以外に目を引くものは特に無い。ひと目で分かるのは自分達が入ってきた玄関と、すぐ正面にあるカウンターに壁のバイオリン、そしてその左脇に敷かれている階段くらいか。
「ん……? 右奥は別の部屋に続いているのかしら?」
カウンター右脇の方は少し奥行きがあり、その先には別のスペースが設けられている。目を凝らして覗いてみると、様々な工具と組み立てられる前のバイオリンの部品が置かれている作業机のようなものがあった。どうやらそこが工房になっているらしい。
「古き良き家内制手工業、というわけね。見た感じ、あまりお金にはなっていないようだけど」
バイオリン以外は実に無情緒な内装を見て、マーガレットはそう思った。床は板張りでカーペットやマットの類も敷かれておらず、タペストリーひとつ飾られていない左右の壁は物寂しい暗さを鬱々と溜めている。観葉植物や絵画に動物の剥製といった、客の目を楽しませる趣向も一切なされていない。
……いや、一介のバイオリン職人の家に剥製とかは流石に求めすぎだと思うが。第一マーガレットは剥製の類は苦手なので、あっても困る。
「……ごほん! アルテナに促されるまま勝手に入ってきちゃったけど、この家の主人は留守なのかしら? 出来れば挨拶のひとつでもしておきたいわ」
無遠慮に室内の品定めをしている自分に気付き、マーガレットは咳払いをしながら気持ちを改めた。
このまま黙って突っ立っていたらただの不審者だ。淑女たるもの、礼節を疎かにしてはならない。家庭教師から実にくどくどと言われてきた教えだが、それだけに染み付いている。それに実際、他人の家を訪うのに無言で侵入するのは良くない。
「一階には誰も居ないってさっきアルテナが言っていたわよね。あの子、さっさと二階に上がっちゃったけど、大丈夫かしら?」
取り残された自分はどうしようか。取り敢えず、カウンターに置かれている呼び鈴でも鳴らしてみるか? もし家の主人が二階に居た場合、いきなりアルテナと鉢合わせしたらびっくりさせてしまうだろうし。
「おまたせマーガレット。二階も無人だったわ。この家ならしばらく安全そうよ」
そろそろとカウンターに近付こうとした矢先、当のアルテナが降りてきて階段の上からひょっこりと顔を覗かせた。
「あ、そう……なの」
安全と言われてほっとしたが、一方で勝手に他人の家に上がり込んでいるという居心地の悪さは増した。
そんなマーガレットの内心を知ってか知らずか、アルテナは階段の上から手招きしつつこんなことを言ってきたのだ。
「上に来て。この街の正体を見せてあげる」