たぶん、はじめまして 1
カーテンの隙間から心地よい春風が囁いてくる朝。
重たい体を動かして布団から手を引っこ抜きヘッドボードの時計で時間を確認する。珍しくやかましい目覚まし時計に起こされるより早く目が覚めたみたい。
どこかの誰かが春の眠りが一番気持ちがいいと言っていたが、全くもってその通りだと思う。
もうひと眠りしたくなる気持ちをぐっと抑えて寝転がったまま伸びをする。布団をベッドの端っこに寄せて、そのまま両足で勢いをつけてベッドの外に体を放り出す。パジャマを脱ぎ捨て、大雑把に畳んでからいつもの制服に着替えた。
通学かばんを開き、今日必要なものを一気に詰め込む。かばんいっぱいになった教科書類を見ると寝起きから随分と気分が重くなってしまうのは私だけだろうか、と思いながらファスナーをしめる。
かばんを連れて気持ち早足で階段を降りて1階に行くと、人の気配はなく母がすでに仕事に行っていることに気付く。いつものことだけど、この家の中に今いるのは自分一人だけなのだと感じるとほんの少しだけ心細くなってしまう。
洗面所でうがいをしたあと、リビングへ向かう。
食卓には既に朝食が用意されている。母がいつも仕事に行く前に作っておいてくれるのだ。
「いただきます。」と気持ちを込めて両の手を合わせる。お味噌汁のお椀がほんのりと温かく、少しうれしくなった。寝起きの体にこれ以上に染みるものはない。
口をもぐもぐとさせながらテレビのリモコンに手をのばした。今日は時間に余裕があるのでニュースでも見ながらゆっくりと食べてやろうという試みだ。こうしてのんびりと味わってみるといつも大急ぎでかきこんで食べているのがもったいなく感じてしまう。
『今日の星座占い一位は山羊座のあなた!』
毎日恒例 (らしい)星座占いの時間だった。いまいち、こういった占いは信じきることができないが、自分が1位の時は少し信じたくなってしまう。かくいう私は今日1位の山羊座なのだ。
(今日は何が良いことがあるといいな。)
再び手を合わせ、「ごちそうさまでした」。これにて、かつてない平穏な朝食タイムは終了。食後には皿洗いまでが一連の流れとなっており、食器を台所まで運んでいると決まって目に入るものがある。私が小学校5年生のときに母にプレゼントしたエプロンだ。家庭科の授業で一生懸命に作った代物で、渡した時の目を潤ませて嬉しそうにする母の顔は忘れられない。
食器をピッカピカに洗いあげた後は冷蔵庫から今日のお弁当を取り出す。
本当に今日がラッキーデーなら、中にはきっとデザートのフルーツが入っているはず。答え合わせの楽しみは昼休みの時間にとっておくことにして傾けないように、かばんの中にそっとしまった。
「行ってきまーす」
廊下に声が響いた。
外は快晴、やはりラッキーデーにふさわしい一日になりそうな気がする。
家の門柱には今日も黒猫が居座っている。その黒猫は星が半分欠けたような形のチャームのついた首輪をしている。いったいどこのお家の飼い猫なのか知ったこっちゃないけど、この猫は本当に不思議。登校中、私の後をついてくるのだ。
ときどき足を止めて後ろを振り向くと、猫も足を止める。本当にこの猫は何者なんだろうか。
猫とだるまさんが転んだをしていると、そこに割って入る足音が聞こえてきた。その足音がだんだんと近付いてくる。
3、2、1、
「桜~!おっはよ~!」
私に背後から抱き着いてきたのは幼馴染の中田陽鞠。背が低く、かわいらしい子で小学校から高校、ここまでかなり長い付き合いだ。似たところが多く、いつの間にか仲良くなっていた。
「桜、今日はずいぶんと早い登校やね?私と時間合うなんて久しぶりやん。」
「今日、私はラッキーガールだからさ。」
私の意味不明な返答に「えぇ~、何それ~」と陽鞠は笑った。
通学路にある唯一の押しボタン式信号で立ち止まる。ふと振り返ると、既に黒猫の姿はなくなっていた。いつもこうなんだ。この信号の辺りで例の猫は植木に潜っていってしまう。学校まで付いてこられると困るのでそこは一安心だ。
「桜、どうかした?」
私はなんでもない、と首を横に振る。
「陽鞠は弟と一緒じゃないの?」
「あいつは新しい自転車買ってもらったからって、一人で先に行っっちゃった。」
陽鞠には双子の弟がいるのだ。彼も同じ高校に通っていて、部活もなぜか私たちと同じ美術部に所属している。
