夢のログとグリッチバスター
診察の中で、患者の心と身体の微細な変化に目を凝らすマコ。今回は、以前診察したジャズの不安定な睡眠行動と向き合い、その謎を解きほぐそうと試みる。
眠りの中で彷徨う彼の姿は、ただの夢遊病なのか、それとも何か別の力が働いているのか──。
「それで……話って何かな」
「えっと……前に診察を受けたとき、ログをつけておくよう言ってくれただろう? それを見てほしてくて」
「あぁ」とマコは頷き、続けざまに「ちゃんとつけてくれてたんだな」とジャズを褒めた。
「診察以降も徘徊していたみたいだからな……ただ、頻度は減った気がするよ」
そう言ってジャズは耳元のヘッドホンをクリックし、初診のときと同様にマコの前へ映像を映し出した。
マコはソファーに浅く座り直し、映像をじっくりと見た。
「午後十一時……この時はまだ意識はある感じ?」
「そうだな。スケジュールの確認をしたり、楽譜を見たりしていたよ」
「仕事熱心なのは感心だけど、夜更かしは正直褒めてやれないな」とマコが苦笑交じりに告げると、ジャズは面目ないといった様子で目線をズラしていた。
映像が進み、日付が変わる。暫くベッドの上で眠るジャズだけが映っていたが――……丑三つ時頃に、異変は起きた。
眠っていたはずのジャズが徐ろに起き上がり、楽屋を抜け出してどこかへ向かい始めたのだ。
「何で……」とジャズ本人も戸惑っている。彼の様子を見る限り、意識は眠っていたことが察せられた。
マコは映像の中のジャズを追った。映像の彼は、覚束ない足取りでやはりどこかへと向かっている。
「……ジャズ、この先は……地下かな。地下には何があるんだ?」
「メンテナンスルームだ。そうだ……いつも気がついたらメンテナンスルーム近くにいるんだよな」
「それは……何かがきっかけで目が覚める感じ?」
「えっと――」
ジャズが答えるよりも早く、映像から「ジャズさん? どうかしたんですか?」と警備ロボが彼に声をかけているのが聞こえた。
「……誰かに声をかけてもらうと覚めるみたいだな――」
そこまで言って、マコははた、と口を噤んだ。
「……マコ?」
不思議そうにジャズが声をかけるも、マコは答えない。
(確か……夢を操る妖怪がいたよな。そいつの能力も確か、第三者の介入であっさり解除できる程度の術だった……)
しかし……その妖怪は一度、姉に厳重注意を受けて以降、そういった悪戯はしなくなったはず。ではまさか――アベルが? それこそ考えにくい。能力の模倣など、奴には到底出来ない芸当のはずだ。
「マコ、大丈夫か?」
ジャズが心配そうにマコの様子を窺う。
「悪い、ちょっと考え事してた。それより……思ってた以上に深刻な問題だな。あまり休めてないだろ?」
「……正直」
そう答えるジャズに、マコはある提案をしてみた。
「なぁジャズ、良かったら俺の開発したソフトをインストールしてみないか?」
「……ソフト?」
マコは頷きながらパソコンの画面を開き、ジャズの前にガーディを見せる。
「グリッチバスターのガーディ。こいつをインストールすることで、夢遊病の症状が改善されるかもしれないんだが……」
「どうかな?」とマコは尋ねた。
「ガーディも、やれそうか?」
「彼が徘徊する時間帯などを把握できれば、その時間帯は楽屋から出れないよう一部に制限をかけたりなども可能ですよ」
ジャズは暫し悩んでいたが……それで症状が和らぐならと判断したのか、「よろしく頼む」と頭を下げた。
「決まり。じゃあ早速インストールしてくれ」
「分かった」
ジャズはヘッドフォンのコードを伸ばし、マコのノートパソコンと自身を繋いだ。
「一応、これからもログは記録し続けること。一週間後でも、明日でも、いつでもいいから話においで。待ってるから」
