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異世界恋愛短編

フェリシカは試したい

作者: 糸木あお

途中まで性別的には同性愛(性自認は男)なので苦手な方はお気をつけください。

 子爵令嬢のフェリシカは魔道士に憧れる魔道学校一年生。麦畑みたいな黄金色の髪に夏の青空みたいな瞳を持つ可愛らしい娘で、フェリシカの故郷では同世代の男たちは皆彼女に恋をしていた。フェリシカは向上心が高く、昔自分を助けてくれた魔道士のようになりたいと毎日机に齧り付いて勉強をしていた。そして、努力の甲斐あって王都で一番の魔道学校に次席で入学した。


 学校での授業はフェリシカにとって刺激的で毎日とても楽しかったが、ひとつだけ悩みがあった。次席で入学した彼女は勿論特待クラスに振り分けられたのだが、まわりに比べて魔力の伸びが悪かったのだ。つまり、実技に少しだけ弱かった。


 その日もフェリシカは図書館で魔力を増やすべく資料を探していると同期で主席のハミルトンが話しかけてきた。


「おい、グリーンウッド。お前に良い話がある」

「あら、ハミルトンくん。良い話ってなんですか?」

「とある筋から魔力を高める新説を聞いてきたんだ。特別にその方法を教えてやる。最近魔力の伸びが悪いだろう?」


 フェリシカの魔力の伸びが悪いことを何故彼が知っているのだろうと不思議に思ったが、クラスのまとめ役で優秀なハミルトンだからその辺りのことも把握しているのかなとフェリシカは納得した。


「ええ。そうなの。最近伸び悩んでいて困っているのよ」

「良く聞け。新説というのは魔力の強い人間との身体接触を重ねると魔力が高まるらしい。皮膚と皮膚を重ねることで魔力の巡りを良くしていくらしい。だから、学年で一番の魔力を持つ俺が協力してやっても良い、ってグリーンウッドどこに行ったんだ!!」


 ハミルトンが話している途中でフェリシカは忽然とどこかに消えてしまった。彼がまわりを見渡しても黄金色の髪の持ち主は見えず、彼はがっくりと肩を落として寮へと帰って行った。


 フェリシカはハミルトンから魔力の強い人間と聞いて、真っ先にジョセフィンのことが頭に浮かんだ。ジョセフィンは黒魔術研究会の会長で学内で一番魔力が高い。それに加えて綺麗で優しくて良い匂いがするからフェリシカはジョセフィンのことが大好きなのだ。だから、ジョセフィンに身体接触を頼めば魔力も強くなるし彼女ともっと仲良くなれるかもしれないとよこしまなことを考える。そして、それはすごく良い案だとフェリシカは思ったのだった。


 フェリシカが黒魔術研究会の部室の扉を開けると、いつものように真剣に呪具と向き合うジョセフィンがいた。魔力の高さを示す黒い髪に神秘的な柘榴のような赤い瞳は今日も生き生きと輝いていた。ジョセフィンが集中している姿をもっと見ていたくて声をかけるのを躊躇ためらっていたが、彼女の方からフェリシカに気付いたようだった。


「こんにちは、フェリシカ。走ってきたの? 顔が少し赤いわよ」

「えへへ、少し考え事をしていて。ジョセフィン先輩に頼みたいことがあるんです」

「なあに? 一年の時に使っていたノートはもうあげたし、実技の練習のお手伝いかしら?」

「違います! 実は最近魔力が増えなくて悩んでいまして、それを克服する方法を聞いたのでジョセフィン先輩にお手伝いして欲しいんです」

「うふふ。高いわよ」


 ジョセフィンは魅力的ににっこりと微笑む。その表情がとても色っぽくてフェリシカはドキドキしてしまう。あまりにも美しいと同性でもドキドキしてしまうということをフェリシカはジョセフィンに出会って初めて知った。


