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発表会。

この作品は、以前に同じタイトルで書いていたものの書き直しです。

前のものは途中ではあったものの、気に入らなかったので消しました。今度は書き切れることを祈っています。

 昔から数学、もとい算数がよくわからなかった。

 周囲の人々にこんなことを言うと、「俺もずっと点数悪かったんだ」とか、「マジ点Pとかウザいよね」とか、「あれがなんの役に立つか理解できない」といった具合の反応が返ってくる。

 そうじゃない。彼らの視点で評価するのであれば、私は数学をよくわかっている。

 つい先日の、窓から見えるあと一息で花びらを撒き始めそうな桜を横目に受け取った紙には、「数学」の文字の横には一番大きい数字が書いてあった。

 ちなみに私は桜が好きになれない。あの薄桃色の花吹雪はまるで、せっかく貯めた養分を、厳しい寒さへの鬱憤を晴らすが如くヤケになっているように感じられるからだ。それが彼らの進化の結論であることはわかってはいるが、なんとなく気に食わない。夏になって、あわてて葉を茂らせる様を見るのは、ザマァみろがつい口から出てきそうになる。この時期に限って、私は桜を見るのが好きだ。


 閑話休題。


 数学は私の直観を否定する。概念に人格がないことを考えると、受容しないと言うべきかもしれない。これが顕著に現れるのが証明問題だ。厳密に言えば、すべての数学の問題は証明らしいのだが、ここで指しているのは、数学的帰納法だとか、図形の合同・相似だとか、最初に「(証明)」、最後に「(証明終)」と書かないと減点するぞと、口酸っぱく指導される類の問題だ。ここでは、これまた誰もが口酸っぱく指導されたように、「見ればわかる」で終わらせることが許されない。

 この点に関して不満があるわけではない。これに不満を持つ人を見ると、濡れた猫を乾かすためにレンチンしたという話を思い出す。世の中に数学嫌いが増えていけばそう遠くない未来で、「危険!あなたの感覚だけで議論を進めれば、その証明は正しくなるとは限りません」のようなフールプルーフが初級の参考書に載るのは、あながち否定できないかもしれない。点Pの話だって同じだ。

 役に立つかは知らない。数学が役に立っているところを目にしたことはないが、それは数学が無用の長物である証左にはならない。同じ理由で私はサンタクロースの存在をいまだに信じている。サンタを信じない人々もそうだが、必要なモノ、あるいはそうと思えるモノだけを追い求めるのは、どうも寂しく思える。だから変な話、私が数学の重要性を理解してしまえば、数学なんて微塵もやる気が起こらないだろう。

 ここまでの点においては、数学のルールに忠実に従えば特に困ることはないと思う。にも関わらず、これらが彼らを妙に苦しめるのは、ルールを忘れているか、覚えきれていないか、それを使いこなすだけの鍛錬が足りていないかのどれかだろう。彼らに数学を教える機会がいくらかあったが、少なくともこの考えを否定する根拠は見当たらなかった。

 現実問題として、彼らは忙しいのだから、きっと数学に捧げる時間がないのだろう。どんなものでも苦手かどうかは、捧げる時間と才能で決まる、というのは私の持論だ。というより、普通のことではなかろうか。こんな言い方をすると、天才を自称している様に思われそうで少々悪寒がするが、私は後者に極振りしたタイプである。だから、才能がある人が同じ時間だけ勉強してしまえば、もう歯が立たない。

 私は、数学同好会に所属している。学校非公認の集まりではあるが、公式な部活に負けない程度の頻度で活動していて、春休みの真っ只中である今日にすら集まりがある。そこには私よりも数学ができる人がゴロゴロいる。メンバーは私を含め4人だが、まあ、1人除いて全員が数学強者なら、ゴロゴロと形容しても差し支えないのではないだろうか。厳密に議論するなら、ゴロゴロの定義を考えるべきだろうか。それとも、この場合は歴史を紐解く必要があるのだろうか。

 話を戻す。数学同好会では、日々、学校の数学とはかけ離れた何かを熱心に議論している。私はいつもその様子を部屋の隅の方から眺めている。集合時間数分前の現在もまた、例に漏れない。この様な調子が半年弱も続けば、様々な種類の壁を感じざるを得ない。

