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日常

 男は都心の地下にあるバーで飲んでいた。

 背は高く、頭は綺麗に剃っていた。

「吾朗さん」

 バーテンダーが男のことをそう呼ぶと、カウンターの端で飲んでいた女性が男の方へ近づいてくる。

 髪が長く、胸元の開いた赤いドレスを着ている。胸元は開いているが、決して下品なものではなく、着こなしも合わせて女性をより美しく見せていた。

 女性が隣に座ろうとして、男を見つめる。

 男は言った。

「何か?」

「それはこっちのセリフよ。ずっと視線を感じていたわ」

「そうだったかな」

 女性が吾朗の隣に座ると、互いのグラスを軽く合わせた。

「今日のこの出逢いに」

 吾朗と女性はしばらくの間、そこで飲んでいた。

 女性が次の酒を頼もうとする吾朗の袖に触れると、吾朗は察した。

 二人は店を出て、そのまま吾朗の部屋に向かっていた。

 部屋の明かりをつけて、吾朗はキッチンへいく。

「飲み直す?」

「もう、飲みはいいわ。それより、シャワー借りれるかしら」

「知らない男の部屋に来て、いきなり言う言葉がそれか」

 二人は夜を共に過ごした。

 朝になると、女はいなかった。

 吾朗はベッドを抜けるとシャワーを浴び、着替えて仕事場に行った。

 仕事場の部屋に入る前、女性の秘書に呼び止められる。

「木下社長、今日のスケジュールですが……」

「悪い、後で」

 読み上げようとする秘書を制して、部屋に入ってしまう。

 部屋にある机を回り込み、椅子に倒れ込むように突っ込む。

 椅子は大柄な吾朗を受け止め、包み込む。

 吾朗はそのまま全面ガラスになっている窓に向かい、眼下に広がる街を眺める。

 この高さまであるビルは少ない。

 ……が、まだ高いビルはある。

 奴らには見下ろされているのか、吾朗はそう思うと悔しい気持ちが湧いてきた。

 だが、ただ過去ビルが高いと言うだけで本社業務を二度も移転してしまっている。

 事実ではあるが、今度はもっとマシな理由をつけないと株主の合意が得られないだろう。

「また別のビルへ移転させようと?」

 吾朗の横に先ほどの女性秘書が立っていた。

「おい、また勝手に入って」

 女性秘書はタイトなスーツに、度なしのメガネをしている。

 メガネは吾朗がつけさせているものだ。

 突然、まとめ髪を解くと、吾朗の上に体を滑らせてくる。

「昨日はどうして部屋に来てくれなかったの」

「おい、社長室だぞ」

「初めての時も社長室でしたよ」

 秘書が口付けしてくるままにして、すり寄せてくる体を弄る。

「あっ……」

 吾朗は、ふと思う。

 俺は何をしているのだろう。

 俺は会社の社長だ。

 いつも決断を迫られている。

 決断が正しいことの報酬を、きっちりもらっている。

 だからこういう女も抱ける。

 ただそれだけだ。

 いつからこんなことをしているのだろう。

 あまりに過去のことが記憶から抜け落ちている。

「どうしたの、やめちゃうの?」

「するする」

 昨日してやれなかった代わりだ。

 愛人兼秘書を、社長室で抱く。

 事が済むと、秘書はすぐに身だしなみを整え、部屋を出て行った。

 木下吾朗は午前中慌ただしく仕事をこなすと、午後の社内会議をキャンセルして、一人で車を走らせていた。

 高速を飛ばして、山間にある湖の(ほと)りについた。

 車を止めてしばらく歩くと、腹が空いてきた。

 吾朗は小さな食事処を見つけて中に入った。

「いらっしゃいませ」

 店の中にいた女性がそう言った。

 頭に白い布をつけ、同じように白い割烹着を着ていた。

 だが、中年という訳ではなく肌艶は若い感じがする。

 吾朗は何かを感じ取り、その女性を見つめた。

 見つめれば、なんらかの反応があるはずだった。

 しかし、女性に変化はなかった。

「こちらのお席などいかがですか? ちょうど湖畔が見渡せますよ」

 吾朗は首を傾げながら、勧められた席に座った。

「この店で一番高いものはなんだ?」

「えっ、そうですね…… このお店では一品一品は、それほど高い品はないのですが、あえていうなら、こちらの『川魚の定食』でしょうか。近くの川で獲れたものを料理するので、新鮮で美味しいですよ」

 答えも、反応も、吾朗が予想したことと違った。

 女性から漂うように感じられる雰囲気が、吾朗の心を掻き立てている。

「じゃあ、それをいただこう」

 吾朗にとってすでに食事はどうでも良く、女性に対する興味だけが高まっていった。

 女性が出来上がった定食を吾朗のテーブルに運んできて置いた時、吾朗は立ち上がって女性の手を握った。

「!」

 強い拒否の感情が、吾朗に伝わった。

 だが、その直後だった。

「あ、あの……」

 吾朗は自分の手を払おうとする、彼女の手をさらに掴んだ。

「恥ずかしいので、やめてもらえませんか」

 何か流れが変わった。吾朗の欲情を掻き立てる何かが失われていた。

「やめて欲しければ、振り解いてみたらどうかな」

「あっ…… あの……」

 女性は、手を振り解く訳でもなく、吾朗に擦り寄ってきた。

 そして耳に顔を近づけてくると、連絡先を告げた。

「お昼時が終わったらお仕事も終わりますので」

 吾朗は彼女の手を離した。

 何かが無くなっていたが、もしかしたら肌を合わせれば感じ取る事ができるかもしれない。

 吾朗は出された定食をゆっくりと食べると、彼女と一緒に店を出た。

 車に乗せ、湖畔の道を走らせると、物陰に車を止めた。

「えっ、まさか、ここで?」

 吾朗は手慣れた手つきで助手席を倒すと、彼女の体を弄った。

 女性もその気だったようで、事はスムーズに進んだ。

 だが、至ることは至ったのだが、吾朗が思っていた快楽(もの)は得られなかった。

「……」

 どこかで、別人になったとしか思えない。

 変化したとすれば、やはり店で手を触れた瞬間だろうか。

 体を求めてくる女性を冷めた目で見ながら、吾朗はそんなことを考えていた。




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