「わたしに出来る事なら何でもします! どうですか?」

「内容を聞いてからね」

「これは学年主席のハミルトンくんから聞いたのですが、魔力の強い人間と身体接触を重ねると魔力の巡りが良くなって増えるっていう新説があるらしいんです! だからジョセフィン先輩、わたしと触れ合ってくれませんか?」


 ジョセフィンは少しだけ驚いた顔をしてから人差し指を唇に当てて思案する。そして、数秒後に良いよと答えた。


「ありがとうございます! それじゃあ早速触っても良いですか?」

「あ、私が触られる方なのね? 良いわよ。好きなところを触って」

「じゃあ、まず手を握りますね」


 ジョセフィンの手は女性のわりに大きくて少しひんやりしていてフェリシカは少しドキドキしてしまう。それでなくてもジョセフィンは昔フェリシカのことを助けてくれた魔道士に似ていてついついときめいてしまうのだ。こんなに素敵な先輩が出来て本当に良かったとフェリシカは常々思っている。


「どう? 魔力の流れを感じる?」

「うーん、ちょっとわからないですね。でも、なんだかドキドキします」

「あら、どうして?」

「ジョセフィン先輩が、素敵だから緊張しちゃって。あれ、わたし手汗かいてるかもしれないです」

「うふふ、しっとりしてきたかも」


 ジョセフィンが悪戯っぽく微笑むとやっぱりクラクラと眩暈がしてきて、魔力が巡っているからなのかなとフェリシカは考えた。これは効果が出ているのかもと思ってさらにジョセフィンに提案をする。


「ジョセフィン先輩。なんだか効果がある気がするので、もっと身体接触しても良いですか?」

「別に構わないけど大丈夫なの?」

「ジョセフィン先輩は女の人だから大丈夫です!」

「そうね。ならどうぞ?」


 失礼します、と言ってからフェリシカはジョセフィンに抱きついた。ラベンダーの香りは石鹸なのか香水なのかわからないけれど、とても気分を落ち着かせてくれる。ジョセフィンの身体は思っていたよりも硬く、意外と筋肉質だった。フェリシカの柔らかい身体とは違っていてやっぱり二学年差があると身体つきも変わるのだなと納得したのだった。


「どう? 効果はありそう?」

「なんかすごく、良い匂いがします」

「あら、石鹸の匂いかもね。これね、肌がすべすべになるのよ」

「どこの使ってるんですか? あ、でもジョセフィン先輩が使うような高級品はわたしには買えないかもしれないですけど」


「自分で作っているのよ、良かったら分けてあげるわ」

「良いんですか? でも、何かお返しを」

「良いのよ。私があげたくてプレゼントするんだからお返しなんかいらないわ」

「ありがとうございます! すごく嬉しいです」

「私もフェリシカが嬉しそうだとなんだか嬉しくなっちゃう」

「わたしもジョセフィン先輩が嬉しそうだと嬉しいから、わたしたち似た者同士ですね!」


 抱き合いながら喋るとなんだかくすぐったくてフェリシカはふふふと笑った。


「そういえば、フェリシカ。新説のことを教えてくれた子とは親しいの?」

「ハミルトンくんですか? 別に親しくはないです。でも主席と次席なのでペアになることは多いかもしれません。あ、そういえばジョセフィン先輩も新説のことを知っていたんですか?」


「ええ、勿論。そして新説には続きがあって仲の良い者同士だともっと効果が増すのよ。だから、フェリシカ、私のことはフィンって呼んで? その方が仲良しっぽいでしょう?」