 別に、彼らが私を避けているわけではない。むしろ、根気強く、輪に入れようと努めてくれている。そのおかげで、外から見れば仲良し4人組がワイワイやっている様に見えているはずだ。しかしながら、実情は数学に夢中になった3人と、自分の中で思考にふける私の混合物だ。いや、混合物と言えるほどに混ざれているのだろうか。

 思考にふけるのは癖みたいなモノだ。どこで何をしていようと、ふと何かを思いつくと、頭の中でモノローグが再生されている。モノローグを脳内再生している私、を認識した今の私はいったい誰なんだろう。

 というか、今はそんなことを考えている場合ではない。準備してきたメモを頭に叩き込まなくてはならない。


 「よしっ。そろそろ時間なので、我らが数学同好会、長期休み恒例イベント!『みんなで疑問を考える会』を始めようと思いまーす。」

 その掛け声を聞きつけた他のメンバーから、遠慮がちな拍手が鳴った。私はちょっとした絶望感から、拍手をする余力がなかった。

 「みんなで疑問を考える会」というのは、その名前の通りの会だ。数学同好会のイベントである以上、疑問は数学に関するものに限られてしまうが。

 「まずは期待の新人、ミライに発問者をやってもらおうか。早速頼める?」

 先ほどからずっと1人で喋っているのが数学同好会の会長だ。名前は覚えられておらず、いつも「部長」と呼んでお茶を濁している。同好会なのだから部長は不適切に思えるが、本人が会長より部長が好みである様で、それに合わせている。

 と、こんなことを考えている場合ではなかった。数秒遅れて、私はようやく返事をした。

 「は、はい!がんばります。」

 正直、何をどう頑張ればいいのか見当もつかない。さっき部長が私を「新人」と称したことからも分かる様に、私は「みんなで疑問を考える会」など今までやったことがないのだから。

 しかし、いまさら無理ですとはいえないこの状況。発表内容を全力で頭の中でこねくり回しながら、たった3人、されど3人の視線を感じながら、ゆっくりとホワイトボードの前に立った。

 深く一呼吸、ついでにもう一呼吸。ここで肩に力が入っていることに気がついた。やはり、人前は苦手だ。

 「緊張してるの?」

 「だいじょぶ、だいじょぶ!疑問を言うだけだし、失敗なんて起こらないっス。」

 私がダメ押しのもう一呼吸をしようとしたところで、残りの2人から優しい声がかかる。たしか、一方がヒナで、他方がシュンだった、はず。この2人は何となく雰囲気が似ていて、いつもごっちゃになってしまう。もし、部長の身長が頭一つ抜けていなければ、ここに部長も入っていただろう。

 「すみません、発表を始めさせていただきます。今日発表するのは、自然数についてです。」

 余計なことで頭を埋めたからか、ようやく声が出てきた。きっと声は震えている。でも、気にしたら止まりそうだったので、そのまま喋り続ける。

 「数学を、いや算数をはじめに学ぶとき、何をはじめに学ぶことになるでしょうか。」

 ここで少し待機。何かしらの返答を期待。返事がない。ただの真面目な聴衆の様だ。話を続ける。

 「自然数です。では、これがどの様に教え込まれていくのか。結論から言って仕舞えば、丸暗記です。」

 聴衆の顔が少し曇っている気がする。物心ついてから人の顔をしっかり見たことがなく、直接確認したわけではないが、そんな気がする。確信と言ってもいいかもしれない。それでも、もう少しくらいは続けてもいいだろう。私を誘ったのは他でもない彼らなのだから。

 「はじめに、0、1、2、3、…と言った具合に、まずは順番通りに暗記をさせられます。9以上の数も、10進数のアルゴリズムを叩き込み、表現する術を習得させられます。」

 ちらりと、手元にある紙を見る。大丈夫、予定通りに話せている。私は聴衆のあたりに視線を戻した。

 「それで、次に演算を叩き込まれます。まずは足し算から。私たちはこれをどの様に習得したのか。これも暗記です。はじめに0〜9の数字どうしの足し算を刷り込まれます。次に、繰り上がりのアルゴリズムを覚えさせられ、より大きい足し算をできるようにします。」

