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袋小路。

 目が覚めると、4件のメッセージが届いていた。最初の差出人は先生だった。内容は以下の通りであった。

 「大変申し訳ないが、少々やらかしてしまい、春休みの間は自宅謹慎となってしまった。他の担当している部活は副顧問がいるから問題がないのだが、数学同好会は私以外に面倒を見る先生がいないだろう。だから、数学同好会の活動も春休みの間は学校で行うことができない。重ね重ね申し訳ない。」

 数分の間も開けず、「了解デス!気をつけてくださいよ〜」とのメッセージが続いていた。その次は10分後の「承知しました。春休み明け、先生に会えるのを楽しみにしております」。さらに10分後に「楽しい議論ができそうだったのだけど、仕方ありません。いつもお忙しい中付き合っていただいてありがとうございます。どうかごゆっくり休まれてください。」と続いていた。もちろん、先生以外はどれが誰だか把握していない。

 私のメッセージはさらに2時間後に送られることになる。内容は「了解です。」だけ。

 正直言うと、これは借りた本を読むちょうど良いチャンスであった。私は勇んで本を開く。英語で書かれていることを思い出す。私は自室を出てキッチンの方へ向かい、食事を摂ることにした。


 エネルギーを補給した今、そして朝、活力が最も強い今、この本が読めないと言うのであればいつなら読めるのか。覚悟を決めて目を通し始めた。

 こういった類の本は、目次とタイトルを除けば、最初にくるのが本そのものの説明だ。どの様な構成で理論が展開されるのか、前提知識として何を求められるのか、どれくらいのレベルの人向けの本なのか、参考文献、等々。あとは感謝の言葉が載っていたりする。意外と読み飛ばすと危ないことがあるので、どうにか辞書片手に読み解いていく。さすがに専門用語はインターネットに頼らざるを得ない。

 この本はどうやらZFC公理系と呼ばれる、何を集合と認めるかという公理系、簡単に言えば決まりごとの集まりについて述べているらしい。確かに「初等的な集合論」と呼ばれている範囲では、ラッセルのパラドックスをうまく回避できない。ZFC公理系は大きく分けて9つの公理に分けられる。正確には、一部は公理図式と呼ばれる、無限の公理を内包したモノらしい。

 そして、この議論で扱われる対象はすべて集合であるという。こんなので果たして自然数など出てくるのだろうか。しかし、公理の一つである無限公理にはペアノの公理で見たことある様な形が見られる。ひょっとすると、自然数は集合だったのだろうか。

 初めの導入部分を突破すると、少し楽になった。論理式や集合の記号で表現される部分が増えたからだ。数学記号が英語圏と共通であることがすごくありがたい。他の言語圏では異なる表記を使ったりするのだろうか。

 少し読み進めていくと、空集合の存在が証明されてしまった。それは0と表されていた。0とは空集合のことだったのだろうか。しかし、どこか納得がいかない。整数の範囲まで考えれば、0はある種の「基準」としての役割を持つ。それと同じ雰囲気をこの0からは感じられない。

 外延性公理と分出公理図式だけからは、0以外の集合の存在を証明できないのだとか。まあ、まだ公理は7種類も残っている。慌てることはない。

 次に現れた公理は、対の公理、和集合の公理、そして置換公理図式だった。これらによって、一気に世界が広がった。順序対、和集合、交叉、関係、写像、順序。次々に馴染み深い概念が構築されている。冪集合がまだ出てこないのが少々心残りではあるけれど。とは言え、それらが私の知るモノと完全に一致しているかはわからない。でも、知っている限りは同じ働きをしてくれそうだ。何か問題があればZFCが悪いで終わる話。とりあえず先に進もう。私の求めるものはまだ見つかっていない。

 読み進めていくと、気がつけば整列集合とその比較定理が実に簡素に記述されていた。この辺りの内容で、「初等的な」集合論の本を読んだ時にかなり苦戦したのを思い出す。もしかして、この本ってかなり難しいのだろうか。

 次に順序数が定義されていく。これは私が知っている順序数とは全く異なるものだった。私が知っているのは、整列集合同士の、順序同型によって定まる同値なものの「集まり」のことであった。これが集合にならない理由は未だにわからない。

 どうも順序数というのは、推移的な整列集合のことらしい。意味がわからない。なぜこれが順序数と呼ばれるのか。しかし、疑問はすぐにある定理によって解消された。

 その定理はこう述べている。すなわち、任意の整列順序はある順序数と同型であると。なるほど、これなら集合の範囲内で順序数を定めることができる。

 しばらく読み進めていくと、後続順序数、極限順序数というものが出てきた。そしてついに自然数が定義される。本には次の様な記述があった。

 「ある順序数において、それ以下のすべての順序数が0か後続順序数であるとき、その順序数を自然数と呼ぶ。」

 思わず、「は?」と驚愕の声が出てしまった。いやいや待ってくれ、こんなのが本当に自然数なんですか。ペアノの公理よりも私の知る自然数からかけ離れてはいませんか。教えてください、どうなんですか。

