闇に笑う者
眠りから目覚めたマコのもとに届いたのは、祖母であふユリからの一本のメール。夜半に呼び出されたその場所で、彼を待っていたのは──。
アラームの音を聞いて、マコは目を覚ました。窓の外に目を向ければ、すっかり陽は沈んでおり、微かに入相の鐘が聞こえてくる。
「……!」
端末を確認すれば、一件のメールが届いていた。誰からかとメールを開けば、ユリからだったようで、マコはまた息を吐く。
――話しておきたいことがあったのを忘れていたわ。今夜三時に地下二階の倉庫へ来てちょうだい。
「何でそんな時間帯に……ってそうか、確か御婆様は夜間警備のスタッフだったな」
ガーディが言ってくれたように、仮眠をしたことで集中力は戻ってきたが……真夜中に行くとなると、今のうちにもう一眠りしておくほうが良いのではないか。マコはそう考えた。
(ホテルに帰るのも面倒だ……このままここで眠ろう……)
マコは背を伸ばして椅子から立ち上がり、ソファーの方へ移動をしてからまた寝転んで、夢の世界へと旅立った。
「……」
マコはむくりと起き上がった。机上に置いていた端末を開くと、時計は午前二時三十分を指しており、彼はいそいそと準備を始める。
「あ……」とマコは声を漏らしてパソコンを見た。
マミにメールを送っていないことを思い出したのだ。しかし聞きたいことが多すぎるため、今から入力を始めてしまうと、ユリとの約束に間に合わない可能性が高い。
「……後ででも大丈夫か。ちょっと遅れたくらいじゃ、姉さんも俺に何かあったと思わないだろうし」
マコはそう自分を納得させると、パソコンを引き出しに仕舞って鍵をかけ、部屋全体にも戸締まりを施してから部屋を後にした。
廊下は蛍光灯の僅かな明かりでしか照らされておらず、昼間の雰囲気とはまた違った、冷たい空気が流れているような気がした。
マコは足元に気を配りながら、地下へと続く階段を降りていく。地下一階の途中にあるトンネルに辿り着いた、その瞬間だった。
コツリ。誰かの足音が聞こえ、マコは咄嗟に警戒の態勢を取る。足音は止むことなく、こちらへと確実に近づいてきていた。
「……誰だ!」と声を上げるマコ。それと同時に足音はピタリと止まり、懐中電灯の明かりが彼を照らす。
「あら……マコ」
足音の主はユリであった。「今から待ち合わせ場所の倉庫に回ろうと思っていたけど……ちょうど良かったわ」と呑気に彼女は言う。
「……昼間も言いましたが、アベルがどこに潜んでいるのか分からないのです。目立つような行動は、なるべくお互い避けませんか」
「どこに潜んでいるか分からない、ねぇ……」
ユリは紫苑色の瞳を細めて不敵に笑った。
「……御婆様?」
「――気づかれていないようで、安心したよ」
ユリはパチン、と指を軽快に鳴らし、自身の周囲に警備ロボを集合させた。それを見たマコが動揺をしている間に、彼女はロボに彼を背後から取り押さえるよう指示を出す。
「ッ!」
マコは咄嗟に地を蹴って宙に浮かぼうとしたが、警備ロボが彼を抑える方が僅かに早く、そのまま床に叩きつけられてしまう。
「ぐっ……どういうつもりです、御婆様!」
マコは声を荒げて言った。そんな彼の様子を見て、ユリは嘲笑うかのように「まだ分からないかい?」と口調を崩して話しかける。
「……!」
先程まで紫苑色だったユリの瞳は、怪し気なエメラルドグリーンへと変色していた。それに気づいたマコが叫ぶ。
「お前……アベルか‼」
「久しいね、六道マコ君。キミとはもう一度会いたいと思っていたんだよ」
「……っ」
(なんてこった……まさかアベルが御婆様の身体を器にしていたなんて! 一体いつから? ここに来た時点で……⁉)
普段からユリの思考を読めないことが仇となった……マコはそう思い、歯を食いしばる。
「妖怪の身体というのは便利だね……今なら、かつての私にニンゲンを辞めたければ、呪術しかないと言っていた東洋人たちの言葉も分かるよ」
「それ以上、そのヒトの身体で喋るな‼」
そうマコが怒りを顕にするも、アベルは気にせず「彼を立たせて」とまた警備ロボに指示を出していた。
アベルはマコの顎に手を添え、ツツ……と頬を撫でていく。
「フフ……この間と立場が逆転しているね。どうだい? 見下される気分は」
「……」
「おいおい、何か話してくれたっていいじゃないか。話した方がスッキリすることだってあるだろう?」
マコは睨みを利かせるだけであった。アベルはそれを、やれやれと呆れた様子で首を横に振る。
「つれないなぁ」
するとマコは足を振り上げ、アベルを蹴ろうとした。しかし抵抗虚しく、彼の足は簡単にアベルの手によって受け止められてしまう。
「……そういえばキミ、以前に私のことを殴り飛ばしてくれたことがあったね。せっかくだ、お返ししてあげようじゃないか」
アベルはマコの足を離すと、彼の腹部に向かって拳を振るった。
「ッ……!」
生身のニンゲンの拳ならば耐えれたであろうマコだが、相手は今、純血の妖怪。彼は威力に耐えきれず、警備ロボと共に後方へ吹っ飛んだ。
「あぁしまった、力加減を間違えてしまったよ。悪かったね、生きてるかい?」
マコの霞んだ視界には、一歩一歩近づいてくるアベルが見えていた。
「よかった、生きてはいるみたいだね。代わりにロボが犠牲になったようだが……一体くらいいなくなっても問題ないだろう」
軽く咳き込んで、マコは漸く口を開いた。
「お、前……今度は、何が目的だ……!」
「目的? 別に大したことじゃないよ。それに……話すわけないじゃないか」
冷笑を浮かべつつ、アベルは答えた。そしてマコと視線を合わせるように、しゃがみ込む。
「私の目的を達成するには、キミみたいな存在が邪魔でね……なに、殺しはしないよ。ただ暫くの間、眠っていてもらう」
アベルはマコの額に手を添え、「何か言い残したことはあるかい?」と尋ねた。
それにマコは嗤笑して、吐き捨てるように言った。
「お前の目的は果たされねぇよ……その余裕ぶった顔、とっとと崩しやがれ……‼」
「……驚いた。こんな状況下で減らず口を叩く余裕があるとは」
アベルは僅かながらも眉間に皺を寄せ、マコの額に添えていた手で乱暴に目元を覆った。そして小さく、何かを囁くように言葉を唱え、手を離した。
……マコは眠ってしまったのか、ピクリとも動かない。
「さて」とアベルは腰を上げた。
「とりあえず彼は倉庫の何処かに隠しておくとして……魔力とやらも貰っておこうか。途中で目を覚ましでもしたら面倒だ。それと……」
アベルは一度ユリの身体から抜け出し、マコの傍に近寄ると、札のような物を取り出す。そして彼の身体をうつ伏せにし、手首を後ろに組ませてから、札のような物を巻きつけた。
「仮に魔力が戻って、動き回られるのも困るからね」
足首も同様に巻きつけ、マコの自由を制限したアベルは再びユリの身体へと戻り、彼を抱きかかえる。
「……後は監視カメラの映像の改竄と……やることが多いなぁ」
アベルはそう呟くと、鼻歌を歌い始め、トンネルの闇の中へ溶け込むように消えて行った。