 少し、慣れてきた。話すペースがつい早くなってしまうのをどうにか抑えながら続ける。

 「こうして足し算の話は終わります。そして、いろいろなことを学びつつ、いつかはかけ算と対峙することになります。みなさん、九九の暗記に苦戦した思い出があるのではないでしょうか。」

 こう言った直後に、聞く相手を間違えた様な感じがしてきった。なんと言っても、彼らは数学同好会なのだから。まあ、言ってしまったものは仕方がない。

 「これは説明することもなく、単なる暗記でしょう。二桁以上の数がかかわるかけ算においても、一桁同士のかけ算と、筆算のアルゴリズムの組み合わせが適用されますが、この二つも結局は暗記によって習得しています。」

 視線が少し下がっていたので、さりげなく定位置に戻す。


 「さて、ここからが本題です。私の疑問は、『自然数とはどこからきたのか』ということです。」

 私はホワイトボードの左上に、疑問を書いた。書き終えてから横目で聴衆を見るとヒナとシュンの一方がニヤリとしたのに気がついた。きっと、あの公理を思い浮かべたのだろう。すぐにそこにも触れるので、乞うご期待。

 「ここまでの説明から言えるのは、自然数、並びにその演算を習得は、元を辿れば暗記になってしまうということです。では、自然数とは私たちの外側にあるのでしょうか。」

 ふと、聴衆が1人増えていることに気がつく。私の数学の授業の担任だった。非公認である数学同好会の顧問的な振る舞いをしてくれている。大人がいるとやや緊張が強くなってしまうのだが、今は気にならなかった。私は今、数学の波に流されている。

 「例えば、イチゴ。イチゴそのものとは何か、と聞かれてしまうと私には答えることができません。この問いに対する答えがあるのかも知りません。しかし、私はこの様なものを視認したら、私はこれをイチゴだと主張します。」

 私はホワイトボードに、赤のペンで、私がイチゴだと認識しているものの絵を描いた。私は絵が上手い方ではないが、そこが本質ではないことは彼らならわかってくれるだろう。そうでなければ話が進まない。

 「また、特定の味を感知したとき、私はそれをイチゴの味だと形容します。匂いについても同様です。私はある物体が特定の刺激を私に与えてくるとき、それをイチゴと認識します。では、自然数もこれと同様な概念なのでしょうか。」

 ちょっと失礼します、と言いながら私は喉を潤した。ふと見ると、聴衆はチョコを食べていた。なんだか、真面目に話していたのが少しバカらしく思えてきた。と、ここで私にもチョコが配布される。機嫌を良くした私は少し饒舌になっていくかもしれない。

 「もちろん、イチゴと違い、自然数は存在しません。ここでいう『存在する』とは、私たちが備える感覚器官に何かしらの刺激を直接、間接問わず与える能力を持つこと、とでも定義しておきます。実際、私は自然数を見たことがありませんし、触ったこともない。自然数のにおい、味、あるいは鳴き声なんて聞いたことがある人がいるのでしょうか。そこで、次はこれに注目してみます。」

 そういって、私はイチゴの横に「フルーツ」とかいた。ところで、イチゴはフルーツだっただろうか。野菜だった気がしてきた。

 「フルーツ。イチゴやバナナのように、『フルーツであるモノ』は確かに存在しています。しかし、『フルーツ』という概念にピタリと当てはまるものは存在しません。というのも、少なくともイチゴとバナナがフルーツであるので、『フルーツ』が存在するのであれば、それはイチゴであり、同時にバナナでもなくてはなりません。他のフルーツであるモノについても同様です。そんなものは存在しないでしょう。」

 ホワイトボートのフルーツの下に、「自然数」と書いた。

 「自然数とは、この様な意味でフルーツと同等、あるいはそれ以上に抽象化した概念ではないか、というのが一つの仮説です。つまり、『0』という性質、特性をもつ存在が私たちの身近にあって、『1』、『2』、『3』、…についても同様な存在が認められて、さらにこれらの共通する特性を『自然数』と呼んでいるのではないか、と。」