そんな調子で駄弁っているといつの間にか学校の門が見える距離まで来ていた。
「ねぇ、桜のとこにもやっぱりアレまだ来てる?」
私は苦笑いをして見せた。
「やっぱりかぁ」と、陽鞠も苦笑いで返す。
「アレ」が一体なんのことを言っているのかは直に分かると思う。
校門を通り、下駄箱で上履きに履き替えて教室へ向かう。陽鞠はクラスが違うため、ここで一旦お別れになる。
教室のドアを開けて目が合ったクラスメイトに「おはよー」と声をかける。
「今日は随分と早い登校やな。雪でも降るんか?」
自分の席にかばんを置くと隣の席から野次が飛んできた。机によりかかって窓の外を覗くように煽り顔をしている彼こそが陽鞠の双子の弟、中田蒼太である。
「うるさいなぁ。今日はラッキー桜なんだから丁重に扱うのだ!」
蒼太は返事にとまどったのか訝し気な表情をした後、男友達のところに行ってしまった。仕方ない、今のは少しだけ自分でも意味が分からなかった。
しばらくボーっとしていると、一時間目開始の予鈴が鳴った。
この時間は日本史の授業で、朝っぱらから入眠ラジオを聞いてる気分になる。
頬杖をついてふと、お隣さんを見てみる。案の定、既に夢の中のご様子であった。
この授業の先生は席順に生徒を当てていく、その指名が蒼太の目の前まで来ている。
何のセンサーが働いているのかは知らないが、飛び起きて焦った様子で教科書をめくり始めた。
私は手近にあったメモ紙に適当なことを書いて蒼太の席に投げる。
蒼太はメモを見て、こちらに親指でグッドサインを作ってみせる。私もそれに返す。
案の定、当てられた蒼太は自信満々に答える。正解だったようで先生も「うむ」と頷く。
その後は二時間目・三時間目・四時間目といつも通り特に面白みもなく流れていった。
そして、今日もこの時間がやってきた。そう、この上なく平和なはずの昼休みだ。
食前の手洗いを終えて教室に戻ろうと廊下に出た瞬間、視線の端に嫌なものが映った。見えていないふりをして、そそくさと教室へ戻る。
その微妙な努力も甲斐なく、私が教室にたどり着いた数十秒後に災いも追いついてきた。
自分の席でちょうど弁当を広げようとしていたとき、教室のドアが開く。
「桜~!席空いてる?」
陽鞠の登場だ、当然彼女が「嫌なもの」ではない。問題は彼女が意図せず引き連れてきた集団だ。
その集団のリーダーは私と陽鞠が合流したことを見届けると教室に侵入し私たちに近付いてきた。
「陸上部部長の大垣智也だ!園田桜、中田陽鞠!今日こそはこの入部届にサインをしてもらうぞ!」
私の言う嫌なもの、そして朝の下駄箱で話題になった「アレ」とは熱血陸上部長の熱血勧誘である。何を隠そう私たちは中3最後の中総体で女子4×100mリレーで優勝している。全国の陸上強豪校から推薦の案内があったがそもそも陸上を続けるつもりがなかったので全てを無視してこの高校に来た。ちなみに、蒼太も男子400mの実力者だったりする。
私と陽鞠が全力でめんどくさいという感情を表情に出しているが、部長とやらはまったく気にしていない様子だった。
「君たちが入部してくれれば、弊学陸上部全国優勝も夢じゃない!」
「しつこいな~、桜も私も入らないって言ってるでしょ!」
見かねて陽鞠が少し声を荒げた。相手はまだまだ引き下がるつもりはないようだ。
私の横の席で机に突っ伏して夢の中だった蒼太がもぞもぞ立ち上がって言う。
「その二人絶対入らないんだから、いい加減に諦めろよな。」
「気持ちが変わるかもしれんだろう?君は誰だ!?」
「蒼太っす、陽鞠の弟っす。」
いわゆるコミュ力の塊である蒼太は先輩に物怖じしない態度で会話をする。そして蒼太は一つ大きなミスをした。
「中田蒼太!!君も有名な選手ではないか!まさか姉弟そろって入学していたとは、これは入部届をもう一枚持ってくる必要があるようだな!」
陸上部軍団はそのまま「また来るよ」と言い残して去っていった。
いわゆる火に油を注いでしまった蒼太を陽鞠が小突く。蒼太はムスッとした顔をして再び机に突っ伏した。
結局その日のお弁当にフルーツは入っていなかった。
放課後は美術部の部室でくだらない話をしながら、陽鞠と落書きをする。高校で陸上を続けるつもりのなかった私たちはもともと絵を描くことが好きだったので美術部に入部したのだ。
時間はあっという間に過ぎる。最終下校時刻を知らせる放送を聞き、私たちは帰路についた。