「はい。フィン先輩。なんかちょっと照れちゃいます。わたしのこともフェリって呼んでくださいね。家族以外でそう呼ぶ人はいないから特別ですよ」


 フェリシカがおどけてそう言うとジョセフィンは嬉しそうに笑った。


 名残惜しいと思いつつもジョセフィンから離れるとフェリシカは先程ジョセフィンが観察していた呪具を見た。


「フィン先輩、これは新しい呪具ですか?」

「ええそうよ。危ないから素手で触らないでね。解呪できるかちょっと調べ中なのよ」


 黒魔術研究会では呪いについて研究している。新しい解呪方法を見つけてたくさんの人を助けたいとフェリシカは思っている。呪われるのはつらい。だから、そんな思いをする人を少しでも減らしたい。小さい頃のフェリシカは父に懸想する女性によって呪われ、目が見えない時期があった。それは五日ほどのことだったがフェリシカにとってとても苦しい日々だった。このまま一生目が見えないのだと思い絶望した。大好きな両親の顔が見れないことも悲しくて毎日泣いていた。真っ暗な世界はとても寂しくて怖かった。


 そんなフェリシカを救ってくれたのは旅の魔道士で、信じられないくらい美しい人だった。黒い髪に赤い瞳、赤く濡れた唇。フェリシカの目に光が戻った時、彼女の美しい顔が間近にあった。フェリシカと目が合うと悪戯っぽく笑ってからウインクをした。両親は彼女に感謝してたくさんの謝礼を渡そうとしていたがほんの少しの金貨とハーブ類と蛇の抜け殻と麦わら帽子だけ貰って彼女は去っていった。名前すら名乗らなかった。でも、フェリシカは世界にまた光を取り戻してくれた恩人のことを一生忘れないと誓ったのだ。


 フェリシカはジョセフィンに初めて会った時、命の恩人にあまりに似ているので血縁かと思った。けれど、バーンズ侯爵家で髪の色が黒いのはジョセフィンだけで他はみんな金色に赤い瞳らしい。そういうこともあるんだなと思ったが、後々聞いた話ではジョセフィンだけ母親が違うらしい。首都から離れた領地にいたフェリシカは貴族社会のことには疎かった。


「母はね、何というかとても強い人だったわ。父のこともちゃんと好きだったみたいなんだけど、父に妻子がいたなんて知らなかったのよ。だから、父に黙って一人で私を産んで育てたの。まあ、二年前に亡くなったから結局私はまた父の庇護を受けることになったんだけど」

「……そうだったんですね」

「父は悪い人ではないのよ。義母も私に嫌がらせをしたりはしないし、妹も素直だよ。義姉あねは、まあちょっと変わってるけど悪い人ではないの」


 その後もジョセフィンについて色々と教えてもらってからフェリシカは寮へ戻った。今まで黒魔術研究会ではあまり個人的な話をしていなかったからフェリシカは新鮮だと感じた。ジョセフィンに触れた時のドキドキを思い出すとフェリシカの胸が熱くなった。


 次の日もフェリシカはジョセフィンと新説を試すべく部室へ向かった。ジョセフィンは分厚い本を読みながら手元の紙に何かを書きつけていた。


「フィン先輩、こんにちは。あの、今日も新説の検証に付き合ってくれますか?」

「良いわよ。あ、手が汚れてるから少し待ってて」

 

 そう言うとジョセフィンはレースの付いた大人っぽいハンカチで手を拭いた。フェリシカはもっと木綿やシルクでも真っ白なハンカチしか持っていなかったので、やっぱりジョセフィンは素敵だなと思った。


 ジョセフィンの隣に座ってもたれ掛かるとラベンダーの香りがした。手を繋ぐとやっぱりドキドキしてフェリシカは赤面してしまうのだった。


「フェリ、顔が真っ赤よ?」

「なんだか、暑くって」

「ふうん。そういえばフェリは婚約者っている? もしくは地元に置いてきた恋人とか」

「いえいえ、わたしにはまだ早いです」

「早くはないでしょう? 婚約者がいる子なんてたくさんいるわ」

「えっと、両親が恋愛結婚なのでわたしが好きになった人と一緒になって欲しいみたいなんです。それに、実は男の人ってちょっと苦手で……」

「……ああ、フェリは可愛いからね」


 フェリシカが言葉にしなくてもジョセフィンには伝わったようだ。優秀で可愛らしくて身分があまり高くないフェリシカに対して突っかかってくる男子生徒は一定数いる。地元の領地では一番のお嬢様だったのでそんな扱いを受けたことがなく最初は驚いたものだった。主席のハミルトンは伯爵家の嫡男だがフェリシカに対して侮るような態度を取ることはなかった。ただ少し偉そうではある。