 そう思うと、次のページには、この自然数全体の集合がペアノの公理を満たしていることが証明されていた。まあ、正確言うと、証明の大部分は自力でやる羽目になったのだが、それでも証明できてしまった。

 話が逸れてしまうが、どうやら自然数全体の集合自体は無限公理がないと存在を証明できないらしい。言い換えると、無限公理なしでは、自然数全体の集合は存在してもいいし、しなくてもいいらしい。よくわからないけど。

 ここまでの話を踏まえると、私の理解が正しいのなら、自然数は0とその有限回だけ後にある後続順序数だけで構築されているといえそうだ。ちらりと次のページを見ると、足し算についての話が書かれていた。順序数どうしの足し算ではあるが、自然数は順序数であるらしいので、まあ、読んで損はないはずだ。

 しかし、一気に進みすぎた。頭がまともに働かなくなってきた。時刻は13時をすぎている。そう言えば今日は両親が1日出かけていて、昼はテキトーに食べてくれと言われているんだった。勉強の邪魔が入らないのは好都合だが、自分でやるべきことが増えてしまうのはすこし面倒だ。

 キッチンでカップ麺にお湯を入れて自室に戻る。普段なら小言を言われる様なことだが、なんと言っても今日はフリーダムなのだ。ランラン気分なのだ。

 3分待つ間も、食べる間も、ここまで読んできた部分に繰り返し目を通してみた。それでも、もう限界が近いのか、ただただ目線が文字の上を滑っていく。脳が本に書かれた文字列に意味があることを忘れてしまっている。食べ終わった容器を机にほったらかしにしたまま、私はベッドに寝転がった。すごく眠い。

 ちょうどいいので、ユウカのことを思い浮かべて意識を手放すことにした。


 「向こう」に着くと、ユウカが床に寝そべりながら本を読んでいるのを見つけた。それにしても、こっちは地面がとても柔らかくて、ゴロゴロするには実に快適だ。羨ましい限りである。

 「つまり、個々の自然数は0と後続演算子によって生成される。ここはペアノの公理と変わらないのね。いや、変わらなくて当たり前なんでしょうけど。」

 ユウカは本から目を離さずにそう言った。私は弱い自信と共に肯定した。

 「でもやっぱり、自然数全体の集合は欲しいわね。自然数とは何かという問いは自然数全体の集合に属するとはどういうことかという問いに等しいはずだから。後者であれば無限を集合で抑え込んで有限回の操作に落とし込めそうね。」

 私はさっきから喋り続けるユウカの横に寝転んで、本を覗き込む。今度はきちんと文字が書かれている。

 「それで、ここで言う自然数全体の集合の構成を保証するためには、外延性公理、分出公理図式、対の公理、和集合の公理、置換公理図式、無限公理が必要になる。各公理図式はここまでの議論で使ったものに絞れば有限個になる。だから、これらを世界のどこか、あるいはあなたの中に見出すことができれば、自然数の正体に迫れそうね。」

 「うん、そこまでは私もなんとなく思ってた。でも、この公理自体の存在ってかなり怪しくない?」

 ここでようやく、ユウカが本から顔を離した。そのまま見つめあっていると、目線で続きを促してきた。

 「えっと、公理を出発点として議論を進めているこの理論では、あくまで議論そのものは徹底的に形式的な記号の操作であることを強調している。例えば、『0は自然数』という直観的な表現は、その正体を単なる文字列として扱うことになる。それは0と1のみの羅列の機械語が、人間が扱うときは読みやすい高級言語に置き換えた状態で扱われるような感じに例えられそう。」

 少し頭がこんがらがりそうで、言葉が止まる。ユウカはただ私の次の言葉を待っていた。「向こう」の人間もみんなこうだったらいいのに。

 「それで、プログラムの方の0と1は、トランジスタの電圧がそれぞれ低いときと高いときを表している。逆だったかな。トランジスタじゃなくてコンデンサだったかもしれない。まあ、今はどっちでもいい。とにかくこの例で重要なのは、根本へ遡っていくと、現実的な物体に帰着できるということ。」

 「あら、電子部品や電気は存在することは自明に認めてしまうの?」

 いたずらっぽくユウカが問いかけてくる。

 「電子部品は触ることができる。だから存在は認めていいんじゃない?まあ、実際に触ったことはないのだけれど。電気の方は、そのはたらきの結果を知覚できる。物を動かしたり、熱を発したり。乾電池の電位差が見た目で判断できない様に、電気そのものを直接知覚することはできない。いや、できるのかもしれないけど。それでも、さっき言った様に、電気が『あった』ことは示せる。」

 そうだったわね、とユウカがわざとらしく言う。少しむかついたので、肘でこづいてやった。

 「そんなわけで、私はプログラミング言語そのものに違和感を持たない。突き詰めればそれは、物理的な状態や、その状態から状態への遷移を表した物だから。だからこそ、自然数そのものに違和感を覚えるの。」