「ありがとう。正直……キミがここに来てくれたことを感謝しているんだ」
インストールを終えたジャズは、コードを片づけながら言った。
「二週間後に大きなショーがあってな。それの練習もしなくちゃならないから、マコに会いに行く時間が取れないと困っていたところだったんだ」
「そうだったのか。それなら、確かにちょうど良かったのかもな……」
「すまないな……今日は疲れていただろうに、突然相談に来てしまって」
「いやいや」とマコは手を振り、「それが俺の仕事だから」と返す。
マコは腰を上げ、ジャズの代わりに扉を開けた。
「練習、無理のない範囲で頑張ってな」
「ありがとう。それじゃあ、また明日」
マコはジャズの姿が見えなくなるまで、カウンセリング室に戻らず彼を見送った。
「……マコ、下書きのメールを完成させますか?」
「あぁ、そうだな。ちょっと姉さんに聞いておきたいことも出来たし……早いとこ送ろう」
――ファンタイムプレックスへの潜入二日目の、小昼のことであった。昨日のカルテを整理していたマコの端末に一本の電話がかかってきたのである。
マコは手を止め、電話を取った。
「もしもし?」
「――もしもし、お兄ちゃん?」
はつらつとした声が響く。画面には水縹色の髪を持ったヘビの少女が手を振っているのが映っていた。
「マサ! 久しぶり、漸くこっちに帰ってきたのか?」
「うん」と言うマサに対し、「何か研究材料になりそうな掘り出し物はあったか?」とマコは尋ねる。
その問いにマサの声のトーンは少し下がった。
「今回は何も見つけられなかったよ……」
「そうか……そいつは残念だったなぁ」
「ところでさぁ、お兄ちゃん……今、自分の病院にいないの? 何か間取りがいつもと違わない?」
マサの指摘に、マコは目を丸くさせた。そして「相変わらず鋭い観察眼だな」と感心の言葉を零す。
「ちょっと仕事で、ファンタイムプレックスって所の臨時カウンセラーをやってるんだよ」
「ファンタイムプレックス? そこって凄い大きいアミューズメント施設だよね、いいなぁ~……僕も行きたい!」
「遊びに来てるわけじゃないからな?」
間髪入れずにマコは軽く否定をした。
「遊びに……というより、お兄ちゃんに会いたいな。屋敷に帰ったけど、お姉ちゃんもいないんだもん」
「――えっ? 姉さん、屋敷にいないのか?」
「うん……」とマサは寂しそうに呟いた。
「万事屋の方かなって思って、そっちも覗いたけど閉まってたし……収穫はなかったけど、外で見つけたものの話とか二人にしたかったんだけどな」
「……ごめんな。ここの仕事が終わったら、いくらでも聞くよ」
それを聞いたマサは顔を輝かせ、「ホント⁉」と叫んだ。
「約束だよ、お兄ちゃん!」
「あぁ、約束」
画面に突き出された拳に応えるように、マコはコツンと端末に拳を軽く当てた。それと同時に、扉が数回叩かれる。
「悪い、誰か来たみたいだから一旦切るな」
「はーい。またね〜」
マコは電話が切れたのを確認してから席を立ち、扉を開けた。
「やぁジャズ、それにホルスも。今日は二人でどうしたんだ?」
「マコさん……音楽って聴いたりする……?」
唐突な質問にマコは戸惑ったが「それなりに聴くけど……」と答えた。
それを聞いたジャズとホルスが頭を下げる。
「僕らが考えた曲を聴いて、感想をくれないかなぁ!」
「えぇ?」
「私たちだけじゃもう、この曲が良いのか悪いのか分からなくなってな……」
マコは二人にソファーへ座るよう呼びかけた。
「コーヒーでも飲んでリラックスするといい。話はそれから、な?」
「ありがとうございますぅ〜……」
潜入してまだ二日だというのに、波乱な日がこうも続くのか……とマコは呆然としながら、コーヒーの準備を始めるのだった。