 ジョセフィン程の身分であればそんな事はあまりないかもしれないが、これだけ美しかったら妬まれることもあるだろう。現に二ヶ月しか年齢差のない義理の姉からきつい事を言われているようだった。ジョセフィンは庇っていたけれど、噂では優秀なジョセフィンを後継にしようと侯爵も考えているとかいないとか。


「わたしだけが話すのは不公平なのでフィン先輩は好きな人や気になる人はいますか?」

「いるわよ」

「え! なのに検証に付き合ってもらっても大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫よ。だってフェリも言ってたじゃない。私たち、女同士なんだから」


 その言葉でフェリシカはホッとしたけれど何だか少しだけもやもやした。ジョセフィンと触れ合うとふわふわと嬉しくて、ジョセフィンから貰った石鹸の匂いが自分からするのも何だかくすぐったくて幸せだとフェリシカは思った。


 新説のおかげか、二人きりでジョセフィンから魔法の手解きをうけているからか少しずつフェリシカの魔力も増えてきた。新説について教えてくれたハミルトンに効果が出てきたと言うと彼は苦いものを食べた時のような顔をした。


「役に立てたなら良かったよ。ところでグリーンウッドは誰に相手を頼んだんだ?」

「ジョセフィン先輩よ。黒魔術研究会の先輩で三年の主席の」

「ああ、バーンズ先輩か。成程。……あの人なら問題はないか」

「ハミルトンくん、何か言った?」

「あ、いや。何でもない。バーンズ先輩が卒業したら僕が手伝っても良いぞ。学年主席の僕が」

「ありがとう。ハミルトンくんは本当に面倒見が良いね。わたしもハミルトンくんを追い抜かせるように努力するね!」

「僕はお前のそういうところが……」

「あ、もう行かなきゃ。今日はジョセフィン先輩にランチをご馳走するの」


 ハミルトンが言おうとした好きなんだという続きの言葉は結局フェリシカには届かなかった。ハミルトンはため息をついてフェリシカの後ろ姿を見つめる。そしてこう呟いた。


「新説なんて、嘘だったのに。騙されて馬鹿なグリーンウッド」


 今日も今日とてジョセフィンと身体接触をこころみる。手を握ったり抱き合うのは慣れてきて、フェリシカはドキドキよりもむしろ安心感を覚えるようになった。


「先輩。わたし最近調子が良くて、魔力も上がって来てるんです! 新説と先輩のおかげです。だから、新説についてわたしも研究しようかなって思っていて」

 

 フェリシカがそう言うとジョセフィンはゴホゴホと咳き込んだ。


「えっと、それはちょっと待ったほうが良いんじゃないかしら? サンプルを取るのも大変だろうし、何よりまだ出たばかりの説でしょう?」

「だからこそ、研究の価値があるのではないでしょうか?」


 フェリシカの澄んだ瞳を見て、ジョセフィンは少しだけ狼狽うろたえる。でも、何とか切り替えてフェリシカを説得し、新説の研究はもう少し先になってからやると無理矢理約束させた。


 そんな日々が続いて、季節は冬になった。フェリシカが部室を訪れると珍しくジョセフィンが長椅子に横になって眠っていた。


「疲れているのかな?」


 フェリシカは棚から膝掛けを取り出してジョセフィンにそっとかける。すうすうと一定の呼吸音がしてジョセフィンが深く眠っていることがわかった。いつもより少し幼く見える顔をフェリシカはじっと見つめる。長いまつ毛、すべすべの肌、口紅は付けていないはずなのに桜色のくちびる。