 「でも、同じ様に公理が何か現実的な現象を表現しているかもしれないでしょう?」

 「そうであれば、話はもう終わり。問題は、その具体的なものが思い浮かばないこと。」

 「その様な対象が外に存在するなら、もしかしたらそれはきっとイチゴでなくてフルーツでしょうね。いえ、さらに抽象化されたものなのかもしれないわね。」

 ふと、目の前の本の開いたページから何かがはみ出ていることに気がついた。それをつまんでみた。確かに触っているのに触っていないような、あの感じがする。そのまま引っ張ってみた。どこかに引っかかっているのか、同時に本も持ち上がる。コレが引っかかるとはどういう現象なのか、本当に意味がわからないが、これは引っかかっているとしか表せない気がする。

 ユウカが本を押さえてくれたので、それを引っ張り出すことができた。それは自然数全体そのものであった。なぜかそう確信があった。相変わらず、この世界は理解できない。いや、理解できなくていい。そんな予感がする。


 自然数の集合体を弄んでいると、いつのまにかユウカは大変珍しく、実に真面目な顔で考え事をしていた。どうしたの、と声をかけてみる。

 「なんだか、目的から逸れている様な気がするのよね。ねぇ、ミライ。私たちの目的ってなんだったかしら。」

 「それはもちろん、自然数の正体を見つけることでしょ?」

 「そうよね。だから、ZFCの公理に対応する様な現実的な概念を見出すことができるのであれば、そこから自然数とみなせそうな物を導くことができる。」

 ユウカの言葉を少し頭の中で整理してから返事をする。

 「うん、その通りね。だから、その概念を見出そうとしているところなんでしょう?」

 「ZFCによって構成される集合論は、素朴な集合論で要請される操作を、少なくとも私たちが知っている範囲では、すべてできる。ということは、位相を扱うことができる。代数も扱える。加えて、詳細は忘れてしまったけれども、自然数から実数を構築できる。だから、ユークリッド空間が扱える。従って、解析もできてしまう。複素数も含めてね。」

 「まあ、そうだろうけど、それが一体どうしたの?」

 束の間の沈黙。そうねぇ、とユウカが話し始める。

 「ZFCは私たちの目的には大きすぎるんじゃないかしら。だって、自然数だけじゃなく、私たちが知っている数学すべてが、ZFCより構築できてしまう。なんだか、原子の大きさを定規で測ろうとしている様な、そんな的外れな予感がするの。ミライが公理の現実的存在への不信感を抱いているのは、ここが原因なんじゃないかしら。」

 「待って、原子と聞いて思いついたのだけど、ZFCは周期表のようなものと考えてみるのはどうかな。つまり、ZFCの公理の一つひとつを原子、そこから証明される諸定理を、証明に使った公理によって構成される分子と考えるの。もし、この見方が正しいならば、ZFCが大きすぎるのは自然で、かつZFCを調べることは自然数を知ることに直結すると言えそう。いや、むしろ必須であると言ってもいいかもしれない。」

 なるほどね、とユウカは再び思考に耽り出してしまった。

 私はここまでの話を振り返ってみよう。自然数全体をもみくちゃにしながら、昨日からの議論に思いを寄せた。

 私が疑問に思っていることは、自然数の正体。自然数とはどこから来たのか。私は何に対して、それが自然数だと感じているのか。どのように自然数であると理解するのか。

 その自然数の源とも呼べる何かは、私の外に存在するモノなのか。存在するならば、それは特定のモノなのか、あるいは複数のモノたちの抽象化なのか。はたまた、この抽象化を幾重にも重ねた結果なのか。

 仮に外に存在しないのであれば、私の内に秘められたモノなのだろうか。それならば、自然数は私の一部なのだろうか。そうであれば私から自然数がなくなれば、私じゃないのか。自然数を理解できていない幼少期の私は私ではないのだろうか。

 数学の枠組みの中で、自然数を記述する手段がある。それがペアノの公理。根拠はないけれども、自然数の正体は何かしらの形でこれを満たしているはずだ。そんな気がする。しかし、ペアノの公理は自然数があるという前提で、それを整理するための記述である様にも感じる。歴史的背景など微塵も知らないから、憶測に過ぎないけれども。

 でもそれは、ZFCがあれば解決した様にみえる。問題の対象がZFCに移っただけで根本的には何も変わらないのだから、「みえる」だけ。

 改めて振り返ると、一歩も進んでない様にしか思えない。悔しくて、つい手に力が入る。手に握る何かを忘れて。

 両手の中で集合の割れる音がした。

 恐る恐る手元を見た。

 自然数たちが溢れ出す。

 集合なのだから、各々の自然数は一つずつしかない。でも、自然数は無数にある。可算無限個だけある。

 世界が自然数で埋まった。

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