 発表の半分は終わった。ここでもらったチョコをひとかじり。うん、チョコが存在している。チョコは「お菓子」という特性を持つ。「お菓子」は存在しない。


 「自然数の定義として、ペアノの公理が与えられることがあります。これを先ほどに説明に当てはめるのであれば、自然数の特性一覧といった具合になるでしょう。じゃあ、これで問題は解決かと聞かれると、微妙だと思います。私が知りたいのは、ペアノの公理によって正しく自然数が定義づけられるとして、ではペアノの公理自体はどこからきたのかと言うことです。歴史的な話をするつもりはありません。これは自然数の記述としてなぜ自然であるのか、ということを問うているのです。」

 ここで、先ほどニヤリとしていた方をチラリと見る。なんだか難しそうな顔になっていた。

 「もう一つの仮説は、自然数は最初から私たちに生得的に備わっているものである、というものです。つまり自然数は私たちの中にあると考えられると言いたいのです。私たち人間、もといホモ・サピエンスという種は、現在、地上にかなりたくさんいます。たしか、80億人くらいでしょうか。もっといたかもわかりません。」

 なんの話をしているのか、自分でもよくわからなくなってくる。ついつい、メモから顔を離さずに話してしまう。

 「えっと、人口は18世紀から今に至るまで、それ以前と比べて急激に増加しています。人口爆発というやつです。その原因として考えられているのは、産業革命、ハーバー・ボッシュ法による農業の効率強化、医療の発達、等々。これらの根本には科学があります。そして、科学の中に数学も含まれていて、それが科学全体に大きな影響を与えていることは、認めてもらえるのではないでしょうか。」

 さりげなく、根拠はないんですが、と後出しをする。せめて、あともう1日準備ができれば、このあたりの議論を詰められたんだけど。発表が終わった後が今から怖い。

 「つまり、数学が扱えるということは、生物として、ダーヴィニズム的な意味において有利であると考えられます。であるから、大昔から石器時代に移るまでの間、ホモ・サピエンスへと進む遺伝子プールの中で、数学を扱える脳みそを作る遺伝子に有利に働く淘汰圧があってもおかしくありません。実際、初等的な数学であっても、未来をシミュレーションできるレベルの知性があれば、将来も見据えた行動もできます。」

 ついつい、メモにもないことまで口から出まかせにしゃべってしまった。急いで軌道修正をしなくては。

 「要するに、数学は私たちの遺伝子がすでに知っているものであるかもしれないということです。これは、先ほどの『数学は私たちの外にある』という仮説とは異なるものです。それは、地球からずっと遠くの星に住んでいる、私たちとは独立して、一定以上の文化を築き上げた知的生命体を想像すればわかると思います。」

 ここまでの話のまとめと、これからの話のためにホワイトボードに急いで書き込みをした。帰りにコンビニで絵心が売っていないか探してみるのがいいかもしれない。

 「もし、数学が私たちの外にあるのであれば、彼らも数学を発見しているはずです。数学でないものを基礎理論として文明や科学技術等を発達させていたとしても、少なくとも私たちと同等以上の知性を持ち合わせていれば、彼らは私たちの数学を理解することができるはずです。」

 残りのチョコを口に放り込んだ。後もう少しで発表が終わる。正直、終わった後が一番怖いのだけど、せめて発表だけでも無事に終わらせてしまいたい。

 「他方、数学が私たちの内にあるのであれば、彼らが数学を理解できる保証は、知性の程度に関わらずありません。私たちが『コウモリであること』を本質的に知り得ない様に、数学が私たちの脳、あるいは意識の機能であるならば、彼らは『私たちがどの様に数学をしているのか』を理解する術はありません。」

 メモをまた見た。どうやら話すべきことはおおよそ話せた様だ。残りの部分は質問対策だったはず。

 「以上が私の発表内容です。まとめると、私の疑問は『そもそも自然数とはなんなのか』、あるいは『何が自然数なのか』、『私たちはなぜ自然数を知っている、または理解できるのか』です。そして、それに対する私の仮説を2つ挙げました。一つは、外界にあるモノから見出されたと言う説。もう一つは、私たちの脳内プログラムであると言う説です。これで発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。」

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