「フィン先輩は本当に美人ね。それに頭も良くて性格も良くてすごい人だわ」


 ジョセフィンのまっすぐな黒髪を指に絡めてみるとさらさらとしていて手入れが行き届いていることがわかった。尚も起きないジョセフィンに悪戯心が湧いてフェリシカはジョセフィンの頬をつんつんとつついた。

それから、桜色のくちびるに触れる。ふにゃりと柔らかくて、フェリシカはすぐに手を引っ込めたが、急に手を引かれてジョセフィンと上下が入れ替わってしまう。つまり、ジョセフィンがフェリシカを押し倒す体勢だ。


「フェリ、悪戯いたずらはいけないよ?」

「フィン先輩……!! ごめんなさい、わたし」

「しっ、黙って」


 ジョセフィンの長い指がフェリシカのくちびるにあたる。そしてそのままふにふにと弄ってくる。


「フェリ、そんなに気になるならここで身体接触、試してみる?」

「あ、あの、ここって?」

「フェリが興味津々のくちびるだよ」


 そう言ってジョセフィンはフェリシカの頬に口づけた。頬かと安心して力を抜いたフェリシカのくちびるにジョセフィンのくちびるが重なる。柔らかい感触に戸惑いながらもフェリシカは抵抗しなかった。むしろ、もっと続けて欲しいと思うような心地よさで離れ難かった。ジョセフィンの手がフェリシカの耳に触れてさらに口付けを深めようとした時、急にジョセフィンは妙な声をあげてフェリシカから身体を離して部屋から走って出て行ってしまった。ひとり残されたフェリシカの頭の中は疑問でいっぱいだった。


 そして、その日の夜にジョセフィンから手紙が届いていた。綺麗な文字で昼間に逃げてしまったこと、しばらく会えなくなるけれど待っていて欲しいということが書かれていた。キスをしたことについての謝罪はなかった。


 便箋からラベンダーの香りがしてフェリシカの胸がぎゅっと痛んだ。キスをした時にわかったのだ。フェリシカのジョセフィンに対する気持ちは親愛なんかではなく恋情だということに。どんな好きでも流石に同性同士では結婚できない。貴族の責務として跡継ぎを作らなくてはいけないという事をフェリシカだってちゃんとわかっている。この恋は始まった時点で実らないことが決定しているのだ。だから、フェリシカは布団に包まって静かに泣いた。どこかで聞いたことのある初恋は実らないという話は本当なのだろう。


 手紙に書かれていた通り、次の日からジョセフィンは部室に来なくなった。最初は顔を合わせるのが気まずいと思っていたフェリシカも一週間経つと寂しくてたまらなくなった。一人で呪いの研究をしても前より楽しいと思えなかった。いつの間にかジョセフィンがいることが当たり前になっていた。フェリシカは叶わない恋の相手のことを考えてため息をつく。


 新説のことだって宙ぶらりんのままで、勉強もちゃんと出来ていない。優等生のフェリシカにしては珍しいことでハミルトンが心配して何度も声をかけてくれた。落ち込んでいたフェリシカはハミルトンの優しさに感謝した。そして、このまま落ち込んでいても良いことがないと持ち直してまた勉学に励んだ。立派な魔道士になるためにはきちんと優秀成績を修めなくてはいけない。


 そうして一ヶ月が過ぎればフェリシカは、努力の末ジョセフィンのことをあまり考えないようになっていた。忙しくしていれば余計なことを考えないと気付いてフェリシカは勉強と研究にのめり込んだ。毎日予定を詰め込んで気絶するように眠ることでジョセフィンのことを考えないようにしていた。目の下にくっきりと濃いクマを作ったフェリシカを見てハミルトンは何度も声をかけてくれた。フェリシカが大丈夫だと言うと彼はとても苦しそうな顔をした。


 ある日、疲れ切ったフェリシカぎいつかのジョセフィンのように長椅子でうとうとしていると人の気配がした。期待してはいけないと思ったが縋るような声が出てしまう。


「フィン、先輩……?」

「すまない。バーンズ先輩じゃなくて」

「ハミルトンくん? どうしてここに?」

「グリーンウッドのことが心配で来たんだ。僕では頼りないと思うかもしれないが、君のことを支えたいんだ」


 ハミルトンは震える手でフェリシカの両手を包む。少し乾いた大きな手はとても優しい。その辿々しい手つきはフェリシカのことを大切にしているように思える。


「どうして?」

「ぼ、僕は君のことが好きなんだ。だから」

「……駄目だよ」


 その時、フェリシカの耳に聞きなれない声がした。開いた扉の先に背の高い黒髪の美しい男性がいた。ジョセフィンに良く似ていて親戚なのかとフェリシカは思った。


 その男性はスタスタと部屋に入るとハミルトンの手をフェリシカから引き離した。そして、フェリシカを強く抱きしめた。細身だが男性らしく硬い身体からはラベンダーの匂いがする。ジョセフィンの作ってくれた石鹸と同じ匂い。フェリシカは驚いて声も出せなかった。


「ごめんね、フェリ。遅くなってしまって」 


「もしかして、フィン先輩なんですか?」

「そうだよ。継承問題でゴタゴタしてしまってね。あと、私の結婚相手についても承認を得るのに時間がかかってしまって」

「フィン先輩、結婚するんですか?」

 

 突然告げられた言葉に胸がズキンと痛む。前に言っていた好きな相手とだろうか。


「するよ。君とね」

「え?」


 にっこりと微笑むとフェリシカの頭にキスを落とす。それだけでフェリシカの顔は真っ赤になってしまう。


「バーンズ先輩、いきなり出てきてそれは無いと思うのですが。グリーンウッドの気持ちも聞かずにそんなことを言うなんて」

「フェリの気持ちなら君よいわかっているつもりだけど? 嘘つきのハミルトンくん」

「……! それは」


 二人はフェリシカにはわからない話をしているようだった。


「嘘つきってどういう事ですか?」

「ねぇ、可愛いフェリ。身体接触をすると魔力が増える新説なんて真っ赤な嘘だよ。でも、頑張るフェリは可愛かったな」

「ハミルトンくん、どうしてそんな嘘ついたの?」

「それは、その、グリーンウッドと仲良くなりたくて……。最低な嘘だよな。悪かった」

「なんでそんなしょうもない嘘ついたの? 騙されたわたしも馬鹿みたい。いや、馬鹿かも」


「フェリは馬鹿じゃないよ。可愛いよ」

「フィン先輩も嘘だってわかってあんなことしたんですか?」

「あんな、ってどれのこと? 抱きしめたこと? キスしたこと? 少なくとも前者はフェリも合意だったと思うけど?」

「バーンズ先輩! なんて破廉恥な」

「ハミルトンくん。君さ、人の恋路を邪魔すると馬に蹴られちゃうよ?」


 怒りで顔を真っ赤にしたハミルトンはジョセフィンに掴みかかろうとするがひらりとかわされる。しかも、フェリシカを抱きしめたまま。


「ハミルトンくん。私たちには言葉があるんだから暴力で解決するのは良くないよ?」

「あなたがそれを言うのか!」

「私が力ずくで解決したことなんてあったかな?」

「もう、良い。グリーンウッド。こっちに来て」


 ハミルトンがフェリシカの手を掴もうとするがジョセフィンにはたき落とされる。フェリシカはハミルトンの目をまっすぐ見つめてこう言った。


「ごめんね、ハミルトンくん。わたし、どんなに性格が悪くても意地悪でもフェリ先輩が好きなの。離れられないの。フェリ先輩からなら、なんでも嬉しいの。涙が出ちゃうくらい、フェリ先輩のことが好きなの」


「馬鹿なグリーンウッド。バーンズ先輩に飽きたら僕のところに来いよ。僕の方が絶対に優しいからな。それに未来の伯爵夫人だぞ」


「ふうん。でも、フェリはこのまま行けば将来の侯爵夫人だよ。私はフィンドレー・バーンズ。バーンズ侯爵家の後継者だからね。そうそう、フェリは今まで通りフィンって呼んでね。フェリにそう呼ばれるのが好きなんだ」

「え? あの」

「息子がいるなら娘に婿を取らす必要もないってね。そもそも父は私を溺愛しているし」


「フィン先輩?」

「なあに? 私のフェリ。さて、ハミルトンくん。私はフェリと二人で大事な話があるからそろそろ出ていってくれないかな? ここは部員以外は長時間使用は禁止なんだ」


 ハミルトンは悔しそうな顔をして出て行った。フェリシカは後で彼に説明しようと考えたけれど、ハミルトンがフェリシカのことが好きならばこれ以上期待させるような振る舞いは避けた方が良いだろう。


 フェリシカがうーんと唸りながら考えているとジョセフィンが首筋に顔を埋めてスンスンと匂いを嗅いでいる。


「フェリはちゃんとお揃いの石鹸使ってくれてたのね。嬉しい。もう無くなっちゃうだろうからまたあげるわね」


 見た目は背も伸びて完全に男の人なのに喋り方があまり変わっていなくてフェリシカはふふふと笑ってしまった。


「なんで笑ってるの?」

「フィン先輩はわたしの知ってるフィン先輩のままだなって思って、嬉しいんです」

「フェリはちょっと痩せたね、ごめんね。心配したでしょう? ちゃんと説明するから」


 フェリシカとジョセフィンは長椅子に並んで座った。久しぶりに見るジョセフィンは当たり前だが男らしくなっていた。滑らかな首には喉仏が出来ていて、髪も随分短くなっていた。それでも、美しさは変わらなかった。


「ねぇ、フェリ。運命って信じる?」

「運命、ですか?」

「そう。フェリが私の運命の相手だったんだ。知ったのは最近なんだけど」

「どういうことですか?」


「まずね、私は十歳の頃に呪われたんだ。母によってね。母と言っても義理じゃない方。彼女は私が後継者問題に巻き込まれるのを防ぐために性別を変えたんだ。庶子だとしても直系の男子で長女と同じ歳なんて問題にならないわけがない。だから、私が運命の相手にキスをしたら呪いが解けるようにしたんだ。まぁ、キスをしたのは君とが初めてだったから、呪いが解けてから気付いたんだけれど。あの時、急に身体が熱くなって、ちょっと言葉にし辛い状態になってしまったから君から離れたんだ。なんとか家に帰ったら父に見つかって大騒ぎになってしまって……。元々父は私を後継にしようと考えていたところに性別が男になったら、それ以上は言わなくてもわかるよね? それで色々な手続きをしているうちに時間が経ってしまって。何度か手紙を出したけど、返事もないから嫌われたかと思って勇気が出なくて……」


「手紙? 一度しか来ていないですよ?」

「父が妨害したのかもしれない。父は君との結婚にはあまり乗り気ではなくて」

「ああ、なるほど。でも、お父様の気持ちもわかりますよ。侯爵家嫡男に子爵令嬢は釣り合わないですもん」


「身分だけで見ればそうかも知れないけれど、私は諦めたくなかったから父と話し合って説得したんだ。結婚するなら皆から祝福して欲しいだろう? ああ、話がずれた。そうだ、君の呪いを解いたのも母なんだ。一時期母が色んなところにフラフラしてね。私は祖父母に預けられていたんだ。旅から戻ってきた母から蛇の抜け殻と麦わら帽子を貰ったんだよ。そして、とても素敵な女の子の話を聞いた。思えばあの頃からフェリのことが気になっていたのかも。二度だけだけれど君の故郷を訪れたこともある。母は、君が僕の運命の相手になるとわかっていたのかも知れない。母には未来を見る目があったから。もしかしたら今のこの結果も母の見た通りなのかも知れない。まぁ、もう聞く機会もないけれどね」


「えっと、つまりフィン先輩は元々は男の子だったけれどお母様の呪いで女の人になっていて、その呪いを解いたのがわたしってことですよね?」

「そう。で、縁があるから呪いを解いたのか、呪いを解いたから縁ができたのかわからないがとにかくフェリが私の運命の相手なんだ」

「そんなことって、あるんですね?」

「うん。呪いはまだわからないことばかりだからね」


「フィン先輩は身体が女の人でも心はずっと男の人だったんですか?」

「うん。だから男と結婚なんて死んでも御免だったし、フェリが身体接触したいって言ってきた時は正直ラッキーだと思った」

「それは、どうして?」

「フェリのことは可愛いなって思ってたし興味があったのよね。あ、また女言葉になっちゃった。癖がなかなか抜けないんだ」


 そう言ってジョセフィンはにっこりと微笑む。フェリシカの髪を弄びながら彼はとても上機嫌だ。


「見た目が大分変わってしまったのでフィン先輩がそういう風に喋っているとちょっと安心します」

「そう? それならフェリと二人っきりの時は今まで通りでも良いかも知れないわね。あ、そうそう。身体接触については昔からあるお約束が試せると思ったの。おとぎ話にも良くあるでしょう? つまり、愛する人からのキスってこと」

「フィン先輩はわたしのことを愛しているんですか?」

「好きだったから、愛せると思ったの。予想通り私はフェリのことを愛するようになったし、フェリも私に対して親愛以上の気持ちを持っているでしょう?」


「それは、はい。わたしはフィン先輩のことが好きです。フィン先輩とキスした後にこれが恋なんだと気付いて泣きました。女性同士だと、結ばれることは難しいから。わたしたちは貴族だから尚更そうなんだって思って。だから、ちょっとまだ気持ちの整理がついていないんですが先輩が男の人になったのは嬉しいです」


「良かった。フェリに嫌がられたらどうしようかと思ってたんだ。まぁ、もう今更逃す気なんてないけど。もし逃げるなんて言ったらじっくり話し合いをするつもりだったし。わたしはね、誰かを説得することが得意なんだ」


 そう言ったジョセフィンの笑顔はいつも通り美しいのに何だか迫力があった。黒い微笑みというのだろうか。フェリシカが少したじろぐのを見てフェリシカは更に距離を詰めてくる。そして、フェリシカの顎を右手で上向かせる。


「ねぇ、フェリ。キスしても良い?」

「で、でも新説は嘘だったんですよね……?」

「うん。だってもう大義名分もいらないし。フェリにキスしたいからするんだよ。ただ、一応合意は得ておこうかなって」

「えっと、あの、お手柔らかにお願いします」

「ふふ、可愛い。大好きよ、フェリ。食べちゃいたいくらい」


 そう言ってジョセフィンの顔が近付いてくる。フェリは目をぎゅっと瞑って彼のくちびるが降りてくるのを待った。


 

*********************



 バーンズ侯爵家を継いだジョセフィンはフェリシカのことをそれはそれは大切にした。周りの人間が目を逸らしてしまう程の溺愛っぷりだ。二人の結婚式でブーケを受け取ったハミルトンは青筋を立てながらも祝福の言葉を述べた。そんな彼も今は王城勤務の魔道士として日々邁進している。


 侯爵夫人となったフェリシカは嫉妬深い夫が許す範囲で呪いの研究を続けていた。彼女が考えた解呪法で救われた人もたくさんいる。今は生まれたばかりの子どもにかかりきりだが、将来的にはまた人々の助けになれるような魔道士になりたいと思っている。

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